カーラの恋心
家を飛び出す。
時間がかかればそれだけ危険が迫る。
「おい! アイオン!」
カーラの呼び掛けに軽く視線を向ける。
しかし止まる時間はない。
「すみませんが急ぎます! では!」
カーラに軽く挨拶し、そのまま体に魔力を巡らし、一気に駆け出した。
「うわっ! おい! どこに…えっ、はやっー」
既に背中は遠くにあった。
いつもより速く駆けていく。
「…どこに?」
アイオンの家に目を向ける。
ナリアが心配で来てしまったが…大丈夫なのだろうか?
開いたままの扉越しに、家の中の様子を伺う。
「―では、な…ですか〜?」
「わか…ないわ―」
ベティとレアの声が聞こえた。
(私にできる事はあるだろうか…?)
家の中に入ろうとした、その瞬間――
『…あの子、“クソ女神か?”な…て言って…したけど〜。レ…様、…神様の…渉があったのでは〜?』
ベティの言葉が耳に刺さる。
クソ女神…? 女神様のこと?
(この村でそんな風に女神様のこと言うの……あいつしかいないだろ…)
三年前の淡い記憶が蘇る。
自分の痛い経験と…恋心の始まりを。
##
三年前
カーラが13歳だったあの日、事件は起きた。
昼前のオルババ村に、数名の賊が侵入してきたのだ。
村の周囲は丸太と柵で囲まれていたが、畑に繋がる裏道は監視が甘かった。当時、畑仕事で人が出払っていた家々に、賊は忍び込み、金品を物色していた。
「…」「…」「…」
無言で目線を交わしながら、賊たちは手際よく盗みを働く。ある程度の物を奪い、そろそろ出ようかという時だった―
「…誰だお前ら?」
ちょうど畑から戻ってきたカーラが、賊たちを見つけてしまった。
「見たことない顔だな。こっちは畑だぞ?」
「…」「…」「!」
無言のまま、賊たちの視線がカーラに向く。
「―誰かー!!」
カーラは大声で叫び、周囲に知らせようとする。だが、あっという間に囲まれてしまった。
咄嗟に、服に留めていたお気に入りの蝶のブローチを外し、遠くへ投げる。
「誰かー!!」
だが、誰も来なかった。
賊はカーラをそのまま連れ去った――。
#
しばらくして、その道を通ったのが、アイオンだった。
かすかな叫び声が風に流れてきていた。
辺りを見渡し、荒れた足跡を拾う。
(これは…誰のだっけ?)
草むらに落ちていたブローチに気づく。白い蝶を模した、古い品だった。
(まぁいいか。誰のでも)
足跡の先へ進むと、破壊された柵を発見。その先には、森が広がっていた。
踏み荒らされた草の痕を辿って――アイオンは森の奥へ消えた。
#
目を覚ました時、カーラは暗闇の中にいた。
目も口も塞がれ、手足は縛られ、身動きが取れない。
「…っ!」
もがくが、拘束は外れない。
「大人しくしてろ!」
怒鳴り声に、身が竦む。
「いや〜、大した稼ぎっすね! それに上玉のガキまでいるとは! いくらで売れるでしょう?」
「まったくだ。あの村、自警団があるって話だったが、簡単に入れたな」
「入り口しか見てねぇんだよ、あんな田舎。何か起きなきゃ危機感なんて芽生えねぇ」
笑いながら村を貶す声に、カーラは悔しさを噛みしめる。
「こう考えると、俺たちのやったことは善行じゃねぇか? ちょっとの金とガキ一人で、今後の被害が減るんだからな!」
「ガハハッ! 善人だな俺たち!」
――ふざけんな!
「で、このガキどうする? 顔は整ってるし、高く売れるぞ」
「ああ。ガキには興味ねぇが、金にはなる。変態なら山ほどいる」
「まったくだ。なんでガキがいいんだろうな。普通の女買って遊んだ方がいいだろってのに!」
(こいつら…!)
「…兄貴たちが興味ないなら…味見してもいいですかね?」
言葉に、思考が止まる。
「あ? お前、そっちの趣味だったのか?」
「いやいや。気の強い女を無理やり、ってのが堪らないんですよ!」
(気持ち悪…!)
「おい、売り物に手を出して値が落ちたらどうすんだ?」
(そうだ! 止めろ!)
「じゃあ、今回の取り分いらないっす! その分、兄貴たちに!」
「…それなら」「まあ、いいか」
(良くねぇよ!!)
カーラは縛られた手足を必死にばたつかせる。
「へへっ…ありがとうございます!」
「じゃ、俺たちは少し外す。しばらくしたら戻るから、終わらせとけよ」
「…見ててもいいですよ?」
「本当に気持ち悪いな…。魔物が出るかもしれねぇ。聖水で抑えてるが、警戒しろよ」
足音が離れていく。
「へへっ…待たせたな、嬢ちゃん!」
目隠しが外され、日光に目が眩む。
「ほら、口も外してやる。喋るんじゃねえぞ? なんかしたら刺すからな!」
口を塞いでいた布も外された。
「…汚ねぇ顔近づけんなよ歯抜け。くせーんだよ」
「ひひっ…いいねぇ! 楽しめそうだ!」
「縛らなきゃガキ一人襲えねぇのか? だから女に相手にされなくて、子どもに手出すんだろ?」
「その減らず口がどこまで続くか、楽しみだぜ…!」
服に手がかかり、ボタンが外されていく。
「やめろ、変態! 離せっての! せめて無理やり剥ぎ取るぐらいしろや!」
「ひひっ、じっくり楽しみたいんだよ。…やっぱり胸は大ハズレだな」
(まだ13だぞ!? これからだってのに…!)
「やめろ! 助けてー! 女神様ぁー!!」
「騒いだって、誰も来ねーよ!」
――あぁ、もう最悪だ…!
「…助ける気をなくすようなこと、言わないでほしいですね」
「…あ?」
声が聞こえた。歯抜けと一緒に、カーラも視線を向ける――が、誰もいない。
「ぐばっ!」
歯抜けの体が、カーラの上から吹き飛ぶ。突如現れた少年――アイオンが、奴を蹴り飛ばしていた。
「お、お前!アイオン!?」
「大丈夫ですか?」
淡々とした声。ラクトさんの息子で、死にかけた後、別人のようになったと言われている子だった。
「なんでここに?」
「叫んでたでしょ? たまたま聞こえただけです」
「こ、このガキ! いきなり顔を蹴るなんて、どういう教育されてんだよ!」
歯抜けがナイフを構える。
「…賊に躾を語られるのは、笑うとこですか?」
「うるせぇ! このナイフで―!」
「結構です。余計な傷を増やす気はないので」
その言葉と同時に、アイオンの姿が消えた。
気づけば、歯抜けは地面に倒れていた。
「この距離なら、この速度でも問題ないか。けど、長時間戦闘には不向き。どう調整すれば―」
ぶつぶつ呟きながら、ナイフを拾ってカーラの元へ向かう。少し怖い…。
けれど、手足を縛るロープを切ってくれた。
「あ、ありがとう。でも、あと2人いる!」
「もう倒しました。少し先に。こいつもそうですが、足を折ってあるので動けません」
淡々とした声で、さらっと怖いことを言う。
「そ、そうか…ほんとに助かったよ」
解放された手足を動かし、痺れを確かめる。
助かった安堵と、起きたことの恐怖が重なって、体が震えてきた。
アイオンは、自分の上着を脱いでカーラに渡す。
「…賊を見つけた時は、むやみに声をかけない方がいいです。何かあってからじゃ遅いですから。今日はたまたま俺が気づいただけで、次はわかりませんよ」
小さな少年に説教される形になり、少し情けなかったが、上着はサイズこそ合わないものの、着られないほどではなかった。
「…はい。すみませんでした」
「その言葉は、家族にどうぞ。それと―」
そう言って、ブローチを手渡してくれる。亡き祖母からもらった、白い蝶のブローチ。
「なにもしてくれないクソ女神に祈るより、最後まで抵抗する方が、よっぽど有意義ですよ」
「なっ…! お前、女神様に何てことを!?」
オルババ村は、女神教のレア様を中心にまとまっている村だ。そこで、そんな言い方をするなんて―!
「…失礼。少し緊張していて、口が滑りました」
「緊張って? 賊を倒したのに?」
「―知らない人と二人になるの、初めてで」
「は? 知らない人って…私のこと知らないの?」
教会の勉強会、一緒に受けたじゃないか! 病気が治った後、お見舞いにも行ったぞ!
「ええ。誰です? あなた?」
「か、カーラだよ! カーラ!」
(本気で言ってる!? こいつ、本当に人が変わっちまったんだ…!)
「カーラ―そうですか。じゃあ帰りましょう。みんな心配してます」
アイオンが手を差し伸べる。
「…なんなんだお前は!」
その手を、カーラは思わず握った。
「口が悪い人ですね」
冷たい手だった。
「お前に言われたくない!」
けれど、優しく握り返してくれた。
震えは――もう、止まっていた。
あの日以降、村から畑へ続く道にも常時、自警団が配置されるようになった。
皮肉にも、あの賊が言った通り、村の警戒は強化され、同じ事件は起きなかった。
そして―
##
(あいつが悪い! いつも邪険に扱いやがって!)
物陰に隠れ、聞き耳を立てていたカーラ。けれど、もう会話は聞こえなかった。
ベティが床に寝転がる。どうやら、少し休むようだ。
(…ご飯、作って持ってこよう)
アイオンがどこに向かったのかはわからない。だが今、レアとベティは、ラクト家のために動いている。
(今の自分にできることをしよう)
アイオンに気に入られたいわけじゃない。
そんなことで、あいつが振り向くはずがない。
ただ、あの日の恩を返したいだけだ。
胸元で、蝶のブローチが今日も輝いている。




