血の繋がり
銀行ギルドの重い扉を押し開けると、落ち着いた静けさが広がった。
整然と並ぶ机や棚、慌ただしく書類をさばく職員たち。 冒険者ギルドとはまた違う、硬質で張り詰めた空気が漂っている。
受付へ進んだアイオンは、自身のランクカードを差し出しながら口を開いた。
「この子の親族を照合したいのですが。遺産相続人認定制度で、確認をお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
職員は一礼し、手早く準備を整える。
やがて運ばれてきたのは、アイオンがカードを登録したときにも使った小さな魔導装置だった。
「では、こちらにその子の血液を流してください」
「はい。…リズ、少し痛いけど我慢できる?」
アイオンが針を手にすると、リズは顔を強張らせながらも、恐る恐る手を差し出す。
(看護師みたいに優しくできたらいいんだけど…)
心中で自嘲しつつ指先に針を刺し、血を魔導装置へと垂らす。淡い光が装置を巡った。
「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」
「はい。リズ、これを」
アイオンは貼る回復薬を取り出し、指にそっとつけた。 大した傷ではないが、血を見せたくなかった。
しばらくして、職員が戻ってくる。
「照合の結果、登録が確認されました」
「本当に? じゃあ――!」
イスラが思わず声を上げる。
「名前を記しますか? 口頭でお伝えしますか?」
職員は事情を察したように尋ねた。
「書き出しでお願いします」
「かしこまりました。――ではこちらになります」
差し出された一枚の紙。そこには二人の名が記されていた。
【グリル】【オリビア】
(これが…リズの両親の名前か)
メリッサがさらに問いかける。
「この二人の親族を探したいの。誰かの受取人になっていないかしら?」
「名前と血縁情報から照会いたしますので、少々お時間をいただきますがよろしいですか?」
「構わないわ」
「承知しました。では暫しお待ちを」
職員は足早に奥へと下がっていった。
「よかったじゃない。少しは前に進めたわね」
イスラが小声で喜びを伝える。
「ええ。あとは親族が見つかれば…」
「そうすれば、リズも安心できるでしょうね」
不安そうにアイオンを見上げるリズ。
まだ状況を理解できる年齢ではない。
(それでも、できることはしてあげたい。親族の元へ送り届けて、もし駄目なら…オルババに連れて帰ればいい)
頭を撫でると、リズは少し恥ずかしそうに、ぎゅっと腰に抱きついてきた。
#
「アイオン様。お待たせしました」
名を呼ばれ、アイオンは顔を上げる。
腕の中で眠ってしまったリズを起こさぬよう、そっとイスラへ預けて席を立った。
「どうでしたか?」
「それが――お伝えすることができません」
「え?」
思いもよらぬ答えに、アイオンは目を瞬かせる。
隣でメリッサが眉間に皺を寄せた。
「な、なぜでしょうか?」
「"連なる方"のご意向により、ご本人以外の検索を拒否されております。私どもでは対処いたしかねます。申し訳ございません」
「本人…つまり両親以外には不可能、ということですか?」
「はい。正確には、受取人として確認されたのはオリビア様の血縁のみ。ですので、オリビア様ご本人でなければ情報を開示できません」
「グリルさんのほうは…?」
「確認されませんでした」
順調に進んでいた分、この足止めは痛い。
銀行ギルドの制度がそうである以上、どうにもならない。
(仕方ない。オルババに戻るしかないか)
前世でも、こうした手続きは複雑な段階を踏まねば動かなかった。
アイオンは早々に諦め、礼を述べようとした――だが、その言葉をメリッサが遮った。
「そこを、なんとかできませんか? 制度破棄をしていないということは、関係性がまだ途絶えていない証拠でしょう? 娘か、姉か妹か…せめて訃報だけでも伝えたいのです。ギルドとしても」
そう言って、自身のカードを静かに掲げる。
職員の表情が一変した。わずかに苛立ちを含んで。
「――初めからこちらを提示いただければ、二度手間にはなりませんでしたが」
「ごめんなさいね。こんな稀なケース、ないと思ったの」
「場所を移します。個室へご案内いたします」
職員は立ち上がり、別の職員へ耳打ちをしてから扉の前へと歩いた。
「あの、メリッサさん?」
「詳しいことは後で話すわ」
短く答え、メリッサは迷わず扉をくぐる。
慌ててイスラのもとに戻ったアイオンは、眠るリズを抱き直し、二人を追って個室へと入った。
「それでは、しばらくお待ちくださいませ」
職員はそう告げて、静かに扉を閉じた。
#
ドアが閉じられる。
中は応接間のような落ち着いた部屋だった。
まだ眠るリズをそっとソファに寝かせ、アイオンはメリッサへ視線を向ける。
「…なにをしたんです?」
「ギルド職員としての権限を使いました。本来、こういうケースは滅多にないんですけどね」
「ギルド職員の権限で? でもこれって、悪用を防ぐための仕組みですよね。 それに介入できるんですか?」
「違いますよ。悪用される心配はありません。たとえば、この子の両親が一年以上口座を利用していなければ、自動的に制度が適用されて、遺産はこの子の口座に移されます。第三者に渡ることは絶対にありません」
「…なら、なぜ照会を拒めるシステムに?」
「簡単な話です。――お金よりも、血の繋がりが露呈することの方が不利益になる場合があるんです」
その言葉に、強烈な不快感がアイオンの胸を刺した。
前世で顔も知らない父親の存在を思い出し、血の気が引いていく。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですが」
「大丈夫です。…オリビアさんは、妾の子か何かだったんですか?」
「なるほど、そう考えるんですね」
「はい?」
「いえ。単純な理由よりも、複雑な可能性を考えるんだなと思っただけです。――おそらくですが、オリビアさんは貴族の子なのでは?」
「…あ」
「もちろん、庶子として隠されている可能性もあります。ただ、本人であれば照会できるのですから、本当の秘匿にはなりませんよ」
(なるほど…たしかに)
冷静さを取り戻しつつあるアイオンを、イスラが横目で見てから口を開く。
「じゃあ、オリビアさんは貴族の娘で、そのオリビアさんを受取人にした誰かが、血筋を知られたくなくて照会を拒否してるってこと?」
「そういうことです。正確には、“知られたくない”というより“自衛”ですね。もし強引に照会できる仕組みだったら、血縁が露見し、一族に危険が及ぶ可能性があるでしょう? それを阻むためのものなんです。偽りの報告をさせて守ろうとする人々もいますしね」
「そっか…。それなら後で『誰が照会を求めたのか』を確認すれば、なにかあったのか察せられるわけね」
無駄のない制度。
だが同時に、新たな謎を生んだ。
(オリビアさんは貴族の関係者…か)
#
話が一区切りついたところで、ノックの音が響いた。
先ほどの職員が戻ってきて、静かに頭を下げる。
「お待たせいたしました。確認が取れましたのでお伝えいたします」
全員の視線が職員に集まる。
一呼吸置き、言葉が続けられた。
「受取人として登録されていたのは――“レオ・フォスター公爵様”。兄として記されております」
静まり返った空気の中で、職員はさらに言葉を添える。
「なお、今回の照会については公爵家へ報告いたしますが…よろしいでしょうか?」
メリッサがすぐに応じた。
「ええ、構いません。ただし、そこに付け加えていただきたいことがあるの」
「付け加える事、でございますか?」
「そう。――妹夫婦が亡くなったこと。そして、その娘を私たちが保護していることも。あわせて、今後の相談の場を設けたいと伝えてください」
職員は小さく目を見開き、すぐに頷いた。
「承知いたしました。確かにお伝えいたします」
メリッサはさらに一歩踏み込み、念を押すように言葉を続けた。
「ただ書面の往復では遅れが生じます。できれば冒険者ギルドを通じて伝令魔法を使い、公爵様ご本人か、あるいは信頼できる方と直接話す機会をいただけるよう取り計らってください。――メリッサ宛に返事をもらえれば助かる、と」
「かしこまりました。そのように段取りいたします」
深々と一礼し、職員は部屋を辞していった。
扉が閉まると同時に、重苦しい沈黙が残る。
イスラが小さく息をつき、リズの眠る横顔を見つめた。
「公爵家って…めちゃくちゃお偉い様よね」
「そうね。さらに言えばフォスター家とは…」
メリッサは顎に指を当て、思案する。
(可能性は低かったけど、まさかそれが正解だったとは…。いえ、それどころじゃないわね。フォスター家…本当に厄介な拾い物…!)
長い吐息をひとつ漏らし、肩をすくめて二人に向き直る。
「――私はギルドに戻りますね。公爵家からの返事を待ちます。…あなたたちは宿で休んでください。暫く安心して眠れなかったでしょうから」
「分かりました」
アイオンが頷き、眠る少女をそっと抱き上げる。リズは小さく身じろぎしながら、まだ夢の中にいた。
「メリッサさん、ありがとうございます」
アイオンがそう言うと、メリッサは軽く手を振った。
「いえいえ。お気になさらずに。では」
微笑みを残し、メリッサは銀行ギルドを後にした。
#
アイオンとイスラは並んで歩き出す。
アイオンの腕には、寝ぼけ眼のリズが抱かれていた。
街は人通りが多く、行き交う声や商人の呼び声が賑やかに響いている。
「宿に戻ったら、ゆっくり休みましょう」
「そうね。…それにしても、公爵家の名前が出るなんて、思いもしなかったわ」
そんな会話を交わしていると、ふいに耳障りな笑い声が背後から追ってきた。
「よう、ガキ。さっきはずいぶんいい面してたじゃねぇか」
振り返ると、冒険者ギルドで絡んできた荒くれたちが立っていた。
酒臭い息を吐きながら、数人で道を塞ぐ。
「依頼料を降ろしたのか? 大した仕事もしてねぇだろうによ!」
「護衛の真似事して女と子ども連れて…ふざけてんのか? あー!?」
イスラが眉をひそめ、アイオンの横に立つ。
リズは震えて、アイオンの胸に顔を埋めた。
「……またか」
アイオンは苦笑し、リズをイスラに任せる。
そして一歩前に出て、荒くれたちを見据えた。
腰の剣に触れることなく、ただその眼差しと纏う空気を変える。
「――これ以上、俺たちに構うな」
低く吐き出された声と同時に、底冷えするような殺気が広がった。
周囲の喧騒すら遠のいたかのように、空気が張り詰める。
「お前たちの事なんてどうでもいい。――だが、これ以上言いがかりをつけてくるなら、敵として処理する」
淡々とした言葉だが、その奥底に燃える怒りが乗っていた。
「次は命の取り合いになる。それでもいいなら、かかってこい」
荒くれたちは顔色を変え、言い返そうと口を開きかけた。
だが視線を合わせた瞬間、背筋を冷たいものが走ったのか、言葉を飲み込む。
「ひっ…!」
「ち、ちょっとした冗談だろ…行こうぜ!」
互いに目配せし合い、逃げるように雑踏の中へと消えていった。
#
アイオンはゆっくり息を吐き、背後を振り返る。
リズはまだ状況を理解していないのか、不安そうにイスラの袖を握っていた。
(イスラにも甘えられるようになったのか…よかった)
「大丈夫だよ、リズ」
そう言って頭を撫でると、少女の瞳にようやく安心の色が戻る。
イスラは横目でアイオンを見やり、小さく呟いた。
「…ギャップ激しすぎない?」
アイオンは笑い、ただ静かに歩き出した。
#
宿に入ると、ようやく落ち着いた空気に包まれた。
昼の騒がしさも収まり、窓の外からは街灯に照らされた石畳が静かに続いている。
だが、冷たい風が時折ガラスを震わせ、冬の足音がすぐそこまで迫っているのを感じさせた。
リズは長い一日で疲れ切っていたのか、ベッドに横たわるとすぐに眠り込んだ。
その寝顔を見届けてから、アイオンとイスラはテーブルにつき、ぬるくなった茶を口にする。
「やっと落ち着いたわね」
「そうですね」
短い言葉を交わしたあと、しばし沈黙が続いた。
イスラがカップを指先で弄びながら、ぽつりと切り出す。
「私、やっぱり近いうちにバルナバに戻るわ」
「そうですか…それがいいですね」
アイオンは予想していた答えに頷いた。
「やっぱり、オリバーのお店には行きたい。それにまだ魔物相手の経験を積みたい。オルド支部長にはハーピーやアーススパイダーの相手はできないって言われたけど、できれば一人前になれたって事だと思うしね」
彼女の横顔には、決意と少しの寂しさが入り混じっていた。
「…リズの事は心配だけど、雪が降る前に戻れなきゃ、余計時間がかかっちゃう。少しでも先に進まないと」
「そうですね。雪が降ってからの移動は時間がかかる」
「ここまで五日だったけど、もう少しかかるようになるわね」
「長旅だ…。お尻が痛くなりそうです」
二人は笑う。
そう、馬車移動最大の敵は、その痛みなのだ。
イスラは涙目になりながらも、感慨深い目をして続ける。
「でも、この依頼を受けて良かったよ。前みたいに焦って空回りしてた頃とは違う。今はちゃんと、自分の足で立ってる気がするもの」
「Dランクですしね。これからも頑張ってください」
「勿論よ!」
二人はしばし笑い合い、言葉を失う。
窓の外では風が唸り、厚い雲が月明かりを隠していた。
雪が舞い落ちてくるのも、時間の問題に思えた。
イスラは立ち上がり、リズの寝顔をちらりと見やってから、改めてアイオンに向き直る。
「…明日、馬車を探すわ。できればすぐにでも出発したい」
「わかりました。見送りくらいはしますよ」
「ふふ、お願いするわ」
そうして短いやり取りを終え、静かな夜が更けていった。




