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メリッサの直感

フォスターが扉の前で立ち止まった。

部屋を出たアイオンの足音が遠ざかると、彼は深く息を吐いた。


「……なんとか、納得したようで」

「助かったわ、フォスター公爵」


フォスターの視線が机の上の書簡に向かう。

王立学園の封蝋が押されたそれは、ジーナの行動に対する報告書。

既に街中に話は伝わっていると考えていい。


「公衆の面前で彼に飛びつき、そのまま手を引いて個室へ。……余りにも節度のない行動だと思いましたが、広める事が目的でしたね?」


「……そんなつもりはなかったわ。抑えきれなかったのよ」


「しかし、彼は街に出れば王女に手を出した者だと後ろ指をさされる。下手をすれば不敬罪だが……あなたの立場から考えれば、そうなる事はないでしょうな」


ジーナはわずかに笑みを浮かべた。

その笑みは先ほどまでの少女のものではなく、確信めいた笑みだった。


「あなたが早く教えてくれてれば、人前であんな事はしなかったわよ。これは本当」


「……代わりに、我が家で逢瀬を重ねてましたか?」


「無粋ね。メリアもそうだけど、私を考えなしの女だと思ってるのかしら?」


フォスターは小さく笑い、椅子の背にもたれた。

その表情には呆れと、ほんのわずかな感心が入り混じっていた。


「……いくら継承順位六位の第三王女でも、平民と添い遂げる事はできませんよ?」


「わかってるわよ。私は政治の道具として、他国か国内の有力貴族の元に嫁ぐのが役目だもの」


「しかし、今回の事で、平民に手を出した王女だと広まった。これでは、国内の貴族に嫁ぐのは難しくなりますな」


「それだけじゃないわ」


ジーナは髪をかき上げ、ゆっくりと立ち上がった。

その仕草には、まだあどけなさが残っている。

だが、その瞳の奥には、確かな狙いがあった。


「これは保険よ。彼が万が一にも姉に盗られないための。私の手付きのものだと、宣言したの」


フォスターは眉をひそめる。


「……つまり、あなたは彼を――」

「――私の婚約者にするわ」


短く息を吐いて、彼女は微笑んだ。

その笑みは確信を帯びていた。


「アイオンは、ただの村人でも、冒険者でも終わらないわ。きっと近い内に大きな事をして、国中に名を広める。そうなれば、爵位持ちになる可能性が高いわ。……いくら王女に悪評があっても、王族は平民とは結婚できない。でも、貴族なら?」


「……美談になるでしょうな。王女のために名を上げた、元平民との結婚と」


「そのために、時間が欲しいのよ。本当に相思相愛になるための時間が。……今なら邪魔者はいない」


その言葉に、フォスターはわずかに目を伏せた。

どこか切なげな笑みを浮かべながら、静かに言う。


「私としては、彼とはこのまま懇意でありたい。リズも懐いているのでね」


ジーナはわずかに唇を噛み、窓の外を見た。

王都の空はすでに薄曇り。

白い雲の隙間に、冬の光が滲んでいた。


「……妾にでもするつもり?」

「まさか。当人達の心次第ですよ」

「……嫌味な人ね」


フォスターは小さく肩をすくめ、視線を落とした。


(……幼子にまで嫉妬心を向ける。若さだな)



フォスター邸を出ると、夜の王都はすっかり静まり返っていた。

月明かりが石畳を照らし、吐く息が白く揺れる。


待機していた黒塗りの馬車に乗り込むと、御者が軽く鞭を入れた。

ゆるやかに車輪が動き出し、フォスター家の門が遠ざかっていく。


ジーナはカーテン越しにその光を見つめ、深く息を吐いた。

胸の奥に、まださっきの余韻が残っている。


「……少し、やりすぎたかしら」


馬車の向かいに座るメリアが、小さくため息をついた。


「“少し”どころではありません、ジーナ様。既に噂が駆け回っています。“黒髪の美少年が王女を抱き締めていた”と。――私には、戸惑って立ち尽くしていただけにしか見えませんでしたけれど」


「そ、そう。でもいいじゃない。少しくらい誇張された方が面白いわ。――できれば、バルガ帝国にも届いてほしいくらい」


「……恋敵の耳にも入ればいいと?」


「それくらい望んだっていいでしょ? 一緒に旅立っておいて、離れるなんてありえないわ」


ジーナは小さく笑い、背もたれに身を預けた。


「この話はここまで。――フォスター公爵が正式に手を貸してくれるわ。これで、貧民たちに新しい土地を与えられる」


「移住計画も終わり目前ですね」


「ええ。王からは“好きにしろ”と言われているもの。王都に冬が来る前に終わりそうで安心したわ。……民の寒さも知らず、玉座でぬくぬくしてるだけの愚物なんて、最初っからどうでもいいけど」


メリアは思わず顔をこわばらせた。


「ジーナ様……! 御者に聞こえたらどうするんですか!」


「へ、平気よ。あの人、耳遠いし」


ジーナは小さく笑い、視線を窓の外に移した。

王都の灯が遠ざかり、夜風が髪を揺らす。


「――これでリアラを安心させられる。あの子も喜んでくれるわよね。早く伝えたいけど、やる事があるから明日ね」


メリアはその横顔を見つめながら、小さく息をついた。


(……はぁ。最近のこの方には本当にひやひやします)



馬車が止まると、冷たい夜風が頬を撫でた。

扉を開けた御者が恭しく頭を下げる。


「冒険者ギルド前に到着いたしました、ジーナ様」

「ありがとう」


ジーナはマントの裾を整え、石畳に降り立った。

夜でも灯りの絶えないギルドの建物が、静かな威圧感を放っている。


中へ入ると、若い男性職員が驚いたように立ち上がった。


「お、王女殿下……!? こ、こんな時間に……」

「指名依頼を出したいの。これを」


ジーナは一切ためらう事なく、封印済みの書状を差し出した。

王家の印が押されている。


「か、確認させていただきます!……王立学園の、実地試験の護衛役ですね?」


「ええ。指名依頼よ。対象は一名。Cランク冒険者――アイオン」


メリアは後ろで肩をすくめる。


「ジーナ様、もう少し穏やかにお伝えになった方が……」


「もう夜も遅いし、早く済ませた方がギルドにも良いでしょ?」


職員は慌てて書状を受け取り、深々と頭を下げた。


「かしこまりました!……このアイオンは、今王都にいるんですか?」


「ええ。明日、受けに来ると言っていたから、対応してあげて」


それだけを残し、足早に去っていく。

外へ出ると、冷たい風が頬を打つ。

ジーナは小さく息を吐き、空を見上げた。


「よし!後は明日の炊き出しの準備をしている人達の様子を見に行って、王城に戻りましょう!」


メリアはかしこまり、頭を下げる。


ジーナを乗せた馬車は、夜の街を駆けていく。

王都の夜が静かに流れていく。



翌朝。

王都の冒険者ギルドはやはり静まり返っていた。


しかし、受付の奥では、書類を仕分ける音が絶えない。

朝早くから職員は指定依頼や秘匿依頼の山を処理していた。


バルナバとスパールの冒険者ギルドに対する制裁案をまとめ終えたメリッサは、机の上の封書を手に取り、その印章を見て眉を上げた。


(……ローズレッド王家の紋章?これは……)


そこには依頼文が一枚。

差出人――ジーナ・ローズレッド。

依頼対象――Cランク冒険者、アイオン。


(王女殿下が……アイオンを指名ですって?)


目を通すうちに、口元にわずかな笑みが浮かぶ。


(……王女は“遊行”でフィギル領地に行き、誘拐され救出された。発表では子爵の私兵と護衛団、そしてオルババ村の自警団と冒険者が救出にあたり、無事に帰還したという内容だった…)


依頼内容は「王立学園実地試験の護衛」。

ただの教育行事だが、それにアイオンを選んだ理由は――


(その中に、アイオンもいたのね。フォスター公爵が言っていた“彼女”というのはジーナ王女の事!間違いない……救出の真実は別にあり、アイオンが深く関わっている!)


メリッサは自身の報告書をまとめ、机に置く。

その指先にわずかな緊張が走った。


(――嬉しい誤算だわ。王家との関係が悪い、ライアの弟子というデメリットを打ち消せる。事実として報告しなかったのは、目立ちたくないというあの子の性格の問題ね。ジーナ王女もそれを良しとした。昨日から噂になっている“黒髪の美少年”というのも、アイオンに当てはまる!)


メリッサは口に手を当て笑みを見せないように隠す。

しかし抑えられない高揚感が体を支配していた。


(王女はアイオンに個人的な想いがある!上手く使えれば……専属冒険者への道は確実になる!)


朝の光が窓から差し込み、机の上の封蝋を赤く照らした。

まるで、それがこれからの波乱を予告するかのように。


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