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そして少年は運命に出会う

飛空艇の船室は淡い魔導の光に照らされ、窓の外には白い雲が幾筋も流れていた。


小さな椅子に身を沈めたリズは、朝が早かった影響か、安らかな寝息を立てている。


アイオンはその隣に腰掛け、静かに息を整えながら、正面に座るカストルへと問いかけた。


「フォスター公爵って、どんな人なんです?」


理知的な顔立ちの男は目を細め、ゆるやかに頷いた。


「信頼に足る御方です。若き頃より剣を執り、幾度となく国境を護られました。その武勇は今も諸侯の間で語り草となっております。加えて血縁と家臣を何より重んじられる方。国そのものをも同じく…私が仕える理由は、まさにそこにございます」


淡々とした声だったが、その言葉の端々には誇りがにじんでいた。

カストルは眠るリズを見やりながら、さらに言葉を重ねる。


「リズ様の母君――オリビア様は、公爵にとって年の離れた腹違いの妹にあたられます。ですが愛情深く接しておられたと記憶しています。此度の来訪も心待ちにされていたのですが…このような形となり、さぞ無念に思われているでしょう」


静かに告げられた言葉に、アイオンは小さく息を吐いた。


「…王国のことは、どう思っているんですか?」


カストルは窓外の流れる雲へ視線を移し、声を落とす。


「―憂えておられます。腐敗と怠惰に沈んだ王国の姿を。ですが、あの方が国を離れれば、それこそ本当の意味で国は終わる。ゆえに王の傍を離れず、公爵領の管理は息子様方に任せ、パルキノンにて目を光らせておられるのです」


言葉の重みが船室を満たす。その沈黙を和らげるように、控えていたメリッサが口を開いた。


「公爵領の評判は冒険者の間でもよく耳にします。治安が良く、街道の整備も行き届いている。冒険者が安心して仕事ができる領地だと」


「皆様に聞かせたい言葉です」


カストルは小さく頷き、表情をわずかに和らげる。


「――ですが現実は厳しい。旦那様お一人が抗ったところで、この国の病巣は変わりません。むしろ、より悪化していく。それほど、この国は歪んでいるのですよ」


その響きに、アイオンはフィギル子爵の言葉を思い出す。


「…王都は魔窟だって、フィギル子爵が言ってました。未だに意味はよくわからないんですけど…何がそんなに悪いんですか?」


「女神教です。――正確には、新女神教。ですが」

「…女神教」


アイオンの呟きに、カストルの視線が鋭くなる。

そして二人を観察する。


「その反応を見るに、お二人は女神教の信者ではないようですね」


メリッサは苦笑して答えた。


「ええ。冒険者ギルドの職員ですから接することは多いですが、私からすればただのお客様のひとつ。…面倒事を持ち込む、がつきますけれど」


「公爵様は…女神教を嫌ってるんですか?」


アイオンの問いに、カストルは短く沈黙した。

その隙を埋めるように、メリッサが柔らかく忠告を添える。


「…あまり公の場で口にしてはいけませんよ?どこに耳があるかわかりませんから」


「…なるほど」


アイオンは内心で苦く笑う。


(政治と宗教とスポーツの話は、ろくな結果を招かない…前世と同じか。ただ、厄介ごとに巻き込まれるのは御免だ)


彼は慎重に言葉を選び、カストルへと向き直った。


「俺自身は女神教の信者じゃないですけど…育った村は、旧女神教の教えが根付いてる村なんです」


「存じていますよ。フィギル子爵様を通じて、すでに旦那様へも伝わっております。“先の一件”の折に…」


「…やっぱり、そうなんですね」


カストルは少し慌てたように訂正する。


「と、言っても知っているのは旦那様のお付の者たちだけですよ。漏れ出る心配はありません。“あの方”からも厳重に言われておりますので」


(“あの方”とは恐らくジーナだろうな)


新女神教にまで伝わっていないなら、それでいい。

しかしその反応に、メリッサが首を傾げる。


「“先の一件”とは…開拓村でのこと、ですか?」


カストルは微笑みで受け流した。


「私の口からこれ以上は。非常に繊細な問題ですので」


メリッサはなおも追及の目を向けたが、カストルの表情を見て言葉を呑み込んだ。


カストルは咳払いをして、場の空気を和らげるように続ける。


「王国の現状は、結局のところ私が語ろうと、メリッサ殿が語ろうと、それは偏った私見にすぎません。旦那様がお話になっても同じでしょう。

なにを信じるかは、あなた自身で決められるべきです。あなたの目を通してしか見えぬ世界があるはずですから。…もっとも、私の発言は旦那様には内密にしていただきたいですが」


その響きはどこか優しく、どこか厳しい。

そして、かつて女神から告げられた言葉を思い起こさせるものでもあった。


アイオンはため息混じりに笑う。


「ですが」


今度はメリッサが口を開いた。


「あなたは冒険者だということを忘れないでください。女神教からも、王族や貴族からも依頼は来ます。その依頼を受ける以上、悪感情を持たれては支障が出る恐れがあります」


それは忠告に見えて、実際には圧力でもあった。


(本当に厄介ね…!ただの貴族ならまだしも、フォスター公爵となると…)


メリッサの視線がリズへと移る。

アイオンの隣で小さな寝息を立てる少女に、どうしようもなく苛立ちが募った。


当のアイオンは、その真意を知ることもなければ、気づこうともしない。


(…俺は世界を見たいからなっただけだしなぁ。依頼元がどこだろうと、正直どうでもいいし…)


そう心の中で呟きながらも、彼はメリッサへ小さく頷いた。

ここまで世話になった相手の忠告を、無下にする気はなかった。


しかしカストルはそんなメリッサを見やり、静かに言葉を添える。


「どういった思惑が絡もうと…自分を持つというのは立派なことです」


船室に静けさが戻る。

ただ、飛空艇が雲海の上を進む音だけが響いていた。

リズの小さな肩が、揺れに合わせてゆるやかに上下している。



夜。

飛空艇の船室は淡い光に照らされ、昼間よりもさらに静かだった。

窓の外には月が浮かび、雲の切れ間から覗く星が、空の深さを思い出させる。


アイオンは椅子に腰掛け、剣を脇に立てかけたまま、静かに目を閉じていた。

隣の寝台では、リズが小さな寝息を立てている。

頬にかかる髪が呼吸に揺れ、安らかさを伝えていた。


(フォスター公爵か…。話に聞く限りでは悪い人ではなさそうだ。リズも安心かな…)


今の自分にとって一番大事なのは、リズの今後。

それが少しでも明るいものなら、それでよかった。


(しかし、新女神教。あそこまではっきりと病巣と言われるとは…)


今現在の女神教がどんな状態にあるのか。

何も知らずにここまで来てしまったが、非常に危ういところにいるのでは?と思い始めていた。


(間違ってもクソ女神の事はバレないようにしなきゃな…)


そう思いながらも、心の奥底で拭えない違和感が燻っていた。

――女神に見捨てられた世界。

その原因も、パルキノンでわかればいいんだが。


(結局、どこに行っても何かが“足りない”んだよな…)


思わず小さく笑い、リズの寝顔を見た。

幼い少女の安らぎは、言葉よりも強く胸に沁みてくる。



朝日が雲を朱に染める頃、飛空艇は王都の上空へと差しかかっていた。


眼下に広がるのは、城壁に囲まれた巨大な都市。白い石造りの建物が幾重にも並び、中央には王城がそびえ立っている。その尖塔は雲を突き抜けるほどに高く、遠目にも威容を放っていた。


「――見えてきました」


カストルの静かな声が船室に響く。


アイオンは窓辺に身を寄せ、息を呑んだ。これまで訪れたどの街とも比べものにならない規模と整然さ。人と馬車が蟻のように行き交い、城門前には長蛇の列ができている。


「すごい……」


リズが小さな声を漏らした。まだ幼い彼女の瞳に、広大な景色は圧倒的だった。


飛空艇は街の中心部へは向かわず、王都外壁に設けられた専用のドックへと降下していく。


そこは貴族や王族のために造られた、巨大な石造りの停泊場だった。高く伸びた支柱には鎖と魔導具が取り付けられ、飛空艇の浮力を安定させる仕組みになっている。


船体がゆるやかに傾き、やがて軽い衝撃とともに静止した。


「到着いたしました。ここからは地上での移動となります」


カストルが立ち上がり、扉を開く。


外気が流れ込み、石畳の匂いと街のざわめきが押し寄せてきた。

甲板に出ると、そこには鎧をまとった公爵家の兵たちが待機していた。彼らは一斉に膝をつき、カストルに敬礼を送る。


アイオンは隣で不安げに袖を掴むリズの手を取り、深呼吸をした。


(いよいよか…。ここが、ローズレッド王国の中心―王都パルキノン)



飛空艇を降り、歩き出そうとしたそのときだった。


隣のドックに、もう一隻の飛空艇が静かに滑り込んできた。

白金に輝く船体。側面には蝶の紋章が刻まれ、陽光を受けて淡く輝く。

その光景だけで、周囲の空気が凍りつく。


「――女神教です」


カストルの声が低く震えた。

すぐにリズの前に立ち、アイオンを壁際へ押しやる。


「目を逸らさないで。だが、絶対に直視はするな」

「え……?」


「――教皇ベゼブです」


その名を告げるだけで、場が一段と静まった。

空気が張り詰め、風までもが息を潜めるようだった。


白金の飛空艇の扉が開く。

眩い光を背に、白と金の法衣を纏った神官たちが次々と姿を現す。

そして、その中央に――。


ゆっくりと、一人の女が歩み出た。

雪のように白い法衣。

その顔は穏やかで、ただ冷ややかな瞳だけが覗いている。


「……あれが、女神の代弁者……」


アイオンが小さく呟く。


ベゼブは一瞥すらくれず、足を止めることもなく歩く。

その動きひとつで、兵も神官も、貴族も、誰もが膝を折った。

ただ歩くだけで、人々の意識を支配する。

いや、そうするように――強要しているようだった。


(……ただの人にしか見えないけど)


アイオンは内心、ガッカリしていた。

あのクソ女神のような――黒衣の女のような神聖さも、圧倒的な存在の格も、何一つ感じなかったから。


だがそのとき。


ベゼブの背後――

列の最後尾に、一人の少女がいるのに気づいた。


白の法衣に、銀灰の髪。

年の頃はアイオンと同じくらい。


凛とした気配を纏いながらも、どこか儚げで、人の温もりを残していた。


彼女は歩みを止め、ゆっくりと顔を上げた。

そして、アイオンを見た。


ほんの一瞬目が合う。

それだけなのに、時間が止まったように感じた。


(――あ……)


言葉にならない。

その瞳は光を宿していた。

強く、優しく、どこか懐かしい。


胸の奥が軋む。

痛みではなく、確かな“何か”が呼び起こされるような感覚だった。


だが、少女はすぐに視線を外し、列に戻る。

まるで最初から何もなかったかのように。


ベゼブはそのまま振り返ることもなく、静かに歩み去っていった。

神官たちの列が遠ざかるにつれ、張り詰めていた空気がゆるやかに解けていく。


「……行きましょう」


カストルが息を整えながら促す。

その声音は低く、しかし冷静だった。


「運がいいのか悪いのか……初めて王都に来て、あれに会うとはね」


メリッサの呟きを耳に、アイオンは頷きながらも、視線を少女の方へ向ける。


白金の列が角を曲がり、ゆるやかに消えていく。

その最後尾で、少女だけが――ほんの一瞬だけ、振り返った気がした。


風が頬をかすめ、鐘の音が遠くから響く。


(あの少女……なんなんだ……?)


胸の鼓動が、まだ収まらなかった。

その音は、これから訪れる運命の予兆のように――静かに響き続けていた。



王都の石畳を歩きながら、少女は一度だけ振り返った。

人波の向こうに、小さく見えた少年の姿が、なぜか離れなかった。


――綺麗な魂の色だった――

全話細かい修正を終えましたので再開します。

非常に疲れストックもないので更新は不定期になりますが、読み直ししながら気長にお待ちしていただければと思います。

改めて、よろしくお願いしますm(_ _)m

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