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虚構の都

王都パルキノン。

“光の都”と呼ばれたその街は、今も荘厳な姿を保っていた。


飛空艇のドックを後にしたアイオンたちは、用意された黒塗りの馬車へと乗り込む。


アイオンとリズが隣同士で。

向かいの席にはカストルとメリッサが腰を下ろしている。


窓の外には、石畳の大通りと純白の塔が連なっていた。


蹄の音が響き、馬車がゆるやかに進み出す。


陽光を受けて建物の壁がきらめき、広場では噴水が虹を描いていた。

通りに並ぶ商館の看板はどれも金細工のように美しく、整列する街路樹の葉先まで丁寧に磨かれている。


(……すごいな。今までとは別世界だ)


思わず息を呑む。

辺境の村オルババや地方都市バルナバとは比べものにならない。

人も建物も、まるで“見せるため”に存在しているかのようだった。


リズが小さく身を乗り出す。


「……すごいね」

「リズも初めて見るんだ」


「……小さい頃は住んでたって、ママが言ってた。覚えてないけど……」

「そうなんだ……」


「本当に小さい頃でしたからね。ですが、屋敷の者は皆、リズ様の事を覚えていますよ」


少し恥ずかしそうにリズは顔を背けた。

だが、アイオンの胸にはわずかな違和感があった。


――人が、いない。


いや、正確には“庶民”がいなかった。

歩くのは貴族風の男や、装飾を施した衣を纏う女たちばかり。

たまにいるのは使用人のような服装の人だけ。


子どもの笑い声も、商人の呼び声もない。

通りに並ぶ店先には高級品が並ぶが、買う者の姿はどこにもなかった。


「……なにか変な感じだな」


ぼそりと漏らした声に、カストルが短く頷いた。


「違和感を覚えるでしょうね。これが“王都”です」


「なんというか……こんなに鮮やかな街並みなのに、殺風景というか……」


「なるほど。意外に詩的な方なのですね」


カストルは笑みを浮かべながら続けた。


「人が少なく見えるのは当然です。この大通りは貴族しかいません。

たまに走っている者はどこかに仕えている使用人か、店の小間使いですよ」


「貴族しか? 領地にいるものでは?」


「領地運営は子や側近に任せ、贅沢な暮らしを王都で送る。

――それがこの国の、大多数の貴族のあるべき形なんですよ」


「……そんなものなんですか?」


アイオンの声には、まだ信じがたい色が混じっていた。

カストルは苦く笑う。


「理想を語れば笑われる時代です。

領地経営など地味なことより、神官や上位貴族との交際のほうが“実入り”がいい。

寄進をすれば教皇の祝福を受けられる。

信仰を持てば地位を保てる。――それが今の常識です」


メリッサが小さく鼻で笑った。


「寄進の名を借りた賄賂みたいなものですね。

ギルドでも似たようなことがあります。

女神教から“安全祈願”の名目で金を取られますが、拒めば“異端扱い”。

どこのギルドも渋々払うんです。……フィギル領地のギルドは珍しくどこも払っていませんでしたが、異端扱いもされてませんでしたね。……あそこは左遷先としての役割しかないからでしょうけど」


「異端……」


アイオンは思わず呟いた。


「そんな言葉が、まだ使われてるんですね」


「言葉だけならまだいいですが、実際に排除もあります。

王都では“信者以外”の商会はすでに半分以下です。

貧民は完全に棄民として放置されています。寄進するお金がないからです。

しかし、今回のフィギル領地への移民送りで相当数が減ったとは報告を受けています」


「……信仰の強制ですか」


アイオンの眉がわずかに寄る。

カストルは頷いた。


「それが“秩序”と呼ばれています。

教皇への祈りの額が多いほど自身が出世する――そんな腐敗が根付き、誰も疑わなくなっている」


窓の外に目をやれば、街のあちこちに金色の蝶の紋章が掲げられていた。


旗、壁飾り、屋根の風見――

どれも“女神の象徴”を表しているはずなのに、どこか不気味だった。


「……俗世的な国ですね」


アイオンが呟くと、メリッサが静かに頷く。


「どこを歩いても“人の匂い”がしない。

それがこの王都の一番怖いところです。

この空気に長くいれば、誰でも無感覚になりますよ」


「……公爵様も、そんな中に?」

「ええ。しかし、あの方だけは違う」


カストルの声音が少し強くなる。


「フォスター公爵様は、王都にいながら“まともさ”を捨てなかった。

唯一女神教に屈せず、国と民を守るために政策を取り続けておられる。

それに賛同する方々も、近年は増えています」


「まともさ……」


アイオンはその言葉を反芻する。


(フィギル子爵といい、まともな人ほど孤立していくのかな)



馬車は大通りを抜け、緩やかな坂を上っていく。

街の喧騒が遠のくにつれ、建物の質がさらに変わっていった。


白い石造りの屋敷、門扉に掲げられた紋章。

そして――人の気配が、ほとんど消えた。


リズが小さな声で囁く。


「……空気が苦しい」

「大丈夫?」


リズは小さく頷く。

子どもでも感じ取れるほどに――異質だった。


街の上層に近づくほど、静寂が深くなる。

通りを歩く者は神官か衛兵ばかり。

どの顔も同じ仮面のように無表情で、視線は冷たい。


「中央区です」


カストルが静かに言う。


「ここは王城と大教会、そして上級貴族の屋敷が並ぶ区域。

一般の人間が足を踏み入れることは許されません」


メリッサが小声で付け加える。


「“女神の目”があると言われてる場所です。

実際は監視用の魔導具が設置されてるだけなんですけどね。

それでも不気味でしょう?」


「女神の目……!?」


その言葉にアイオンは驚きを隠せなかった。


「え、ええ。御使ゲンゲ様が作った魔導具の一種ですが……なにか?」

「い、いえ。そんなものがあったら、落ち着いて歩いていられないな、と」


必死で誤魔化す。

誤魔化しきれていないだろうが、それでも押し通すしかなかった。


(なんでそんな名前を……“悪いことしても女神様が見てる”って意味か? ――心臓に悪い!)


リズがカーテンの隙間から外を覗き、すぐに顔を引っ込めた。


「……みんな、笑ってない」


「往来で笑って話すなんて、この街では不可能ですよ。とくにここではね……空虚な街です」


カストルの声は淡々としていたが、その奥にかすかな怒りが混じっていた。


やがて馬車は小さな橋を渡る。

下には透き通る水路が走り、その両側に白い花が咲いていた。

しかし、花を世話する者の姿はなかった。


(見せるためだけの花か……)


アイオンは小さく息を吐く。


「……全部、飾りなんですね」

「そうです。見栄と権威のための飾り。

祈りも、信仰も、女神さえも利用されている」


カストルの言葉に、メリッサが静かに頷いた。


「ギルドも似たようなものですよ。

信仰派の貴族から依頼が来れば、報酬より“寄進”が優先。

“神の意志に反する仕事は控えよ”と、規約にまで書かれる始末です。

上層部――王国冒険者ギルド総責任者は三日に一度は大教会へ祈りを捧げに行ってますよ」


「……冗談ですよね? 冒険者が王族や貴族に畏れる必要ないって、教わりましたけど……」


「冒険者は他国に出られますからね。実力があれば生きていけます。

ですが、我々職員や関係者は違います。

しがらみだらけの中でどうにか息をしなくてはならないんですよ。――滑稽でしょう?」


メリッサの皮肉に、アイオンは苦笑するしかなかった。


馬車の窓外には、再び金の蝶の紋章が並び始める。

まるで街全体が“女神の目”の下にあることを誇示しているようだった。



やがて、街の喧騒が完全に途絶える。

坂を登りきった先、見上げるような屋敷群が広がっていた。


「――もうすぐ着きます」


カストルが手綱を軽く引く。

王都の空気は薄く、冷たい。

だが、その中でひときわ異質な気配を放つ邸宅が一つあった。


純白の外壁に囲まれた広大な敷地。

中央には噴水と花園が広がり、陽光を受けて水面が煌めく。


他の貴族邸とは違い、門に女神の紋章はない。

代わりに掲げられているのは――翼と剣の紋章。


「公爵家の紋章…ですね」

「はい。フォスター家を象徴する印です。

“守護と誓約”を意味します」


その言葉を聞いた瞬間、アイオンの胸に確かな安堵が広がった。


(やっと、まともな場所に来た気がする)


馬車がゆるやかに止まる。

門の前には整列した従者たちが立ち並び、その中央に一人の男がいた。


背筋を伸ばし、白髪を後ろで束ねた壮年の男。

その瞳は鋭く、しかしどこか温かみを帯びている。


「――フォスター公爵、レオ様です」


カストルが静かに告げた。


アイオンは無意識に息を呑み、扉に手をかける。

リズの手を取り、ゆっくりと馬車を降りた。


王都の冷たい風が頬を撫でる。

それでも胸の奥には、不思議な温もりが灯っていた。

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