前途多難
雪はもう解け始め、村の端にわずかに残るだけだった。
アストライア歴1206年。
年が明け、春を待つ季節。
蕾が空を仰ぎ、開花の時を待ちわびるころ、村の訓練広場では数人の自警団たちが汗を流していた。
間もなく魔物の被害が出始める。
弱い魔物ばかりとはいえ、隣領から凶悪な魔物が流れてくる可能性もある。
それに、賊も――
「やあっ!」
「甘い!」
「これなら!」
「痛ぇっ!」
掛け声とともに訓練に熱が入る。
少し外れた場所で、アイオンも剣を振っていた。
彼が広場で訓練するようになったのは、この冬からだ。
今も懸命に剣を振り、必死に打ち込んでいる。
――その相手は、冬の間に村へやって来た新しい住人、イザーク。
#
「腰が入ってねぇぞ!」
イザークの蹴りが、アイオンの腹に突き刺さる。
「おいコラ! 剣でやり合え! 剣で!」
野獣じみた声で抗議するカーラを、イザークは鋭く睨みつけた。
「実戦想定だぞ? 対人戦では何でもありだ。生き残るにはな!」
冒険者らしいもっともな指摘に、赤髪の美女――ライアが頷く。カーラの隣で、二人の訓練を見守っていた。
その様子に気をよくしたイザークは、腹を押さえ咳き込むアイオンに声をかける。
「おいおい、いつまでうずくまってんだ? 普通なら首をハネられて終わりだぞ? …さっさと立て!」
そう言うなり、再び攻めかかる。
「くっ!」
アイオンは立ち上がり、剣を構えた。だが――
「遅ぇ! 素の反応を上げろ!」
弾き飛ばされた剣。無防備な腹に蹴りが突き刺さる。体勢を崩したところに、さらに追撃が飛ぶ。
「体幹が甘いわ! 足の裏で地面を掴む感覚を忘れないで!」
ライアの声と同時に、また一撃。
アイオンは受けきれず、膝をついた。肩が激しく上下し、息が荒い。
「ハァ…ハァッ…」
「息上げてんじゃねぇ! その程度かよ!」
足を払われ、地面に叩きつけられる。
反射的に受け身を取るも、痛みは避けられなかった。
「次いくぞ! 立て! 構えろ!」
「…!!」
気力を振り絞って立ち上がるアイオン。
だが剣を持つ手は震え、膝は笑っていた。
「その足、止まってんぞ!」
振り下ろされた一撃をなんとか受け止めたものの、次には対応できない。
「っぐ!」
脇腹に重い一撃を受け、身体が横に吹き飛ぶ。
声が出ない。呼吸が浅く、足に力が入らない。
それでも剣だけは離さず、地面に手をついて踏ん張る。
「まだだ…!」
歯を食いしばり膝を立てる。だが、体はついてこなかった。
「――そこまで!」
ライアの制止の声が響いた。
「イザーク! 動きはよかったけど…蹴りじゃなく、ちゃんと“貫き”なさい。実戦なのよ? 情けをかけてどうするの?」
「お、おいっす」
キツイ言葉だが正論。イザークは反省し、息を整えた。
「アイオン! 相変わらず素の体力も反応速度も遅い。身体強化が効かない相手には勝てない。…まずは土台を意識して鍛錬しなさい!」
アイオンは地面に崩れ込む。
頬に土がついていたが――その顔には、わずかな笑みがあった。
#
年の明けた雪の日。
ケニーと共に、イザークたちはオルババ村に到着した。
「着いたな。道中は平和だったが、雪で少し遅れたな」
「仕方ねぇだろ! この辺りの道は整備されてねぇんだ! おまけにお前らで重量ギリギリなんだよ!」
愚痴をこぼすイザークに、ケニーが怒鳴る。
本来なら二度と会うつもりのなかったケニーとこうして同行しているのは――事情が変わったからだ。
「ねえ、本気なの? イザーク」
エリーが不安そうに呟く。
「ああ。少なくとも夏までは、この村に住む。…お前は着いてこなくてもよかったんだぜ? ウルとオニクと三人でバルナバで依頼をこなしてりゃ――」
「それだと、あのベティってシスターに色目使うでしょうが!」
「な、なんでそうなる!」
即座に反論するイザーク。だが目を逸らしたあたり、自覚はあるらしい。
女神教には禁則が少なく、結婚も許されている。あわよくば――そんな妄想もあった。
「あんな冷たい目されても、まだ気になるんだ?」
「あれは、迂闊だった俺が悪いだけで…」
「おいお前ら! 余計な話はやめろ! 行くなら黙ってろ! 帰るなら勝手に帰れ!」
ケニーが声を荒げると、二人は慌てて返事をする。
「お、俺は行く!」
「ごめんなさい、ケニーさん。私も行きます」
「ったく…邪魔だけはすんなよ」
そう言って村の門へと進む。
そこではロッチとボブが警戒に立っていた。
「お久しぶりです! ケニーです!」
にこやかに声をかけるケニー。
その切り替えの早さに、イザークは目を丸くする。
「ケニーさん! 先日帰ったばかりじゃないですか?」
「えぇ、前回不足していた物を持ってきたんですよ! ほら、これも!」
にやりと笑って酒瓶を掲げると、ボブの顔がほころんだ。
「おぉ! それは嬉しい! バルナバの酒は格別だからな!」
「でしょう? 割れるのが心配でなかなか持って来られませんでしたが、今回はたっぷりありますよ」
「どうぞ。オルババへようこそ!」
歓迎を受け、一行は村へ入った。
#
村長宅。
「これはこれは。どうしました? ケニーさんに…イザークさん、エリーさん?」
出迎えた村長は、以前泊めたことを覚えていた。
「前回の商いで不足していた分を持ってきました! この人たちは、何かお願いがあるそうで」
「へぇ、なんです?」
促され、イザークが頭を下げた。
「しばらくの間、この村に住まわせていただきたいんです! お願いします、オルババさん!」
――村の名=村長の名。
この世界では当然の礼儀。だが――
「う〜ん、いきなりは困りますね。“村長”としては」
「そこをなんとか! 頼みます、オルババさん!」
「よそ者を簡単に住まわせるのは、“村長”の権限でも難しいですねぇ」
「俺はC級冒険者です! 魔物や賊に対処できます! この村の力になれるはずです!」
「……私の村には頼れる自警団がいますので。あなたを受け入れては、彼らの信用を損ないかねません。“村長”としては」
「そこをなんとか! 頼む、オルババァッ!?」
額を押さえて崩れるイザーク。
「――いい加減察しなさいよ。申し訳ありません、“村長”様。迂闊で空気が読めない馬鹿なんですが、悪い人ではないんです」
エリーが慌てて頭を下げた。
「“オルババ”は村の名です。“ババ”が気に入らなくて、皆さんには“村長”と呼んでもらっているんですよ」
村長は咳払いをひとつ。
落ち着いた雰囲気を纏う中年の女性――オルババ村の3代目村長である。
「……申し訳ありませんでした!」
「気にしすぎだと息子にも言われるんですけどね。それで、移住の件ですが……」
「す、少なくとも夏の始まりまではいさせてください!」
しばし考え込んだ村長は、やがて頷いた。
「わかりました。家は二つ? それとも一つ?」
「ひとつで――ギャッ!」
「ふたつでお願いします」
エリーが遮る。ケニーは盛大にため息をついた。
(とにかく許可は得た! なんとしても、あのガキ――アイオンから身体強化の術を学ぶ! もっと上へ行くために!)
#
「……は? 嫌ですよ」
――前途多難。




