空の旅へ
翌朝。
ギルドの一室で休んだ二人は、身支度を整えるため宿屋へ戻っていた。
アイオンは眠たげに目をこするリズを見やり、胸の奥で小さく息を吐く。
(…聞かなきゃならないよな。嫌なことを思い出させてしまうけど)
リズに確かめなければならないことがあった。
どこから来て、どこへ向かう予定だったのか。
フォスター公爵を知っているのか。
迎えが来てからでは遅い。
もしリズが悪感情を抱いている相手なら、簡単に預けるわけにはいかなかった。
「ちゃんと眠れた?」
柔らかな声に、リズはこくんと小さく頷いた。
アイオンは息を吸い、顔を少し傾けて尋ねる。
「ねぇ、リズ。…家族のこと、教えてくれる?」
その言葉にリズは目を見開く。
「ごめん。辛いのはわかってる。でも、大事なことなんだ」
ためらいながらも、リズは小さく頷いた。
「リズは、バルナバに住んでるの?」
「…パパと、ママと、…べ、ベラックって街に…住んでた」
(聞いたこともない街だな…)
「ベラック、か。小さな街なのかな?」
「…うん。ローズレッド王国じゃ、ないの。ちいさな国の…街」
(たしか主要国家の他に小国がいくつかあるんだっけ)
言葉を紡ぐたびに、声は震え、細く頼りなくなっていく。
「それでね…スパールに行く途中で…」
アイオンは静かに続きを待った。
「おじさんに、会いに行くはずだったの。…こうしゃくさまのおうちに…でも、その…」
リズの瞳が揺れ、声が途切れる。次の瞬間、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「…でも…でも…」
嗚咽が喉を塞ぎ、言葉にならない。
アイオンは慌てず、そっと肩に手を置いた。
「もういい。ごめん。よく分かった」
優しい響きに、リズは顔を覆って小さく震える。
小さな肩が震え、涙が止めどなく零れ落ちていった。
アイオンはその頭を撫で、低く囁いた。
「…ごめんね。嫌なことを思い出させて」
リズは首を横に振るが、嗚咽で声は出ない。
アイオンは苦しそうな表情を見つめながら、静かに言葉を続ける。
「大丈夫。俺が傍にいる。怖いことは、もうない」
リズの小さな手が、ぎゅっとアイオンの袖を掴む。
その仕草に、彼はただ微笑みを返した。
「…なにか食べに行こうか。この街にいるのは、あと少しだから。甘いものでも食べに」
リズは涙を拭い、小さく頷いた。
(…失敗したな。さすがに早すぎたか)
アイオンは自分の判断を悔やむ。
確かめねばならないことではあったが、本来ならもっと時間をかけて聞くべきだった。
それでも、おぼろげながら事情は見えてきた。
公爵に会うため王都へ向かう途中、賊に襲われた。
バルナバを経由したのは…ベラックがバルガ帝国の近くにあるから、だろう。
考えを巡らせながら荷物をまとめる。
自分の荷は少ない。
だが、リズと家族の物と思われる荷も抱え、両手が塞がってしまった。
「先にギルドに寄って荷物を預けようか」
「…うん」
ぎこちなく笑い、二人は部屋を出る。
短い滞在ではあったが、良い宿屋だった。
#
二人は宿を後にし、冷えた空気を吸いながらギルドへと足を向けた。
まだ人影の少ない街路を歩く。
空はどんよりとしており、いつ雪が降ってもおかしくなかった。
「これなら、もうイスラが向かってる方角は雪が降ってるかもね」
「…お馬さん、走れなくなる?」
「雪用の蹄鉄(靴)を履いていたから大丈夫だよ。ゆっくりでも、進めるはず」
「…そっか」
リズはアイオンの手を握ろうとするが、荷物で塞がっており諦めた様だった。
(ナリアもこんな感じだったな)
暫く会ってない妹を思い出し、ゆっくりとギルドに向かった。
#
ギルドに着くと、中は既に賑わっていた。
冒険者たちが依頼を確認し、書類の束を抱えて行き交っている。
テーブルに一人座っていたメリッサが、すぐに二人に気づき、微笑みを浮かべた。
「おはようございます。ギルドではゆっくり休めました?」
「はい。助かりました。―迎えが来る前に外で食事をしたいので、この荷物を預かってもらいたいんですけど、大丈夫ですかね?」
「私がいますので大丈夫ですよ」
「助かります」
アイオンが差し出すと、メリッサは荷物を受け取る。
そして予定をスラスラと話す。
「迎えは今日中に到着する予定です。時刻までははっきりしていませんので、食事を済ませたらこちらに戻って待機してください。食事以外にも、なにか他に用事はありますか?」
「そうですね、武器屋に寄ろうかと」
「…バルナバと大して変わりませんよ」
「そうなんですか?でも、王都の商品って高そうで、ここで新調したいんですよね」
「そうですね…。ただ、見栄え重視で実用性があるかと聞かれれば、“ノー”と言わざるを得ません。…掘り出し物があるかもしれませんし、巡るのも良いでしょう」
その言葉に反応するアイオン。
「見栄えって、必要ですか?」
「…行けばわかりますが、パルキノンにただの冒険者はいません。なので、武器などは貴族の観賞用扱いなんですよ」
「いない?どうして?」
「その話は王都でしましょう」
メリッサは淡々と話を打ち切る素振りを見せる。
無理に続ける事もない。
「わかりました。では、また後で」
「はい。楽しんで」
「どうも。行こう、リズ」
リズは言葉を探すように口を開きかけたが、すぐに視線を落としてアイオンの袖をつかんだ。
メリッサはちらりと視線を向けただけで、特に反応は示さなかった。
#
朝の街は活気を帯び、通りに並ぶ店からは香ばしい匂いが漂っていた。
リズは袖を握ったまま、小さく息を吸い込む。
「なにか食べたいものある?」
アイオンが尋ねると、リズは小さく首を横に振った。
だが、ふと足を止めて視線を向けた先に、屋台があった。
鉄板で生地を焼き、果実を包み込むように巻いた菓子が売られている。
焼きたての甘い香りが漂い、蜜がとろりと滴っていた。
「気になる?」
そう声をかけると、リズは少し迷ってから、恥ずかしそうに頷く。
「じゃあ、あれにしよう」
アイオンは屋台に近づき、二つ注文した。
手渡された薄焼きの菓子は柔らかく、果実と甘いクリームが詰まっている。
(…完全にクレープだな)
リズは両手で受け取ると、恐る恐るひと口かじった。
途端に緊張していた表情が緩み、瞳がきらりと輝く。
「…おいしい」
かすかな声が、街の喧噪に紛れて消えそうに零れた。
「よかった」
アイオンは微笑み、自分も口に運ぶ。
温かい生地と甘酸っぱい果実が広がり、自然と心が和らいだ。
#
通りを歩きながら、アイオンはふと腰の片手剣に視線を落とす。
かつて双剣として使っていた一振り。だが今は片方を失い、無理やり片手剣として扱っている。
(やっぱり扱いづらい…。せめて代わりを探しておきたいけど)
「ちょっと寄りたいところがある」
そう言って、街角の武器屋へ足を向けた。
店の中は金属の匂いと熱気が漂い、壁に武器がずらりと並んでいる。
アイオンはいくつか手に取ったが、素材の質も重さのバランスも悪い。
バルナバの時と同じだった。
「…やっぱり、ないか」
小さく呟いて剣を棚に戻す。
店主が苦笑しながら言った。
「悪いな。王都寄りの街に行けば多少は揃うが、ここじゃこの程度さ」
「王都にはないんですよね?」
「あそこは貴族や王族、女神教の方々のための街だ。飾り物はあれど、兄ちゃんが求める剣は一本もないさ」
「兵士や騎士のための武器も?」
「ハッハッハ! まともな騎士は金をかけて他所から取り寄せるが、兵士が使うのはここと変わらん。もっとも砦の守備隊は別だがな」
「へぇ。どうも」
軽く頭を下げ、店を出た。
リズは特に興味を示さず、退屈そうに待っていた。
その様子を見て、アイオンは苦笑する。
「ごめん、つまんなかったよね」
「…ううん」
リズは首を横に振ったが、その声は眠たげで、気遣いが透けていた。
(いつになったら新調できるやら…)
アイオンは諦めの息を吐き、ギルドへ戻る足を進めた。
#
十字の針が右を指す少し前――。
ギルドの一室で、アイオンとリズは迎えを待っていた。
リズは椅子に腰を下ろしてはいるものの、指先をいじり落ち着かない。
アイオンは隣で余計な言葉をかけず、ただ静かに寄り添っていた。
その時、静かなノックが響いた。
「失礼いたします」
扉を開けて入ってきたのは30歳ほどの男性だった。
整えられた濃い茶の髪に、質の良い布地の衣服。
派手さはないが、立ち居振る舞いには隙がない。
「初めまして、私はカストル。フォスター公爵家よりお迎えにあがりました」
深く一礼し、落ち着いた声で名乗る。声は抑えめなのに、不思議と部屋の隅々まで届いた。
メリッサが微笑んで二人へ視線を向ける。
「これで、王都へ行けますね」
リズは小さく身じろぎし、不安げに視線を落とす。
すぐにそれを察したカストルは膝を折り、彼女の目線に合わせて柔らかく言った。
「ご安心ください。私は味方です。あなたが生まれたときに会ってますが…さすがに忘れてますよね」
リズの唇がわずかに震え、やがて小さく頷く。
アイオンはその様子に安堵し、静かに頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
カストルも丁寧に頭を下げる。
(まともな大人って感じだ。よかった)
――こうして三人は、カストルに導かれスパールの街を後にした。
#
城門を抜けると、冷たい風が頬を撫でた。
丘の向こうに、銀灰色の小型船が停泊しているのが見える。舟をそのまま空に浮かべるために造り替えたような形で、木材と金属を組み合わせた船体には複雑な紋章が刻まれていた。
「あれが…飛空艇…?」
アイオンが思わず呟き、リズも目を丸くする。
「はい。公爵家所有のものです」
先導するカストルが淡々と答える。
その声音は落ち着いていた。
「王族のものに比べれば小型ですが、実用には十分ですよ」
近づくにつれ、船底の透明な結晶が光を反射しているのが見えた。
従者が待ち受けており、深く一礼する。
そして船の一部が変わり、階段のような構造が自動で展開される。
(な、なんだこれ!どういう仕組みだ?さっぱりわからない!)
アイオンは心の底から驚いた。
科学が発達していない世界だと認識していたアストライアで、ここまで機械的に作動する仕組みがあるとは思わなかった。
恐る恐る登り、甲板に足を踏み入れると、板張りの床は固く、かすかな震えが足裏を伝った。
「ではこちらへ。甲板から景色を見たくなるものですが、危険ですのでね」
軽く冗談めかしつつ、船内へと案内する。
辿り着いたのは、落ち着ける簡素な部屋。
窓から外の景色も眺められる。
「ここからなら十分に外を見られますよ」
「ありがとうございます。…本当に飛ぶんですよね?」
「もちろん。私も最初は不安でしたよ。どうやって飛ぶんだ、大丈夫なのかって」
カストルは笑いながら壁際に備えられた水晶の前に立つ。
「あれは小型の伝令魔法の媒体です。各部屋との連絡に使います」
メリッサが小声で補足する。
「では向かいましょう。やり残したことはございませんね?」
「はい」
カストルが伝令魔法で合図を送る。
操縦室から返事が返り、次の瞬間、船体がふわりと浮かんだ。
「…浮いてる!」
窓の外の景色に驚き、リズがアイオンに抱きつく。
アイオンも思わず拳を握りしめた。
地面がゆっくり遠ざかり、街並みが箱庭のように広がっていく。
「た、高い…」
「初めてだと驚きますよね。ですが安心を。仕組みは極めて単純です」
カストルは理知的な声音で説明を続けた。
「船底には、S級の魔物から得られた魔石を収めております。その魔石が常に膨大な魔力を放ち、船体の魔導回路がそれを浮力と推進力に変えているのです」
「…S級の魔物…」
アイオンは息を呑む。
(ヒュドラの未成熟体ですら高額だったって聞いた…。そんなものを素材にするなんて…。魔導回路ってなんだ?)
「王族の飛空艇はさらに上質な魔石を複数搭載し、巨大な艦を浮かべます。それを保有できるかどうかが国の格をも示すのです」
メリッサが補足した。
「一方、その他の飛空艇は小型で移動用。速度と操縦性を重視しています」
揺れはあるが、不思議な安定感がある。
浮遊感は心をざわつかせながらも、高揚感を呼び起こした。
「ただし、この船は長距離飛行には不向きです。魔石の出力は強力ですが、消耗も激しい。ゆえに一度の飛行で移動できる範囲は限られます。…とはいえ、今回の往復には十分ですのでご安心を」
理知的な声が、風を切る音に混じって響いた。
アイオンは言葉を失い、リズは小さな歓声を上げる。
メリッサは表情を崩さず周囲を見回していた。
飛空艇は冬空を滑るように進む。
――置き去られた街並みに、雪が舞い始めていた。




