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照らす

赤い薬草を確保したことで、ほんの少しだけ精神的な余裕が生まれた。


傷の痛みはわずかに和らぎ、魔力も回復薬で底上げされている。

それでも、かろうじて動けるだけの状態。

身体の疲労はすでに限界に近かった。


一歩踏み出すたびに、足が鉛のように重くのしかかる。


(…このままでは、夜を越えられない)


冷静さを保っていたはずの思考が、内側で警鐘を鳴らす。

夜の森は、昼とは比べものにならないほど危険だ。


視界がほとんど利かず、夜行性の魔物が動き出す。

嗅覚と聴覚に優れた魔物に、今のアイオンでは太刀打ちできない。


(…どこか、しのげる場所を見つけないと)


そう思っても、当てはない。

初日のような“導き”も、今はない。


(あれが何であれ、期待しちゃ駄目だ)


ここは禁断の森。アラクネやオルトロスが跋扈する危険な場所。

身を隠せるような場所など、あるのだろうか。


―そのときだった。

視界の端に、微かな違和感がよぎった。


木々の生え方が、不自然に見える。

他の場所よりも、少しだけ開けている。


自然の森なら、もっと無作為に木々が生い茂っているはず。

だが、その一角だけ、まるで誰かが手を入れたかのように整っていた。


そして、その奥に…ぼんやりと、人工物のような影が見えた。


(…?)


思わず足を止める。疲労で意識は朦朧としていたが、それでも何かを見逃すわけにはいかなかった。


目印になるもの。安全の兆し。

それを、無意識に求めていた。


慎重に、足を踏み出す。


数分後、その正体が明らかになる。

それは、蔦に覆われた巨大な石造りの門だった。


朽ちかけてはいるが、かつては荘厳な建造物だったことがうかがえる。

近づいてみると、上が見えないほど高い。


門の向こうには、苔むした石畳が続いていた。

その先に何かがあるのは間違いない。


(まさか、こんな場所が)


隠された、秘匿の遺跡…?


中に何が潜んでいるかはわからない。

だが、森の中で一夜を過ごすよりは、遥かにマシだった。


せめて、石壁さえあれば。

風をしのぎ、魔物の侵入を防げるかもしれない。


アイオンは震える足を動かし、門をくぐった。

入ると、外よりもさらに薄暗かった。


冷たい空気が肌を刺す。

カビと土埃の混じったにおい。

そして、どこか遠くで水が滴る音が響いている。


アイオンは慎重に、足元を確かめながら進んでいく。


しばらく歩くと、やがて広間にたどり着く。

比較的崩れが少なく、状態も悪くない。


天井は高く、中央には崩れた祭壇のようなものが残されていた。

四方には通路が続いているが、今はそこを調べる余裕はない。


アイオンは壁際、死角になりにくそうな場所に身を寄せた。持っていた携帯食料を取り出し、口に運ぶ。


硬い。

だが温かいものじゃなくても、胃に何か入れば少しは落ち着く。


(今夜は、ここでやり過ごすしかない)


魔力回復薬は残り1本。

外傷回復薬は3本。


この場所が本当に安全かどうかはわからない。

少し休んで、明日の朝になったら、また出発する。


そう心に決めて、俺は目を閉じた。

―が、安心する事はできなかった。


遺跡の奥のほうから、かすかに物音が聞こえた気がしたからだ。


それは風の音かもしれない。水の音かもしれない。

耳が音に敏感になっている。


アイオンは怯えながら、静かに呼吸を整えた。

意識が、暗闇に沈んでいく―。



アイオンが目を閉じたその頃。

少し離れた木の上で、一人の女性が静かに遺跡の入口を見下ろしていた。


黒衣に身を包む女性。


(…運が良いのか悪いのか。"あれ"の干渉は感じないけど…)


「…クアァ…」


不意に、足元から声が聞こえた。

女性は視線を下げる。


「おや、無事だったのか」

「ヒュルルル!」


そこには、グリフォンがいた。

羽を小さくたたみ、傷だらけの体を揺らしながら、こちらをにらみつけている。


女性は木から姿を消し、地面に降り立った。

グリフォンは無言で見つめる。


「…なんだ、その顔?」

「ズズズッ…グォォン!」


グリフォンが鳴きながら詰め寄る。

どうやら怒っているらしい。


「悪かったよ。でも、私が行けば大味な攻撃になる。オルトロスを倒せても、彼まで吹き飛ばしてしまったら意味がないだろ?」

「クワー! クワー! ギュルル…!」


翼をバタつかせ、前足で抗議するような仕草を見せる。


「…確かに、この姿なら問題ないけど。まだ人の姿では会いたくない。"あれ"にも言われてるし」

「ケッ!」


最後には唾まで吐かれた。

女性は眉をひそめながら、ふっと息を漏らす。


「悪かったって。でも、間に合ってくれて助かったよ。あのままじゃ、彼は餌になってた」


遺跡の入口へと再び視線を向ける。


「クケ?」

「ああ、大丈夫。奥まで行かなければ、害はない。まぁ、そんな愚かな真似はしないだろ」


アラクネでの判断は危うかったが、その後は悪くない。オルトロスとの遭遇は、ただ運が悪かっただけだ。


「クルル?」

「出てきたら、また導くさ。ここから出口までは距離があるけど、一日歩けば十分だ」


そう言うと、彼女の指先が淡く光を灯す。

初日に木の根まで導いた、あの光だった。


「クケー」

「…頼むよ。グリムウルフなら対応できるだろうけど、アラクネやナーガは難しい。オルトロスやオーガは、絶対に無理」

「クルル」


グリフォンはため息のような声を漏らし、空へ飛び立った。そのまま遺跡の上部へと舞い上がる。


「そうだね。ここからなら、よく見える」


女性がすぐ傍に現れる。

そして、そっとグリフォンの頭を撫でた。


「クワッ」

「ああ、おやすみ」


グリフォンがその場に座り込み、眠りにつく。

女性は手をかざし、回復魔法をかけた。


「クケーッ!」

「得意じゃないんだ。時間がかかる。寝てる間に済ませるよ」

「…クル」


グリフォンは、静かに目を閉じた。


(…まったく、生意気な奴)


女性は空を見上げた。どこか遠くで、魔物同士の争う音が響いている。


この森の日常の音。

―けれど、もう聞き飽きていた。


空には星が浮かび、幻想的な夜を演出している。



フィギル領主が治める街、バルナバ。


そこから離れた街道沿いで、一台の馬車が野営をしていた。

焚き火の明かりに照らされて、二人の人影が揺れる。


「あなたたちは、どうして冒険者になったの?」


見張りの番をしていた赤毛の女性―ライアが、火を見つめながら口を開いた。

話しかけた相手は、正面に腰を下ろしていた少年だ。


静かな夜。沈黙を埋めるような、何気ない問いだった。


「かっこいいからです!」


少年はまっすぐな目で即答した。


「英雄譚に出てくる、セドリック様に憧れてます!」

「あぁ。ありがちね」


ライアはくすりと笑う。

けれど、それは小さな共感の笑みだった。


「御使様の一人、"無敵のセドリック"。圧倒的な力で数々の魔物を倒した最強の冒険者。レッドドラゴンと三日三晩戦って、ついに撃退した…」

「はい! いろんな御使様の話がありますけど、その中でも一番かっこいいです!」


少年の目はきらきらと輝いていた。


力強く、正しく、そして誰よりも華やかな英雄。

その姿は、子どもにとってまさに「理想」だった。


「…ライアさんは?」


少年が、ふと尋ねる。

一瞬だけ戸惑ったような表情を浮かべながらも、言葉を続けた。


「なぜ、冒険者になったんですか?」


聞いていいのかどうか、迷いながらも出た問いだった。

ライアが、どこか“特別”な冒険者だということは、知っていた。


かつてはAランクにまで上り詰めた人物。

だが、とある大失敗で降格、仲間も失う。

今では一人Dランクの身で、本来冒険者の適正無しと判断された、役立たず向けの仕事をこなしている。


用心棒や私兵になった方がよほど良い報酬を得られるはずなのに、冒険者という存在でいる。


「―忘れちゃったわ」


ライアは、静かに空を見上げた。

星が、ゆっくりと流れていく。


今日までに、いろいろなことがあった。

戦い、失い、選び、捨て…

初心なんて、とうに忘れるほどに。


夜風が、焚き火の炎を少しだけ揺らした。



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