線引き
冷えきった夜気のなか、アイオンは小さな体を背に負い、ゆっくりと歩を進めていた。
吐く息だけが白く揺れ、肩に寄りかかる子どもの重みが現実を突きつける。
やがて、焚き火の明かりが見えた。
すでに乗客や御者とともに移動の準備を整えている。――行動が早い。
(あれでEランクなんだよな。……オルド支部長は戦闘力でしか判断してないってことか?)
彼女もオルドの評価試験を受けているはず。
それなのにEランク。
今回の依頼でDに上がるという。
(なにか問題でも起こしたのか……?)
考え事をしながら近づくと、気配を察したイスラがいち早く武器を構えた。
眠っていないはずなのに、その警戒は崩れていない。
「俺です。戻りました」
「……よかった、無事で。その子は?」
「無事だったのはこの子だけです。乗せても問題ないですか?」
アイオンは御者に問いかける。
ここに置いていけと言えるはずもなく、御者はすぐに首を縦に振った。
了承を得たアイオンは、子どもを馬車に寝かせる。
ここまで深く眠っているのは、ようやく安心できたからだろうか。
メリッサがアイオンの前に立つ。
救い出された子どもに一瞬視線を落とし、それからまっすぐ彼の顔を見据えた。
「お疲れ様でした。彼女は?」
「さぁ。知ったことではないです」
短く返す声は掠れていた。
背後に漂う血と煙の匂いを、メリッサは敏感に嗅ぎ取る。
「賊はどうなりました?」
「言わなくても、わかるでしょ」
即答だった。
隠すのではなく――語る言葉を持たないのだと、メリッサは悟る。
「……そうですか。賊の所持品は? 本来はアイオンさんに権利がありますが、回収しますか?」
「どうでもいいです。ギルドが回収するならご勝手に。ひとつ、確認してもいいですか」
「どうぞ」
「――デオール領主は、賊に対してなんの対策もしていないんですか?」
その声音に、イスラは思わずアイオンを振り返った。
明らかに不満を含んだ問いだった。
メリッサもわずかに唇を引き結び、慎重に答えを選ぶ。
「スパールはデオール領主が住む街ではないわ。
バルナバに一番近い街だからわかるでしょうけど、所詮は田舎。
私兵の配備数も少ないし、冒険者も少ない上に……質も悪い。
だから賊も、大きなことはせず略奪程度で済ませていたのよ」
「ですが、今回の賊はやりすぎた。二台続けて襲撃し、明らかに殺す気でした」
「最後の仕事だったのかもしれませんね。
本来は前の馬車で終わっていたけど、ヒィルさんからこの馬車の話を聞いて、欲を出したのかも。
あくまで推測ですが……」
「Dランクのパーティより、CランクとEランク二人の馬車の方が襲いやすい、という判断ですか」
「あなたが乗っていることは知らなかったのでしょう。あるいは、侮ったか。――今となっては確かめようもありません」
死人に口はない。
結局、何を言ったところで意味はない。
だが、それでもアイオンには気になることがあった。
「……馬車組合は、抗議しないんですか? 大陸の交通網を握る大きな組織でしょう?
こんな事が続けば、信用を失うはずでは?」
メリッサは冷静に答えた。
「少なくとも、フィギル領地では考えられません。
あの地のギルド員も、馬車組合も、危険を十分に把握しています。
……イスラさんならご存じでしょう?」
「た、確かに。Eランクひとりの護衛じゃ、依頼を受けられないって言われたわ。
安全確保ができないなら、運行取り消しもあるって」
「ええ。今回の馬車がバルナバを出発できたのは、アイオンさんが護衛を引き受けたからです。
それだけCランクが“一人前”と見なされている証拠です。
Dランク複数のパーティとCランク一人が、釣り合うとされるんですよ」
「つまり、スパールの馬車組合は乗客の安全を配慮していない……と?
賊の保管所には、明らかに多くの武器や荷物があった。……なるほど。
イスラさんが調べた賊被害は――」
「そうです。あれはデオール領地からフィギル領地に入る際に被害に遭ったものが大半。
逆に、フィギル領地からデオール領地に向かう場合の被害は、年に一度あるかないかです。
殆どを返り討ちにしていますからね」
イスラは驚きつつも、どこか納得した表情を浮かべた。
「……やっぱりおかしいと思った。
バルナバの冒険者ギルドで護衛依頼に失敗した、なんてほとんど聞いたことがなかったのに、 記録には大量に残っていた。
……領地境で被害に遭った人たちはフィギル領地に逃げ込む。
その手前の休憩所やカルララで保護される。
だからバルナバに届くのは、“冒険者の失敗”と“被害の記録”だけ……」
メリッサは頷き、今度は御者に向き直った。
「あなた、雇われよね?
今回の移動で御者が雇われなのは、おそらくあなた自身がデオール領地に用があって、
ついでに仕事を受けたからでしょう?」
「そ、そうだ。移動ついでに金が欲しかった。
だがスパールまでの道は危険だから、注意しろって何度も言われたよ」
「運賃が格安なのは、雪で移動が滞る可能性が高いから。 他に理由はないはずですよ」
メリッサはギルドの人間であり、馬車組合とも深く関わっている。
だからこそ理解していた。
フィギル領地のすべての組織は、賊に対して、客に対して、魔物に対して真っ当に対策をしている。
――その中で、ヒィルの行動だけは予想外だったのだろう。
もし外に漏れれば、ギルドの信用を揺るがしかねないほどの不手際である。
「――結局、彼女が諦めなければ撃退できていたかもしれない、ということですね。 あの程度の賊なら」
「……ヒィルさんの評価は低かったです。
ただ、貴重な攻撃魔法の使い手でしたから需要はありました。
オルド支部長もそれを考えて、Dランクのまま様々な人と組ませて育てる方針を取っていたんです」
「組ませて? ……正式に組んでくれる仲間がいないから、たらい回しにされていただけでしょ?」
「……」
「――ここまでにしましょう。時間を取らせました。スパールへ向かいましょう」
アイオンは焚き火を消し、馬車に乗り込んだ。
眠る子どもを心配そうに見守っていた乗客の女性に声をかける。
「この子が目覚めたら、着替えを手伝ってもらえますか? いつまでもこの服じゃかわいそうなんで」
「もちろんよ……。こんな子が、かわいそうに……」
女性は慈しむように髪を撫でた。
イスラとメリッサも馬車に乗り込む。
夜通し気を張り詰めていたイスラには、疲れの色がはっきりと浮かんでいた。
「イスラさん、休んでください。警戒は俺がします」
「あなたも疲れてるでしょ……」
「平気です。森で狩りをしていた頃は、一日中起きて動いてましたから」
「……わかったわ。少し眠る。なにかあったらすぐ起こして。油断はしないでよ」
「わかってます。おやすみなさい」
さすがのイスラも限界だったのだろう。
外套に身を包むと、すぐに眠り込んだ。
その様子を少し眺めてから、アイオンは外へ視線を送る。
朝焼けがまぶしく視界に差し込んできた。
(どこの世界も同じだな。どんな悲惨な出来事があっても……それでも朝は来る)
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外を見張るアイオンの横顔を、メリッサはじっと見つめていた。
(……二面性が激しいわね)
誰に対しても礼儀正しく、年齢に似合わぬ落ち着きを見せる少年。
けれど、ヒィルにだけは最初から敵意を隠そうとしなかった。
賊相手に礼節など不要――そう割り切ることもできる。
だが、彼の態度にはただの割り切りではなく、“感情が抜け落ちた拒絶”のようなものがあった。
(……まるで、人としての“当然の揺らぎ”がないみたい)
憎むなら怒りが、軽蔑するなら嘲りが――普通ならどこかににじむはずだ。
けれど彼にはそれすらない。
ただ「敵」と決めた瞬間に、感情ごと切り捨ててしまう。
その澄み切った目に、メリッサは得体の知れない恐怖を覚えた。
だが、同時に理解してしまう。
――恐ろしいほどに無駄がない。
感情に縛られず、理性で線を引き、容赦なく動ける。
(この精神性に、あの身体強化、体外魔法まで備えているなんて……)
背筋を冷たく撫でる戦慄と共に、確信が形を取る。
――彼は間違いなく、最高の逸材だ。
馬車は進んでいく。
様々な思惑を乗せて。




