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王都散策

教会から出た途端、光に目が眩む。

けれど、どこか現実の光ではない気がした。

足元の石畳が淡く白く滲んで見える。


(……まだ残ってるみたいだ。あの“白”が)


息を吸っても、空気の匂いが薄い。

人の声もあるのに、遠くで鳴っているように感じる。


すべてが少しだけ、遠い。

現実に戻ったはずなのに、色が戻りきっていない。


アイオンは掌を見下ろした。

あの時、触れた温もりが、まだ指先に残っていた。


(アルテア……)


名を思い出すたび、胸の奥が揺れる。

世界がまた、ほんの少しだけ白く霞んだ気がした。


暫くして歩き出す。

王都の風が、ゆっくりと現実を取り戻させていくようだった。



王都の空気は、どこまでも澄んでいるのに――どこか息苦しかった。


白い石畳の上を、貴族たちが歩いていく。

衣の裾を風が撫で、宝石の光が朝陽を反射する。

それは美しいはずなのに、整いすぎていて無機質だった。


見回りの兵士が十歩ごとに立っている。

視線は鋭く、通る者をひとり残らず見定めていた。

そのくせ、すぐ脇の影には浮浪者が横たわっている。


ぼろ布にくるまれ、冷たい石に頬を押しつけるように眠る老人。

通り過ぎる貴族たちは誰一人として目を向けなかった。


(……秩序の下に、切り捨てられた現実か)


足を止めると、兵士の視線がすぐに刺さる。

その眼差しは、警戒でも敵意でもなく――ただの“監視”。


まるで、街そのものが生きていて、

人間を選別しているようだった。


アイオンは肩の力を抜き、何事もないように歩き出す。

視線を上げれば、壁のいたるところに金の蝶の紋章。

まるで「ここは女神教の庭だ」と言わんばかりに、街全体が覆われている。


(……美しすぎる街ほど、腐ってる)


吐き出すように、心の中で呟いた。

それでも足を止めることはしなかった。

前へ進むたびに、王都の“真の姿”が少しずつ見えていくようだった。



商店街らしい場所にたどり着いた。

しかし、バルナバやスパールであった喧騒のようなものはない。


まだ昼前だから活気がない、というわけでもない。

単純に――感じられなかった。


商人なら当たり前にある、熱を。


並ぶ店は立派で、どの棚も整えられ、埃ひとつない。

果実は磨かれた宝石のように輝き、布は風を受けてゆるやかに揺れていた。


それでも、売る声がない。

呼び込みも値切りもなく、ただ“取引”だけが淡々と繰り返されている。


「女神の恵みを」

「教皇様の祝福を」


交わされる言葉はどれも同じ。

まるで祈りの定型句のように、抑揚がない。


通りの端には、金糸の法衣を着た徴税官が帳簿を片手に立っていた。

商人たちは一人ずつ小袋を差し出し、沈黙のまま頭を下げる。

それが終わると、笑顔を作って店先に戻る――それだけの繰り返し。


(……税じゃないな。献金か)


「信仰の証」と書かれた掲示板が、通りの中央に立てられていた。

“奉納なき者、光より遠ざかる”――そう刻まれている。


誰も疑問を抱かない。

誰も顔をしかめない。

すべてが、最初から決められた脚本のようだった。


アイオンはその光景を見つめながら、

ただ一つ、心の奥に冷たい違和感を覚えていた。


(生きてるのに、死んでるみたいな街だ……)


通りを進む。

見られる限りの場所は、見ておきたかった。


二度と踏み入れたくない街だと、思ってしまったから。



ギルド区へと続く道は、驚くほど静かだった。

通りを歩く人影はまばらで、聞こえるのは靴音と風の音だけ。


正面に見えた建物は、石造りの壮麗な造りをしていた。

だが、その立派な佇まいは“冒険者ギルド”というより――“監査所”だった。


重厚な扉の前には兵士が一人。

無言で立ち、通り過ぎる者のすべてを目で追っている。


(……見張りの兵士? 冒険者ギルドに?)


怪しみながらも素通りし、扉を押す。

金属の軋む音がわずかに響いた。

中は外よりも冷たい空気に包まれている。


広い受付。

磨かれた床。

そして――誰もいない。


本来なら掲示板の前で依頼を見比べる者たちの声が響いているはずだ。

けれどそこにあったのは、白紙の板。

釘跡だけが、虚しく並んでいた。


(依頼が……ない?)


受付には若い女性が一人。

しかし、顔を上げることなく、書類を整えている。

規則正しく、まるで機械のように。


「すみません」


声をかけても、反応はなかった。

紙を揃える音だけが、規則的に響く。


(こんな堂々と無視って……)


「すみません」


なおも声をかける。

面倒そうに女性は顔を傾けた。


「……なんですか?」

「あの、依頼はないんですか?」


「ランクは?」

「Cランクですけど……」


答えるアイオンに、ため息混じりに鼻で笑う女性。


「この王都に、あなたの依頼はありません。

Sランク、または指名依頼――ギルド専属冒険者様向けの依頼しかありません。お引き取りを」


そう言い、書類にまた目を落とす。


――これ以上話すことはなにもない。


その態度に、答えを見つけた。


(つまり――この街には、“普通の冒険者”はいらないってことか)


胸の奥に、冷たいものが流れた。

あまりに静かで、息を吸う音すら響いてしまう。


足音を残さぬようにして扉へ戻る。

外に出た瞬間、冷たい風が頬を撫でた。


(……そりゃあ、ここで依頼をこなすとか無理だな。イザークたちがすぐフィギル領地に向かったのも当然か)


振り返ると、扉の前にいた兵士がこちらを見ていた。

ついでに話しかけてみる。


「なにから守ってるんです?

冒険者が兵士や領主の私兵に守られるなんて、ないはずですけど」


「……黙って立ち去れ」


アイオンは肩をすくめ、無言のまま歩き出した。


(よくわからないな。これだけ街中の警備に人を割くなら、各領地に派遣でもして治安維持すればいいのに)


仕事の目的もわからず、ただ命じられるまま街を徘徊し、警備する必要のない場所にまで立たせる。


与えられた役割を演じるだけの、舞台の街。

その色が、なおも濃くなっていた。



武具屋が並ぶ通りに入った。

だが、そこに広がっていたのは“戦う者のための店”ではなかった。


ショーウィンドウには、金や銀で縁取られた剣。

宝石で装飾された鎧や盾。

どれも華やかで、眩しいほどに磨かれている。


けれど――どれ一つとして、実用的ではなかった。

刃は装飾に埋もれ、鎧は軽く、継ぎ目の補強すらない。

一撃でも受ければ、粉々に砕けるだろう。


(……戦うための武器じゃない)


値札には目を疑うような額が並んでいた。

その横には小さな札が下がっている。

“女神教公認”――そう刻まれた印。


信仰の名を掲げるだけで、価値が跳ね上がる。

買うのは戦士ではなく、貴族や官吏。

彼らにとって武具は、命を守るものではなく――地位を飾る品だった。


「この剣は、祝福を受けた特別製です。

女神像の前に飾れば、家に光が満ちるでしょう」


店主が別の客にそう告げていた。

声には誇りがあったが、それは“武職の誇り”ではない。

まるで神官のような響きだった。


(女神の加護、ね……。 本当に欲しいのは“守る力”じゃなく、“見せる信仰”か)


店を出る前、アイオンは一つの剣の前で足を止めた。

他の品に比べれば地味だ。

飾り気のない銀色の刃、黒い革巻きの柄。


だが――一目でわかった。


(……ミスリル?)


指先で刃の根元を軽く叩く。

澄んだ音が返る。


間違いない。

この素材は、今腰に下げている双剣の片割れと同じ質だ。


「これ、古いものですか?」


声をかけると、店主が振り返った。


「ええ。古戦場から回収されたものでしょう。

売れないので、いずれ溶かして再利用する予定です」


「いくらです?」


「底値ですよ。2,000G」


思わず眉が動く。

おそらく、とんでもなく安い値段だ。


「……そんな値段でいいんですか?」


「この街では、使い物にならないものですから。

女神教のお墨付きがなければ、誰も見向きもしませんよ」


皮肉混じりの声だった。

在庫として腐っていた物なのだろう、どうでも良さそうだった。


アイオンは少し考え、腰の双剣の片方を抜く。

光を受けて、刃が微かに青く光る。


「この剣を下取りに出したら、少しは値引きになりますか?」


店主が刃を見つめる。


「ミスリルですね。おそらく、双剣ですよね? もう片方は?」


「折れてしまって、鍛冶屋に材料として売りました」


店主は小さく笑った。


「賢い選択ですね。いいでしょう。差し引き500Gでお売りしますよ」


「助かります」


支払いを済まし、剣を受け取る。

握った瞬間、手の中に“確かな重み”が戻ってくるのを感じた。


「この街でそのような、戦う剣を欲される方は、久しぶりに見ましたよ」


「戦うための物なのに、不思議ですね」


「いやはや、全くでございます」


店を出る。

背後で小さな鈴の音が鳴り、扉が閉まった。


外の光が眩しかった。

だが、その剣の冷たさが、確かに現実を感じさせてくれた。


(……ちゃんとした片手剣の重みだな。慣れないと)


風が吹き抜け、白い街の喧噪が遠のいていく。

アイオンは、そっと新しい剣の柄を握りしめた。



白い街並みの端を抜けると、道の色が変わった。

石畳はひび割れ、ところどころ泥が浮き上がっている。

風も匂いも、さっきまでの王都とはまるで違う。


(……この辺り、整備が行き届いてないな)


鼻をかすめたのは、香の甘さではなく鉄と腐敗の匂い。

遠くからは、笑いとも泣きともつかない声が聞こえてきた。


足を進めるほどに、建物の壁は崩れ、窓は板で塞がれている。

家というより、もはや避難所のようだ。


道端には痩せた人々がうずくまり、空き瓶や木屑を拾っている。

崩れた屋台の下で、子どもが眠っていた。

その傍らで、母親が冷え切ったスープを分け合っている。


(……生きてるのに、死んだような顔ばかりだな)


そう思った直後、ふと気づく。

この空気には、あの整った街にはなかった“息づかい”がある。

痛みも、汚れも、確かに“生きるための音”だった。


(……皮肉だな。死んだ中心部より、こっちのほうがずっと生きてる気配がする)


その時――前方で怒鳴り声が上がった。


「そこをどけ! 通行の妨げだ!」


声の方を向くと、数人の兵士が通りを塞いでいた。

地に伏した男を蹴りつけ、何かを罵っている。


男は血を吐き、口の端を震わせながらも言葉を返す。


「うちの子が、病気なんだ……せめて薬だけは……」


その声を、兵士の一人が踏み潰した。

無感情な瞳で、男の頭を押さえつける。


子どもが泣き叫び、母親が抱き寄せようとするが、

兵士は冷たく突き放した。


「汚らわしい! そんな手で私に触れるな!!」


アイオンは一歩前に出かけ、しかし足を止めた。

助ければ、一瞬だけ救える。

だが、その後はなにもできない――それでは意味はない。


それでも、拳が震えた。

冷たい風が吹き抜け、兵士たちは去っていく。


残された母子が泥の中で膝をつき、

割れたパンを拾い集めていた。

誰も近づかない。


アイオンはその場に立ち尽くす。


光の差さぬ路地に、白い蝶が一羽――舞い降りた。

手を伸ばせば届く距離。

だが、指先で触れる前に、蝶は溶けるように消えた。


(……なにがしたいんだ、お前は)


空を仰ぐ。

白い空は、どこまでも澄んでいる。

だが、地上は濁りきっていた。


母親が子を抱きしめ、わずかに微笑む。

その姿に、アイオンは小さく息を吐いた。


(……強いな)


振り返り、街の中心に向かって歩き出す。

遠くで鐘の音が響く。

どこかで誰かが祈っている。


“光あれ”――


その祈りは、きっとこの場所には届かない。

届かないほうが良いとさえ思える。


どんな形であれ、生きているなら…。


白い街と黒い影の境界を、ひとり越えて。

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