思い出すのは
小さな城壁に囲まれたスパールの街が見えてきた。
昼を少し回った時刻、陽光に照らされた門前には、商隊や旅人の列がちらほらとできている。
その列に、アイオンたちの乗合馬車も加わった。
それを視認した門番の一人が駆け寄ってくる。
「バルナバからだよな? 随分と遅かったじゃないか」
門番が片眉を上げて御者を見る。
どうやら、前の馬車と勘違いしているらしい。
御者は苦笑し、手にしていた依頼書を掲げた。
「俺たちは予定通りさ。ほら」
門番が紙を受け取り目を通すと、うなずきながら声を落とす。
「確かに。……前の馬車は見なかったか? それとも街でトラブルでも?」
御者の顔から笑みが消える。
ちらとアイオンたちを振り返り、声をひそめた。
「実は……その件で報告がある」
門番の表情が一変する。
「どういうことだ?」
「街道で賊に襲われたようだ。馬車は見つからなかったが、乗っていた連中は……。
子どもは救えたが、それだけでな」
御者が言葉を濁すと、アイオンが一歩前に出た。
リズに聞こえないよう、小さな声で簡潔に告げる。
「俺が賊を討伐しました。……助けられたのは、あの子だけです」
周囲がざわめき、門番は険しい顔で依頼書を折りたたむ。
「わかった。すぐに上に報告する。お前たちにも詳しく話を聞かせてもらうぞ。
――おい! この馬車を先に入れる! 道を開けろ!」
こうして一行は、緊張を帯びた空気の中でスパールの街へと迎え入れられた。
#
門番の案内で馬車は城門を抜け、詰所へと通された。
中で待っていた私兵に引き継がれ、一行は部屋に通されて事情を説明することになる。
御者が街道での経緯を順に語り、イスラとメリッサが補足を加える。
乗客二人も自分の見たことを証言した。
アイオンは討伐した賊の人数や拠点を淡々と述べ、
リズは黙って耳を塞ぎ、下を向いたままだった。
やがて責任者らしき男が深くため息をつく。
「……なるほど。犠牲者が出たのは痛恨だが、子どもが助かったのは不幸中の幸いだ。協力に感謝する」
御者が口を開く。
「俺が言うのもなんだが……街道整備に費用をかけた方がいい。
フィギル領地はそれで被害を抑えてるが、隣がこれじゃ安心して移動できなくなる」
責任者は真剣な表情で頷く。
「街道警備の増強については、デオール様に進言しておく。
……賊の対処が遅れたことが、今回の結果を招いたのは明白だ。我々の油断だ」
そう言って、アイオンへと視線を向けた。
「きみのような腕のいい冒険者が減るばかりでな。私兵だけでは手が回らない。……言い訳にしか聞こえないだろうが」
「そうですね」
アイオンは短く返し、そして続ける。
「どれだけ被害が出ても、“命は助かったなら大したことはない”と後回しにしてきた。
結果、それが賊の増長を招いた。……この子は、なにを恨むべきなんでしょうね?」
そう言ってリズの頭を撫でる。
その手に反応し、リズは耳から手を離してアイオンを見上げた。
「終わったよ。行こう」
立ち上がり、一礼して部屋を出る。
他の者たちもそれに続いた。
最後に出るメリッサは、責任者へ一言残す。
「まだ子どもですから。この国のことも、貴族の事情も知りません。
あなた方の苦しみも……いずれ理解できるかもしれませんけど。――失礼します」
扉が静かに閉じられる。
「……苦しみ、か」
残された責任者が小さくつぶやく。
それは、諦めにも似た響きを帯びていた。
「女神教に貢ぐ必要がなければ、どの貴族も領内の安全に動くのだろうか?……羨ましいものだ」
#
一行は形式的な確認を終え、ようやく解放された。
詰所を出たところで、御者が肩を回しながら大きく息を吐く。
「まったく、肩が凝る話だった! よし、ここで解散だな!」
「そうね。スパールまでの移動は終了ね」
イスラが軽く微笑む。
御者はアイオンとイスラに向き直り、乗客二人も合わせて口を開いた。
「お疲れさん! 最初は頼りなく見えて外れだと思ったが……いや、大当たりだった! 本当にありがとな!」
「一緒で心強かったわ。大変なお仕事でしょうけど、頑張って。――リズちゃんも、元気でね。教皇様に祈ってるわ」
「ほっほっ。良い旅だったわい」
それぞれが感謝の言葉を残して別れを告げた。
ただ同じ馬車に乗り合わせただけの関係だったが、別れ際にはどこか名残惜しさが漂っていた。
リズはまだ不安げにアイオンの手を握ったままだった。
その姿に、年老いた乗客が膝を折って目線を合わせ、皺の刻まれた顔に柔らかな笑みを浮かべた。
「これからも家族を想って泣くだろう。……だがな、お嬢ちゃん。笑っていた家族も、忘れるんじゃないぞ」
「……」
「辛い記憶は消えん。だが、幸せな記憶もまた消えんのだ。想うなら、笑顔の方が家族も嬉しいじゃろう。……頑張れよ」
リズは小さく瞬きをし、しばらく考えたあと――アイオンの足に抱きつき、顔を埋めた。
「……わかりづらかったかの?」
「いえ。伝わっていると思います」
照れくさそうに老人は笑い、手を振って去っていく。
女性も御者も、それぞれの道へと散っていった。
「――さて! 私たちは冒険者ギルドに行くわよ!」
イスラが声を弾ませる。
メリッサが微笑んで応じた。
「そうですね。依頼達成の報告をして……イスラさんはDランクになりますね」
「そうよ! さぁ、行きましょう!」
イスラは早足で歩き出し、メリッサも後に続く。
アイオンはリズを抱き上げ、二人を追って歩を進めた。
抱える重みも、追う速さも気にならない。
気に掛かったのは――別れ際に聞こえた一言。
(“教皇様に祈ってる”、か)
オルババ村ではもちろん、バルナバでも耳にしたことのない言葉。
だが、それを口にした女性の表情はごく自然で、当たり前のように見えた。
(クソ女神の代弁者が信仰を得ている村の外の世界……ようやく実感が湧いたよ)
今までは“知識として”知っているだけだった。
だが、こうも当然のように信じられている現実を前にすれば、否応なく意識させられる。
(その価値観が根付いている“新女神教”……ようやく、知る時が来たかもしれない)
――とはいえ、今はまず冒険者ギルドで報告を済ませること。
それから銀行ギルドでリズのことを調べるのが先だ。
#
小さなギルドの扉を押し開けると、昼下がりの広間は相変わらずの喧噪に包まれていた。
賑やかな笑い声と酒の匂いが混じり合う空気は、バルナバのギルドとそう変わらない。
イスラが一歩前に出て受付へと進み、冒険者カードと依頼書を差し出す。
「バルナバ発、乗合馬車護衛依頼。目的地スパールまで、無事に護衛完了したわ」
静かに告げたその声に、周囲のざわめきが即座に反応する。
「おいおい、嬢ちゃんが報告役かよ?」
「護衛って言っても、ガキ抱えて散歩してただけじゃねぇのか?」
「ガキの世話で大変でしたーってか? 情けねぇ話だな!」
数人の冒険者が口々に野次を飛ばす。
ゲラゲラと笑いながら振り返る視線は、イスラだけでなく、アイオンやリズにも向けられていた。
イスラの眉がぴくりと動くが、言い返す前に隣のメリッサが一歩前へ出る。
その声音は柔らかいのに、空気を切り裂くように冷ややかだった。
「質の悪さが想像以上ですね」
笑い声がぴたりと止まる。
メリッサは懐から銀のプレートを取り出し、受付嬢に見えるよう掲げた。
――冒険者ギルド員専用カード。
受付嬢の持つものと同じだが、上部には“特別ギルド員”を示す紋章が刻まれていた。
「実力の差を見抜く目も持たず、寄ってたかって喧嘩を売る。
この程度では、賊が調子に乗るのも無理はありませんね。
そしてそんな者を抑えられない時点で、あなた達の仕事の質が知れます。恥を知りなさい」
淡々と放たれたその言葉に、広間の空気は一気に凍りつく。
さっきまで笑っていた荒くれたちも顔を強張らせ、殺気を帯びてメリッサを睨んだ。
受付の職員が慌てて立ち上がり、声を上ずらせる。
「し、失礼しました! 護衛依頼の完了、確かに受領いたします!」
イスラは無言で頷き、受領印を受け取った――その瞬間。
奥の席から椅子が大きな音を立てて蹴られ、ひときわ荒っぽい男が立ち上がった。
「おい、ガキ」
低い声が広間に響く。
男の視線はまっすぐアイオンへ。
「その眼鏡の女は置いていけ。そうすりゃ見逃してやるよ」
嘲るような声音に、リズが怯えてアイオンの服をぎゅっと掴む。
震える指先を感じ取り、アイオンは軽く首を傾け、小さく囁いた。
「大丈夫だよ。何の問題もない」
その穏やかな声が、逆に男の癇に障った。
「テメェ、ガキのくせに気取ってんじゃねぇぞ!」
怒声と共に胸ぐらを掴まれる。
顔が至近に迫り、空気が張り詰める――だが次の瞬間。
ガシッ、と。
掴んできた腕を、アイオンの手が逆に捕らえていた。
細身の指から伝わる力は鋼のように硬く、男の表情が苦痛に歪む。
「なっ……ぐっ!」
振りほどこうともがくが、びくともしない。
さらに力を込められ、男の膝がガクリと床に落ちた。
広間が一斉にざわめく。
「嘘だろ……」「あんな細身のガキが……」「おい、誰か止めろよ!」
誰も動けないままだったが、ギルド職員が慌てて割って入る。
「や、やめてください! ここは冒険者ギルドですよ!」
アイオンはようやく手を離した。
男は息を荒げ、腕をさすりながら真っ赤な顔でアイオンを睨む。
「っのガキ……!」
だが、その視線を受け止めたまま、アイオンは小さく頭を下げた。
「……すみません。少し、気が立っていました」
挑発に乗ったのでも、力を誇示したのでもない。
ただ、リズを守るため――当然のように行動しただけだった。
受付職員が慌てて場をなだめる中、メリッサが小声で囁く。
「彼は、あのオルドがCランクから冒険者を始めることを認めた方ですよ」
職員の顔色が変わる。
それが何を意味するか、すぐに察したのだ。
荒くれ者は涼しい顔をしているアイオンを、赤い顔で睨みつけ、
「……てめぇ、覚えてろよ!」と捨て台詞を残して奥へ退いた。
静まり返る広間で、アイオンはリズに視線を向ける。
怯えた顔をして服を掴む彼女に、わずかに目を細めて微笑んだ。
「平気だったろ?」
その声音に、リズの肩の力が抜け、彼女は小さく頷いた。
#
少し間を置いて、イスラの昇格が告げられた。
晴れて正式なDランク冒険者。
ランクカードを受け取り、彼女は誇らしげに胸を張る。
「おめでとうございます」
「よかったですね」
メリッサが微笑み、アイオンも短く言葉を添える。
「ありがと! ……本当なら、もっと早くなってるはずだったんだけどね」
「昇格の速さがすべてではありませんよ。
大切なのは、自分に合った依頼をこなし、少しずつできることを増やしていくこと。
階段を昇る速さを競っているわけではありません」
「……うん、ありがと」
イスラは頷き、ほんの少しだけ柔らかな笑みを浮かべた。
バルナバを出る前のような焦燥や嫉妬は、もう彼女の中にはなかった。
「さて。次は銀行ギルドに行きましょうか」
メリッサが言葉を切り替える。
「えっ、一緒に来るの? ここに赴任したんじゃなかったの?」
「違いますよ。私は王都パルキノンの冒険者ギルドに行かねばなりませんので……言いませんでした?」
「覚えてない……」
「細かい発言も覚えておいた方がいいですよ。今後は責任が増すのですから」
「わ、わかってるわよ!」
軽いやり取りのあと、メリッサはアイオンへ向き直る。
「行きましょう。家族のことを確認しなくては」
「ありがとうございます。でも……なぜ?」
「私の身分が役に立つこともありますから。……稀なケースですが」
「? わかりました。行こう、リズ」
アイオンはリズの手を取り、そっと笑いかけた。
小さな手がぎゅっと握り返され、彼女の足取りがほんの少しだけ軽くなる。
メリッサはそんな二人を横目に見ながら、イスラと他愛もない会話を続けていた。
だが心の奥では、別の思考が静かに渦を巻いている。
(……ここで子どもと離すのが最善だけど、さすがに無理ね。
天涯孤独なら孤児院に預けるだけで済む話だけど、依頼書を確認した時点で望み薄だった)
彼女は歩きながらも、冷静に思考を巡らせていた。
イスラのランクカード書き換えの間、伝令魔法を通じてバルナバ冒険者ギルドに依頼書の照会をかけていたのだ。
【護衛パーティと区切りがある馬車希望】
その一文を見た瞬間、メリッサは小さく息を吐いた。
(乗合馬車とはいえ、要人護衛用の貸切タイプを望んでいた……。
私たちが利用したものとは桁違いの料金になる。
護衛パーティが出来損ないばかりだったのは、運の尽きね)
すでに彼女は、リズの家族の名も知っている。
だが――あえて口には出さない。
(知らせずに調べたと知れれば、悪感情を持たれるかもしれない。
ここは静観するのが賢明ね)
彼女の脳裏にあるのは、あくまで自分に対するアイオンの印象を取り戻すこと。
そのために使えるものは利用し、不要な衝突は避ける。
計算に満ちた冷静な打算が、淡々と積み上がっていく。
一方で、リズはアイオンの手を離すまいと小さく力を込めていた。
その温もりは、彼女にとって唯一の拠り所だった。
――四人はギルドを後にし、陽光の差す街並みへと歩き出す。
次なる目的地は、スパールの銀行ギルド。
小さな少女の過去を探すための、大切な一歩だった。




