迷える心
脱出から、すでに数時間が経過していた。
昼の光が砦を照らし、その光は雪原に反射して白く輝いている。
雪面に映る砦の影は歪み、半壊した姿をそのまま映し出していた。
砦の周囲では、それぞれが役割を持ち、慌ただしく動いていた。
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兵士たちが砦内を慎重に捜索している。
「資料室は駄目だ!潰されてる!」
「待て、天井が崩れそうだ。慎重に動け!」
砦は半壊状態だった。
壁には無数の亀裂が走り、天井は今にも崩れ落ちそうに軋んでいる。
一歩踏み外せば瓦礫の下敷きになる――そんな緊張感が、砦全体を覆っていた。
それでも彼らは、第一王子アルゼンの不正を示す証拠を探していた。
命令書、報告書、人体実験の記録――何でもいい。
紙一枚、記録の断片ひとつで、王都の力関係が揺らぐ。
アルゼンが確実に関わっている証拠が、どうしても欲しかった。
「食料庫は無事だ!これなら全員分もつ!」
「武器庫も確認しろ!使える装備があれば回収だ!」
物資もまた、命に直結する。
あと二日で学園の飛空艇が迎えに来る。
それまでに生き延びる手段を確保しなければならない。
兵士たちは、まさに死に物狂いで動いていた。
ジーナの役に立てなければ、自分たちの命も未来もない。
家族の無事のためにも、何でもよかった。
崩れそうな砦に怯えながらも、彼らは歯を食いしばり、懸命に働いていた。
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一方、傭兵団は砦内に残る火薬の撤去作業を進めていた。
「慎重にな。一つでも爆発したら、この砦は沈む」
ギルバートの低い声が響き、傭兵たちは淡々と作業を進める。
緊張した空気は張り詰めているが、無駄な焦りはない。
長年死線をくぐってきた者たちの手つきだった。
外では、同時にテントの設営も進められている。
ギルバートが呟く。
「大事な支柱を壊すのは後回しか……。なにか用があったんだろうな。綺麗に地下通路への道の被害は出ていない」
計算し尽くされた爆破ポイント。
無秩序な破壊ではなく、明確な意図を持った配置だった。
その手際の良さに、思わず感心してしまうほどに。
「カイルだったか?傭兵上がりの冒険者って話だったが、どこの団にいたんだろうか……」
ククルス自由経済国家には無数の傭兵団が存在する。
"灰狼"は、その中では小規模な団体であり、名を上げているというわけでもない。
(もし生き延びていたら……スカウトするのも悪くない。火薬製造の目処が立てば、"灰狼"はとんでもなくでかくなる。有能な人材はいくらでもほしい)
ギルバートの思考は、すでに先を見据えていた。
ジーナの様子を見てから判断すればいい。
だが、わざわざ恩を売らずとも計画は成功すると踏んでいた。
(……まぁ、この砦の補修作業に力を入れなきゃならんが。後はティガル族次第か)
作業に集中する部下を見渡し、ギルバート自身も作業に加わる。
火薬を取り払い、爆破用の導線を一本一本、慎重に回収していく。
少しずつ、少しずつ。
作業も、思考も、確実に前へ進めていった。
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生徒たちは、砦の外に設けられた簡易テーブルを囲んでいた。
護衛たちは、少し距離を取った位置で周囲を警戒している。
「まず、今回の件を第二王子派と共有することが最優先だな」
ハルクが口火を切った。
「バザーム砦で何が行われていたか?確かな情報を伝えなければならん」
マルティンが深く頷く。
「ですが、証拠が必要ですわ。噂だけでは第一王子派を追い詰められません」
「兵士たちの証言だけでは、握り潰される危険が高いですね……」
エルネストが続けた。
「もう一つ、方法はある」
ハルクの視線が、ティガル族へと向けられる。
「ティガル族だ。彼らは実際に捕らえられ、人体実験の被害者だった。彼らが証言してくれるなら、なによりも勝る証明になる」
「でも、言葉が通じないわよね?」
マルティンが困惑した表情を浮かべる。
「……学者ならわかる者もいる。ただ、アルゼン様も黙っていないだろうな。デタラメを訳す可能性が高い。そして、それを見破る手段はこちらにはない。だが――」
ハルクが静かに告げる。
「あのヘミングという男ならティガル語を話せる。彼を通訳にすれば、交流できるはずだ」
「でも、彼は傭兵団の人間でしょ?目的があってここにいる……」
エルネストが不安そうに問う。
「第二王子様から依頼を受けたと言っていましたが……本当にそれだけでしょうか?」
「わからない。副団長はそれが主題ではないと言っていたが……」
ハルクが腕を組む。
「……まずは傭兵団と交渉する。その上で、ティガル族から証言を得る。それが確実な手順だな」
マルティンが付け加えた。
「第一王子にダメージを負わせることができれば、第二王子に大きな貸しを作れますしね。上のどちらも傷を負わせるのは得策ではないわ。片方の力を弱めるだけでも、十分な成果よ」
「そうだね。その派閥争いの混乱が、僕らの賛同者を得る機会になると思う」
エルネストが頷く。
「ジーナ様には、そこを武器に派閥を広げていただく。第二王子派との協力関係を強固にすれば――」
「――それでは駄目だ。協力では、あちらの勢力に飲み込まれる。必要なのは、こちらがあちらに"貸し"を作る事だけだ」
ハルクが静かに遮った。
ヘリムは俯いていたが、やがて顔を上げる。
「……父は第一王子派です」
一同の視線が集まる。
「でも、私は……今回の件で、考えが変わりました」
震える声。
だが、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
「ジーナ様、私はあなたについていきます。父には反対されるでしょう。家を捨てることになるかもしれません」
ジーナは――
「……ありがとう、ヘリム」
短く答えた。
だが、その視線は議論の輪から外れ、砦の地下へと続く入口を見つめていた。
(……アイオン)
少し離れた場所で、グレイスがその様子を見ていた。
「……あいつ、全然議論に集中してないな」
ティアナが苦笑する。
「まぁ、無理もないわよ。心配なんでしょ」
リベラは腕を組んで呟いた。
「……覇権争いか。面倒な世界ね」
グレイスが肩を竦める。
「この国で専属冒険者になったら、指名依頼が増える。そうなれば派閥争いの渦中に入るぞ?嫌ならさっさと他所の国に行ったほうがいい」
リベラが呆れた顔で返す。
「今までだって汚い仕事はやってきたわ。関係ないわよ」
そして、生徒たちの方へ視線を向ける。
「それに、今回その資格ありと見なされたのは私達じゃない……でしょ?」
グレイスがリベラに向き直る。
「……お前は運が悪かった。単純な魔物討伐での適性審査なら、野外での活動で活躍の機会は多かったろうしな。火魔法にはそういう面もある」
「運で片付けてほしくはないんだけど。これで専属冒険者への道は当分開かない。――もしくは永遠に。本当に最悪な依頼よ……」
「……いや、そうはならないさ」
グレイスが呟いた。
その言葉に、リベラとティアナが反応する。
「ここまでの大事になる依頼だとは、ギルドの人間も予想していなかった。イレギュラーに対応する力も当然問われるが、その範疇を超えている。おそらく、査定は参考程度にしかならん。次の機会は必ずくるさ」
リベラは小さくため息をついた。
「……不確かな未来に期待する年齢じゃないわよ」
その視線は生徒たちの輪に向けられていた。
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砦から少し離れた場所。
ティガル族の戦士たちが輪になって座っていた。
静かに瞑想し、祈りを捧げている。
グラムが中心に座り、目を閉じて呟いた。
『女神様、どうかアイオン様をお守りください』
『私たちを救ってくださった方が、無事に戻られますように』
周囲の戦士たちも、同じ祈りを繰り返す。
ヘミングは、その輪の外に座っていた。
(……救ってくれた、か)
胸中で呟く。
アイオンは、確かにティガル族を解放した。
彼らにとっては、恩人そのものだ。
(……俺を救ってくれたのは、灰狼の人達だ。彼らのために行動する事の、何が悪いって言うんだ?)
ヘミングは自分の手を見つめる。
(……どんなに助けてと願っても、女神は俺に何もしてくれなかったじゃないか……)
リルが、そっとティガル族の輪に近づく。
だが戦士たちは彼女に視線を向けず、祈りを続けたまま存在を拒絶する。
リルは立ち止まり、俯く。
そして、同じように輪から外れているヘミングを見つけ、彼の元へ歩み寄った。
二人だけが、明確に疎外されていた。
『……大丈夫?』
リルが問う。
『……ああ』
『本当なら、あなたを快く迎え入れたはずよ。オルグ爺が生きていれば良かったのに……』
リルは膝を抱えた。
『すまない。きみには、謝る事しかできない』
『……』
沈黙が落ちる。
戦士たちの祈りの声だけが、静かに空気を震わせていた。
ヘミングは空を見上げる。
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ジーナは一人、砦の壁に寄りかかっていた。
議論の声が遠くに聞こえる。
ハルクが何かを語り、マルティンが頷き、エルネストとヘリムも積極的に意見を出している。
だが、それらはほとんど耳に入ってこなかった。
(アイオン……)
一瞬の再会から、すでに数時間が経っている。
爆発音も、戦闘の気配も、今はもうない。
(……どうすれば、あなたと一緒にいられる?)
王位を目指すと決めた。
国を変えると誓った。
それでも――
(それは、本当にあなたのためになるの?)
王女としての責務。
国を背負う重圧。
派閥争いという底なしの泥沼。
そんな世界に、アイオンを引きずり込んでいいのか?
ただ傍にいてほしいという理由だけで、彼を縛っていいのか?
(……違う)
胸の奥で、かすかな声が響く。
(私が本当に望むのは、アイオンと一緒にいること)
王位も、権力も、派閥も――
それらは全て手段に過ぎない。
本当に欲しいものは――
(……彼の隣にいる権利)
平民と王女。
その隔たりを壊すために、王になる?
(そうするのが正しいと思った。国を変えれる程の愛なら、遠すぎる彼の傍にいられると……)
別の選択肢が、ふと脳裏をよぎる。
(――王位を捨てる?)
一瞬、その考えが頭を支配した。
王女をやめて、ただの女性として、アイオンの隣に立つ。
(……できるわけないわ。私の価値なんて――)
頭を振る。
これは、もう乗り越えたはずの悩みだった。
(これじゃあ、アイオンに会ってから何も変わってないって事になるわ)
彼と出会い、運命を感じ――
確かな温もりを得たはずなのに。
少しの揺らぎで、その確信は簡単に崩れてしまう。
(……弱い女ね。これじゃあ、あの子以下じゃない)
一緒にいられる道をあえて離れ、成長のために別の道を選んだ恋敵の姿が脳裏をよぎる。
(……悔しい。でも、どうにかしないと――)
考え続けても、答えは出なかった。
その時――
「誰か来てくれ!地下から人を運んできた!」
兵士の叫び声が響く。
ジーナは顔を上げた。
「怪我人だ!すぐに手当を!」
周囲が一気に騒然となる。
ジーナは反射的に駆け出した。
(……アイオン!?)
心臓が大きく跳ねる。
砦の入口に、兵士たちが誰かを運んでくる。
近づいて――
それは、アイオンではなかった。
血まみれで倒れているカイル。
兵士たちが慎重に地面へと下ろす。
「地下で倒れてました!」
「槍が折れてて、傷も深い!誰かと戦ったようです!」
ティアナがすぐに駆け寄る。
「私が診るわ!」
回復魔法の光が灯る。
カイルの傷が、少しずつ癒えていく。
ティアナは額の汗を拭い、深く息をついた。
「これで大丈夫。あとは休めば回復するわ」
カイルが薄く目を開けた。
「……助かった。済まねぇな、ティアナ」
軽口を叩く余裕がある。
その様子に、ジーナは強い口調で詰め寄った。
「アイオンは!?アイオンはどこに!?」
カイルは、小さく笑った。
「……地下の奥に進んでった。あの扉の方にな」
ティガル族の戦士たちがざわめいた。
『……!』
『あの男は……!』
ギルバートが近づき、ヘミングに問う。
「何を騒いでるんだ?」
ヘミングは戦士たちの言葉を聞き取り、答えた。
「……オルグ爺さんを殺した奴だ、と」
空気が、一瞬で凍りつく。
ティガル族の戦士たちが、殺気を帯びた視線でカイルを見据える。
だがカイルは動じず、苦笑した。
「俺を殺すか?その権利は、お前達にはあるな」
ジーナが間に入って問う。
「アイオンに負けたのね?」
「……まぁな」
短い返答。
グレイスが近づく。
「なぜ生きてる?手加減でもされたか?」
カイルは顔を歪めた。
「……あいつが未熟だから、生き残ったんだってよ。とどめを刺せって言ったんだがな」
ヘミングがそれをティガル語に訳す。
グラムが厳しい表情で応えた。
『……アイオン様が生かしたのなら、我らが何かをすることはできない。何が彼の不利益になるかわからないからな』
戦士たちは不満を滲ませながらも、武器を収めた。
カイルは空を仰ぐ。
(……ここでも、殺しちゃくれねぇか)
ジーナが兵士たちに向き直る。
「地下の捜索は?アイオンは――他に人はいなかったの?」
兵士は首を振った。
「何もありませんでした。人の気配もなく……あるはずの扉も、なくなっていました」
ジーナの顔から、血の気が引く。
「……そんな事って……」
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昼の光が、静かに砦を照らしている。
雪原は静まり返り、風だけが吹いていた。
ジーナは、砦の地下へと続く入口を見つめている。
(……アイオン)
扉は消え、人の気配もない。
(……どこに行ったの?)
胸の奥を、不安が締め付ける。
そんなジーナにグレイスが近づいた。
「ジーナ」
振り返ると、彼がそこに立っている。
「あいつは大丈夫だ。信じてやれ」
「わかってる。でも……もう時間も経ってるのよ?」
不安が、そのまま声に滲んでいた。
グレイスは肩を竦める。
「焦るな。あいつはそう簡単に死ぬタマじゃない」
そう言って、ジーナの肩を軽く叩く。
ジーナは唇を噛み、静かに頷いた。
「……そうね」
再び、地下を見つめる。
(……待ってる。必ず帰ってきて、アイオン)
風が吹き、雪が舞う。
静寂だけが、砦を包み込んでいた。




