幕間 訃報
冒険者ギルドの一室。
特別ギルド員としての権限を使い、貸し出された部屋。
そこでメリッサは腕を組み、沈思していた。
(レオ・フォスター公爵――。反女神教を隠そうともしない、珍しい大貴族。
庶民や小領主とは比べものにならない規模と影響力を持つ家柄。
もしアイオンがあそこに目を付けられれば……)
ペン先を軽く叩き、眉をひそめる。
(あの子を保護すること自体は問題ない。けれど、問題はその先。
彼女の存在が“公爵家との縁”となって、アイオンを巻き込む要素に変わってしまう)
窓の外に目をやると、夜の闇に雪雲が重く垂れ込めていた。
メリッサは深く息をつき、机の上の書類を整える。
(けれど同時に――専属冒険者としての道が、確かなものになったとも言える。
オルド支部長が認め、さらにフォスター公爵の後ろ盾が加われば…… 実力、名声、後援――“本物の最強”という肩書きが、現実味を帯びるかもしれない)
皮算用に過ぎない。
だが、それは確かに魅力的だった。
縁ある者がその立場に就くなら、彼女も力を貸してくれるだろう。
(……結局は、連絡待ちね。公爵側がどう動くか――そこを確かめるのが先決)
静かに立ち上がり、窓を開ける。
冷たい空気が頬を撫でるのも構わず、彼女の思考は次の一手を描き続けていた。
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王都パルキノン。
フォスター公爵邸の執務室は、夜の帳に包まれていた。
暖炉の炎が壁に揺らぎを落とす中、分厚い書類を捌いていたレオ・フォスター公爵は、 扉を叩く音に顔を上げる。
「入れ」
姿を現した執事は、深刻な面持ちを隠せていなかった。
その気配だけで、レオはただならぬ報せを悟る。
「――旦那様。先ほど、銀行ギルドより伝令がございました」
「銀行ギルドから? 何の用だ」
低く重たい声。執事は一礼し、慎重に言葉を選ぶ。
「……オリビア様ご夫婦が、辺境にて賊の襲撃を受け、落命されたとのこと。
あわせて、ご息女リズ様は無事に保護されている、と」
レオの手が止まる。
握っていた羽ペンが、乾ききらぬインクを机に落とし、黒い染みを広げた。
「……オリビアが? こちらに向かっているとは聞いていたが……」
低く、深く吐き出された声。
沈黙を破るように、執事が続ける。
「血縁については、銀行ギルドの正式な照合により、公爵様の姪御であることが確認されております。 したがって、訃報は事実と見て間違いないかと」
炎の音だけが室内を満たす。
レオは目を閉じ、深く息を吐いた。
やがて、机を指先で叩きながら、低く呟く。
「――遺産相続人制度か。しかし、照会は拒否していたはず。なぜ私に繋がった?」
「それが、“特別ギルド員による照会要請があった”との報せでございます」
特別ギルド員……?
冒険者ギルドが関わっているのか。
「詳しい経緯は?」
「詳細は未だ不明ですが、ある冒険者がリズ様を保護しているとのこと。
その件について報告があるため、伝令魔法での会談を望まれております。
旦那様ご本人が望ましいとのことですが、信用に足る方であれば代理でも構わぬ、と」
「……そうか」
レオはしばし黙し、ゆるやかに天井を仰いだ。
オリビアは腹違いの妹だった。
年は離れていたが、娘のように可愛がっていた。
妹の笑顔。幼き日の面影。
そして、姪であるリズ――胸の奥に重いものが沈み込んでいく。
「……確か、ベラックからバルガ帝国を経て王都へ向かっていたはずだな。どこのギルドからの報告だ?」
「デオール領地のスパールでございます」
「デオール? フィギルの領地の隣ではないか」
懇意にしているフィギル子爵。
その隣の街からの報せ――。
「……襲撃はどこで受けた? フィギル領内か?」
レオの声に威圧が混じる。
「そ、それまではまだ……。ですが、フィギル領で賊の被害は極めて稀と聞いております」
「……そうか。そうだったな」
自らの動揺を悟り、深く息をつき直す。
しかし次の瞬間――。
「賊に襲われ、奴隷にされかけた娘は無事に戻ってきた。心に傷を負ったが、生きている。
……しかしオリビアは!」
憤りに任せ、机を叩く。
インク壺が揺れ、書類の上に黒い水滴が広がった。
「旦那様……」
「――ふぅ。すまない、一人にしてくれないか」
「かしこまりました。……返事は、いかがなさいますか」
「返事? 当然、私が直接話す。そう伝えよ」
「それでしたら、明日の夜に段取りいたしましょう」
「うむ。頼んだ」
「はい。では、失礼いたします」
執事は一礼し、静かに扉を閉めた。
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一人残されたレオは、歯を食いしばった。
(……王家は無駄な神殿作りと外遊に財を浪費し、地方には媚売が得意なだけの無能な貴族を配置して賊への備えを怠った。
自由国家の悪魔どもに付け込まれ、奴隷商売にまで手を染める者まで現れた……!)
これは悲劇ではない。
――必然の帰結だ。
(王家と女神教による腐敗の結果がこれだ!)
怒りは胸を焼き、言葉は心に鋼のように刻まれる。
(騎士は貴族出の無能が幅を利かせ、実力ある者は他国に流れる。
庶民出の兵は馬鹿にされ、要職につけぬどころか奴隷のように扱われる!)
繰り返されてきた現実。
このローズレッド王国は、根本から腐りきっている。
(民に渡すべき最低限の保証――“安全”。
それすら与えられる領主はわずかだ。
ほとんどが女神教への布施に四苦八苦し、領民を顧みぬ!)
その中枢に居座る傀儡の12代王。
そして――傀儡の主、教皇ベゼブ。
(……変えねばならん。この国を。民が安心して暮らせる国に――)
レオはずっと胸の奥に野心を抱いていた。
自らが王になるためではない。
新たな国を築くためでもない。
(――やはり成さねばならない。支配からの脱却を!)
ローズレッド王国に巣食う闇を祓うために。
女神教の支配から、人々を解き放つために。
彼はただ、逆らい続けていた。
そして――今もなお、その信念を燃やし続けていた。




