表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
130/152

闇に紛れて

女を引きずりながら森を進む。

月明かりが差し込むのはわずかで、鬱蒼とした枝葉が音を吸い込んでいた。


「――なんで、戦わなかった?」

「……え?」


「あの程度の賊、普通の冒険者ならどうにでもできただろ? ゴブリンと変わらない動きだったぞ?」


問いかけに口ごもる女を見て、ため息をつく。


「ランクは?」

「……Dです。私たちは……パーティといっても長く組んでたわけじゃなくて。オルド支部長のランク評価でCから落ちて、元のパーティが解散して……仕方なく組んで依頼をこなしてただけなんです。……だから、結束感はなくて、急な事に対処できなくて……」


「それで、前衛がやられて命乞い……か。他のメンバーは?」


「遊ばれて……死にました。私は、魔法使いだから仲間になるならと、生きる事を許されました……」


その一言で場が凍ったのを感じた。


(こ、怖い……! なんでこんな……。いくら才能があっても、こんな子どもが出す空気じゃない……!)


空気は徐々に戻っていく。

しかし、二人の間の空気が変わる事はなかった。


時折行き先を教え、また黙り進む。

――そして。


「……あそこです」


女が小さくつぶやく。

震える指先が示す先には、木々に隠れるように建てられた粗末な小屋があった。


丸太を組み合わせただけの、粗悪な住処。

だが煙突からは煙がかすかに上がり、賊が中に潜んでいるのは明らかだった。


アイオンは女の肩を掴み、低く言った。


「中は何人いる?」

「……たぶん四人?」


「ふざけてるのか?」

「見張りは二人だけです! 中は……わからない」


答え方が曖昧だ。

だがその怯えた目に、嘘を混ぜている様子はない。


アイオンは女の口を布で縛り、木の幹に縛り付けた。


「逃げたところでどうにもならないだろうが、大人しくしてろ」


そう言い残し、小屋へと身を沈めていく。

近づけば、軋む床板を踏む音と、酒をあおる笑い声が夜気に漏れていた。


(……油断してるな)


当然だろう。

襲われるなんて少しも思ってない。


小屋の前には焚き火があり、その脇に二人の賊が座り込んでいた。

槍を抱えたまま眠りかけている。


アイオンは深く息を吸い、影のように地を滑る。

一歩、二歩。

背後に回り込むと、ためらいなく剣を抜き、一人の喉を斬り裂いた。


血飛沫が炎に散るより早く、もう一人の口を塞ぎ、腹に刃を突き立てる。


呻き声が途切れる。

焚き火の赤だけが揺れていた。


(中は……?)


耳を澄ます。

だが賊たちは、まだ酒盛りに夢中らしい。


アイオンは焚き火を蹴り消すと、闇の中に身を潜めた。

月明かりの下、静かな殺気だけが広がっていく。


小屋の戸口に手をかける。

軋む音と共に扉を蹴り破ると、酒臭い空気が弾け飛んだ。


「なんだぁ!?」「外か――!」


驚く声。立ち上がる椅子の音。


だが賊たちが武器を抜くより速く、アイオンはすでに踏み込んでいた。


消える身体強化。

影が走り抜け、最も近い男の首が飛んだ。


鮮血が卓上の酒瓶を濡らす。


「な、なんだぁっ!?」


短剣を構えた男が叫ぶが、返す間もなく剣閃が閃き、肩から胸を深々と裂かれた。


残る二人のうち、一人は狼狽えて後退し、もう一人――体格の良い、鎧をまとった男だけが動じなかった。


「ちっ。……まともな冒険者か?」


低い声。

腰の曲刀を抜き放つと、鋭い踏み込みで斬りかかってくる。


ギリ、と火花。


アイオンは片手で受け流し、その勢いを利用して身体をひねる。

相手の腕に力が籠った瞬間、逆に足を払った。


「ぐっ!」


鎧ごと床に叩きつけられる。

ボス格は苦悶の声を上げながらも即座に反撃し、寝転んだまま曲刀を振り上げた。


だが――空を裂くだけだった。

アイオンの姿は掻き消えている。


「ど、どこだ……!?」


闇の中に震える声。

背後から、冷たい息がかかった。


「――残念でした」


次の瞬間、鋭い一撃が首筋を断ち切った。

鎧ごと男の身体が傾き、床を赤に染める。


残された最後の一人は、目の前の惨状に声も出せない。

必死に出口へ逃げようとした瞬間、風が走り抜けた。

その背に刃が突き立ち、呻き声も短く絶えた。


小屋の中は、静寂を取り戻した。

血と酒と煙の匂いだけが充満する。


アイオンは床に転がる死体を見下ろし、短く息を吐いた。


(……こいつらだけじゃないな。少なすぎるし、家族は別の場所か)


剣を払って鞘に納め、無造作に扉を蹴り開ける。

夜気が流れ込み、血臭を薄めていく。


「わかってるだろ? 案内の続きをしてもらう」


木に縛ったままの女に視線を向ける。


怯えた目が、炎に照らされた彼の影を見つめ返していた。

そんな様子を気にもとめず、アイオンは続ける。


「どこにいる?」


女は震える唇を噛みしめ、うつむいたまま答えた。


「……洞窟の中で……遊ばれているのを……最後に見た」


アイオンは言葉を返さなかった。

ただ無言のまま女の腕を掴み、引き上げる。


「ひっ……」


女が怯えても、歩みを止める気配はない。

アイオンの瞳は暗闇に釘付けになっていた。


燃えさしの松明がまだいくつか残っている。

足跡も、血の染みも、奥へと続いていた。


「前を歩け。案内しろ」


低く、短く告げられる。


女は拒めなかった。

肩を震わせながらも、洞窟へと進む。


アイオンはその背を睨むように見据え、片手で剣を緩やかに下げたまま、静かに後に続いた。



洞窟の空気は湿り気を帯び、奥からは男たちの笑い声が響いていた。


その声の元へ、足音を殺しながら、一歩、また一歩と進んでいく。


「へっ、長く持ったが、さすがに死んだみたいだな」

「女は残しとけって言われてたろ。ガキ一匹じゃ値はつかねぇぞ?」

「うるせぇな……。どこまで耐えられるか試したかったんだよ。『この子だけは〜』なんて言うからよ」

「人でなしのろくでなしだよお前は!」


笑い声が岩肌に反響し、洞窟そのものが薄汚れた欲望を吐き出しているかのようだった。


女は顔を覆い、肩を震わせる。

血の気が抜け、今にも崩れ落ちそうになる。


アイオンは無言でその腕を掴み、壁際に押しやった。

そして静かに囁く。


「ここで大人しくしてろ。いいな?」


女は頷く事しかできなかった。


剣を握る手に、冷たい殺意が宿る。

一切の迷いも、ためらいもない。


――あんな連中、生かしておく理由はない。


奥から響く下卑た笑いが、なおも続いていた。

腐った欲望に塗れた声が、闇に響き渡り、なおも獲物を弄ぶ獣のように。


アイオンは奥へと進んだ。


松明が遠くで揺れ、賊たちの下卑た笑いがまだ残響としてぶら下がっている。

だがその笑いは、やがて不穏な沈黙へと飲まれていった。


アイオンは音を立てず、影に紛れて動いた。

岩の冷たさが手のひらに伝わる。

息は速くない。だが確かに、胸の奥では何かが静かに鎮まっている。


最初に声を上げたのは、奥の方で酒瓶を抱えていた男だった。


「おい、なんだ――?」


返事はない。代わりに、闇の側から低い音が聞こえた。

足音ではない。空気が押しつぶされる、重い気配だ。


男の笑いは途切れ、喉から出たのはかすれた息だけだった。


アイオンは、振り向くことを許さなかった。

ゆっくりと、確実に相手の視界を奪うように移動し、男の背後へ回り込む。


手のひらが、柄の感覚を確かめる。刃先に力を乗せ、闇に沈む。


「なんだ……っ? なにが……!?」


慌てた声が洞窟にこだまする。

だが、アイオンは相手の恐怖が膨らむのを楽しんだりはしない。

じわり、じわりと、希望を削ぐように距離を詰める。


一閃。短く、鋭い音だけが走る。

男が崩れ落ちる。呻き声が切り裂かれ、洞窟の闇が再び取り込む。

だがその声も、すぐに細く消えていった。


残りの二人はようやく、事の重大さを理解したらしい。

火の光の揺らぎを頼りに、武器を振り上げる。


しかしアイオンは動じない。

彼は姿を見せず、存在だけを押しつける。


壁の影から影へ、音もなく現れては消え、確実に一人を追い詰める。


賊の叫ぶ声に、アイオンは答えない。

代わりに、彼らの背後で小さく何かを鳴らす。


――それは足音でも刃音でもない。

まるで氷が音もなく割れるような、静かな気配だ。


男たちの動揺は増し、呼吸は浅く速くなる。

息遣いだけがやけに大きく、洞窟の壁に反射して跳ね返る。


アイオンはその音を確認してから、確実に動いた。

刃は短く、逃げ場のない場所へと相手を追い込む。


一人、また一人。倒れるたび、賊たちの顔からは色が失せていった。

叫びはするが、そこに対峙する勇気はない。


アイオンは相手の目を直視し、殺意を見せつける。

だが同時に、それは何度も機を与えない冷徹さでもあった。


ゆっくりと、確実に。恐怖が彼らの体を蝕み、最後の抵抗を奪う。


最後に残ったのは、わずかに年長で体格の良い男だった。

彼はわずかに身を引き、曲刀をぎこちなく構えた。

挑発する余裕もなく、ただ必死に生き延びようとする目だ。


アイオンはその目を、しばらく見返した。

炎の光が彼の顔を赤く照らし、短く影を落とす。


唇は動かさない。次の瞬間、冷たい風のように彼は間合いを詰め、ためらいなく刃を振るった。


男の叫びは短く、思い切りの良い終わりを告げた。

洞窟は再び静寂に戻った。


下卑た笑いも、冷たい嘲りも、そこにはもうない。

床に転がる者たちの息は次第に弱まり、やがて止まる。


血の匂いが湿った土に混じり、洞窟の暗がりにゆっくりと溶けていく。


アイオンは一度だけ、周囲を見渡した。

死体の間に、無造作に落ちている酒瓶、裂けた布、狂気の跡。


だが彼の視線はすぐに先へ向かった。

遠くから、微かになにかが断続的に聞こえる。

助けを求める声か、あるいは囚われた者の泣き声かもしれない。


彼は無言で、女を引き寄せ、さらに洞窟の奥へ進む。

血溜まりを歩く音が反響する。



血の匂いが濃くなる。

賊の死体を踏み越え、アイオンはさらに奥へと進んだ。


薄暗い洞窟の一角――鉄格子で仕切られた小さな部屋。

そこに、血と汚物にまみれた人影が折り重なっていた。


「……っ」


女が喉を震わせる。


近づくにつれ、視界に映るものが鮮明になる。

大人たちはすでに事切れていた。

痛みと恐怖に歪んだ顔を晒し、力なく倒れている。

その傍らに、小さな体が一つ――。


アイオンは剣を収め、鉄格子を蹴り飛ばした。

錆びた金具が砕け、鈍い音を立てて転がる。


重い沈黙の中で、ただ一人、幼い子どもがこちらを見ていた。


血に濡れた体。暗い瞳。

その顔には涙も怯えもなく、口元だけが無邪気に歪んでいた。


「……子ども、か」

アイオンが低く呟く。


次の瞬間、女は吐き気を覚え、後ずさった。

子どもの瞳は虚ろで、何かを映しているようで何も映していない。


笑っている――。

家族の亡骸を背に、ただ、ひたすらに。


「や、やめて……見たくない……っ」


女が目を覆おうとしたその瞬間、アイオンの手が伸び、髪を乱暴に掴んだ。


「――よく見ろ。お前が選んだ事の結末を」


無理やり顔を持ち上げられ、女は子どもと目を合わせる。

その顔は張り付いた笑みを浮かべていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ