幕間 急ぐゼアス
妹の―ナリアが倒れた。
その知らせが訓練中のゼアスに届いたのは、アイオンが森へ入る前のことだった。
村から街へ、街から街へと伝令魔法で届いた報せ。
3年前に弟がかかった、子どもだけが罹る原因不明の“奇病”。
新女神教は「女神の与える試練」と称しているが、ゼアスにとってはそんなもの信じられるはずがない。
(ただの奇病だ!そんなものに、なぜ俺の家族ばかりが!)
やり場のない憤りを胸に抱きながら、ゼアスは馬を走らせた。
街につくたびに馬を乗り換え、自身の休憩は最小限に抑えて、ひたすら駆け続ける。
それでも、まだ距離はある。
(…間に合わないかもしれない)
頭では理解していた。
だが、それでも馬を止めることはできなかった。
「くそっ!」
「今は向かうしかねぇよ。お前が悪いわけじゃない」
共に村を目指す相棒が、冷静にそう言った。
「あれは、子どもなら誰がなってもおかしくねぇ。女神教じゃどうにもならない。次の世界へ渡るための“試練”だとよ。…そんなんで金だけせしめて、せいぜい痛みを和らげる回復魔法をかける程度だ。ろくなもんじゃねぇ」
馬上で、相棒―ジェダは毒を吐くように言葉をこぼす。
「…うちの家族は女神様を信じてる。いわゆる“旧女神教”だ。そんなでたらめじゃ納得しないさ」
オルババ村には、旧女神教徒が二人もいる。
その珍しさを、この一年で嫌というほど思い知らされてきた。
どれだけ異常な事なのかを。
「そういや弟くんが蘇ったんだっけか?奇跡だぜ!そんな話、聞いたことがねぇ」
ジェダが豪快に笑う。
ゼアスは苦い顔をした。
「…でも、あの日から弟は、弟じゃなくなった。別人になったみたいだ」
「とんでもなく強くなったんだろ?」
「ああ。身体強化の使い方が理解できないほどで、父を簡単に倒してた。…俺でも勝てない」
「お前の父さんって、元兵士で団長殿の同僚だったんだよな?」
「ああ。今じゃDランク級の魔物が精一杯だが、経験はある。そんな父を、一瞬で倒したんだ。夜に訓練してたくらいらしいけど…」
それに――。
「力のこと以上に、内面の変化が大きかった。…人との関わりを、家族とすら拒むようになった」
思い出す。
駆け寄ったナリアの手を、跳ね除けて逃げ出す弟の後ろ姿を。
「父も母も言っていた。“冥府から戻るときに何かがあったのだろう”と」
「…まぁ、死んで生き返るなんて、普通じゃねぇ。何かが変わっても不思議じゃないわな」
頷きながら話すジェダ。
走り続ける馬には酷かもしれないが、こうして話すことでゼアスの気持ちは幾分か軽くなった。
だが――。
(ナリアまで、あんなふうになったら…!)
死ぬか。
生き残っても別人になるのか?
人懐っこい笑顔のナリアを思い出す。
ゼアスの胸は締め付けられた。
#
「おっ、見えたぜ!」
しばらく走った先に、次の街が見えてきた。辺りは、もう薄暗くなり始めている。
「今日はここに泊まろう」
本当は夜でも進みたかった。
だが魔物や野盗の危険がある。
余計な戦闘は避けるべきだった。
「おう!とりあえず馬屋に行くか!」
ここまで全力で走ってくれた馬とも、ここでお別れだ。
「買い取りと購入で―ほいっ、毎度あり!明日の朝、取りに来てくれ!」
馬屋との取引を終え、ゼアスは馬を優しく撫でる。
「ここまで助かった。ありがとう」
別れを告げると、ジェダが声をかけてきた。
「さーて宿だ宿!村まであとどのくらいだ?」
「…どう見積もっても、あと3日はかかる」
どれだけ急いでも、この日数は変えられない。
村の近くにある、フィギル領主の街を経由し、最後の馬を乗り換える。そこから一気に村へ駆ける予定だ。
「へぇ〜。もうすぐ雪が降るんだろ?」
「ああ。降る前に村に着ければいいんだが…」
「なら尚更しっかり準備しなきゃな!無駄遣いせずに今日はちゃんと休もうぜ!」
「ああ」
休める気などしないが。
「まぁ、慌てず、されど急いで向かうために!宿に行くぞ!」
ジェダがゼアスの肩を叩き、前を歩き出す。
「助かるよ。ついてきてくれて、ありがとうな、ジェダ」
心強かった。
「がははっ!水臭ぇこと言うんじゃねぇ!相棒じゃねぇか!」
兵士訓練では、二人一組で行動することが多い。
ゼアスは、バディを組むジェダに深い信頼を寄せていた。
「…それに、興味があるからな。1度死んで蘇った、奇跡の体現者に―」
ジェダはぽつりと呟いた。
ゼアスは、村の誰にも話していない“アイオンの蘇生”をジェダにだけ語っていた。
それだけ心を許していたからだ。
―そのときのジェダの顔は、笑ってはいなかった。




