矯正不可
夜。
馬車は街道脇に停められ、焚き火の赤が闇を押し返していた。
冷え込む空気に白い息が揺れ、緊張だけが張り詰めている。
――そして、僅かな殺気が混ざった。
「――来る」
アイオンが呟いた瞬間、茂みを割って2つの影が飛び出した。
「しゃあっ! やるぞ!」
「へっ、今夜も楽勝だな!」
曲刀を振りかざし、賊が馬車に突進する。
同時に、背後から炎が閃いた。
「ひっ……!」
魔法使いの女が恐怖に顔を引き攣らせながらも、火球を投げつける。
狙いこそ甘いが、焚き火の赤と混ざり合い、護衛の動きを惑わせるには十分だった。
「っ、馬車を守る!」
イスラは即座に判断し、御者と客の前に身を躍らせる。
炎を受け流し、剣を構えた。
「今だ、やれぇっ!」
曲刀が唸りを上げ、アイオンの首を狙う。
――刹那、アイオンの姿が掻き消えた。
消える身体強化。
風を裂く音だけが残り、そこにいたはずの影が消失する。
「なっ……どこに!?」
狼狽する賊の背後から、冷たい殺気が突き立つ。
剣閃。
瞬きする間もなく、腕が斬り飛ばされた。
血が噴き上がり、絶叫が夜に響く。
「てめぇぇっ!」
もう一人が怒号と共に斬り下ろす。
だがアイオンは一歩も退かない。
刃を横に滑らせて受け流し、そのまま身体をひねる。
返す刀。
喉笛を狙う鋭い一閃が走った。
鮮血が迸り、賊の体が膝から崩れ落ちる。
「クソがぁっ!」
残る一人が血走った目で突進した。
振り下ろされた曲刀――だが振り切る前に、少年の影が視界から消える。
「……っ!?」
気づけば真横。
アイオンは低く潜り込み、刃を大きく斜めに振り抜いた。
一撃。
賊の胴を深々と断ち割り、血潮が地を染める。
男は呻く間もなく崩れ落ちた。
「ま、待って――!」
背後から火球が炸裂する。
魔法使いの女が恐怖に駆られ、両手を突き出した。
轟音と共に炎が奔流となって襲いかかる。
だが、アイオンは振り返りざまに剣を走らせた。
炎が真っ二つに裂け、風が唸って残滓を吹き飛ばす。
火の粉が宙に散り、少年の姿を赤く染め上げた。
「ひっ……!」
女は後ずさり、膝を折る。
自分の全力の魔法を、いとも容易く斬り裂かれた現実に、声すら出せない。
アイオンは剣を構えたまま、冷たく睨んだ。
刃は振り下ろさない。
だが、その視線だけで女の体は石のように固まる。
女は嗚咽を噛み殺しながら震え、地に伏した。
「す、すごい。何が起きたのか……わからなかった……」
イスラが思わず呟く。
自分の想像を超える一撃の数々に、目を奪われていた。
一方で、メリッサは冷静にその光景を見ていた。
(予想以上ね。人を相手にしても臆さないし、魔法も難なく捌く。
でも―まだ甘いところはある。女を生かすなんて、後々厄介になるのに)
焚き火の火の粉が舞い、夜空へ散った。
賊二人は地に伏し、女だけが怯えた目でアイオンを見上げていた。
襲撃は、瞬く間に終わった。
#
アイオンは深く息を吐き、剣についた返り血を払った。
しかし火の魔法を放った女には、刃を振り下ろさなかった。
彼女は膝をつき、両手を震わせながら炎の残滓を見つめていた。
その恐怖に濁った目を、アイオンは黙って見返す。
「……そいつはどうするの?」
背後からイスラの声が飛ぶ。
アイオンは短く答えた。
「まだ話を聞いていませんので」
その言葉に、メリッサの目が細められる。
彼女は女の顔をひと目見て、すぐに思い当たった。
(――間違いないわね。この女、私たちの前にスパールに向かった乗合馬車の護衛パーティの一人。
名はたしか―ヒィルだったかしら?)
アイオンは女の震える肩を見つめながら、脳裏に先ほどのやり取りを浮かべていた。
――「今夜も楽勝だな」
賊が口にした言葉。
まるで最近も同じことを経験したように。
バルナバでスパール行きの馬車について尋ねたときのことを思い出す。
あの時、馬車組合の人はこう言っていた。
『明日、スパール行きの馬車がある。三日後にもある』と。
「……あなた、冒険者ですよね? 護衛を受けた馬車は?」
アイオンの声に、女は息を呑み、顔を背ける。
「わ、私は……!」
言い訳は最後まで続かなかった。
押し殺した嗚咽が喉から漏れ、肩が震える。
イスラは剣を構えたまま問い詰める。
「冒険者って……? あなた、まさか賊とつるんでいたの?」
だが、メリッサだけは静かに首を横に振った。
「……違うわ。彼女は、私たちの前に出発した乗合馬車の、護衛パーティの一人よ」
イスラが目を見開き、アイオンは眉をひそめる。
メリッサは淡々と続けた。
「そうよね? ……ヒィルさん。あなたがそんな姿で賊といるって事は、馬車は襲われ、あなたは体よく使われるために生かされたって事ね?」
女は声をあげて泣き崩れた。
罪悪感に苛まれながらも、結局は我が身可愛さのために仲間を見捨てた。
その醜さを隠す術もなく。
アイオンは剣を下ろす。
「……“今夜も”って事は、最近襲ってなきゃ言わない言葉です。どうしても気になって」
その真っ直ぐな言葉に、イスラは小さく息を呑んだ。
「な、なるほど……」
メリッサは冷静に目を細める。
(中々の判断力ね。そんな言葉で予想を立てて、冒険者である事まで見抜いた)
#
夜気に混じる血の匂いの中、馬車の乗客と御者は安堵していた。
―無事にスパールまでたどり着ける。
襲撃は退けた。
だが、アイオンは気になる事があった。
女の前にしゃがみ込む。
恐怖に濡れた瞳が揺れ、泣き顔のままアイオンと目が合う。
「乗合馬車の乗客は?」
短く問われた瞬間、女の肩がびくりと震えた。
口を開くが、声にならない。
「……あ、あの……」
怯えた声がようやく漏れる。
「……連れて行かれました。家族三人……です……。御者は……死んでます……」
言葉を吐き出すたび、女の顔は青ざめていく。
己が口にする事実を恐れているかのように。
その告白を聞いた瞬間、イスラが立ち上がった。
炎に照らされた瞳に、怒りの色が燃え上がる。
「なんてことを……! よく黙っていられたわね!」
非難の声は夜気を震わせ、怯えた女の体をさらに小さくさせた。
女は目を伏せ、唇を震わせながら搾り出すように言う。
「……わ、私は……生きるために……どうしても……
御者が殺されて……仲間も……私まで殺されると思って……っ」
涙混じりの声は震え、嗚咽とともに途切れる。
その姿に、イスラの怒りは抑えられなかった。
「それで命乞いしたっていうの? 戦いもせずに!?」
焚き火の炎に照らされ、彼女の表情は憤りで赤く染まっていた。
「そんな事、許されるはずがない! あなた、冒険者でしょ!?」
女は首を振り、必死に言い訳を重ねた。
「ち、違う……違うの……! 前衛がすぐ斬られて……! 私は……私はただ……!」
言葉は震え、最後は喉に詰まって消えた。
そのやり取りを黙って見ていたアイオンが、低く声をかける。
「イスラさん」
怒りに肩を震わせる彼女を制すように、視線を向けた。
イスラは息を詰まらせる。
女をにらみつけながらも、言葉を失った。
アイオンは再び女の前にしゃがみ込み、静かに問いかける。
その目は、ひどく冷たかった。
「連れて行かれた先は知ってるな?」
女は唇をかみ、震える指を胸に押し当てた。
血と涙に濡れた顔を上げ、かすれた声で答える。
「……はい……。賊の隠れ家を……知っています……」
その瞬間、アイオンは立ち上がっていた。
「なら、案内しろ」
その一言に、イスラの目が輝く。
「そうよ! 今なら間に合うかもしれない!」
だが、二人の前にメリッサが進み出て、手を上げて制した。
「待って。これはあなた達がやることじゃないわ」
低く落ち着いた声。
だが拒絶の色がはっきりとにじんでいる。
「冬に入れば雪で調査が困難になる。だからこそ賊は調子に乗ったのでしょうけど……2台続けての襲撃はさすがにやりすぎた。冒険者ギルドも馬車組合も黙ってはいないわ。時間はかかっても、正式に動くはずよ」
イスラが食い下がる。
「でも、攫われた家族は手遅れになる! 賊がいつまでもこの地にいるとは限らないじゃない!」
その横で御者が、疲れた笑みを浮かべて口を開く。
「お嬢さん、言ってることは分かるさ。だが俺たちは助かったんだ。ここで無茶して全員死んじまったら元も子もない。…このままスパールに向かうのが一番だ」
現実的で重い言葉に、イスラは唇を噛んだ。
だがアイオンは揺るがなかった。
「俺は行きます」
声音は淡々としていたが、焚き火の光に照らされた横顔には一切の迷いがない。
「イスラさん」
「な、なに?」
「あなたは馬車の護衛をしてください。それが依頼なのは間違いないので」
イスラは一瞬言葉を失う。
けれど、アイオンの真剣な眼差しに押され、強く頷いた。
「……わかった。でも、絶対に無茶はしないで!」
「勿論です」
夜気に混じる血と煙の匂いの中を歩き出す。
しかし――
「待ちなさい」
メリッサの声が鋭く響いた。
「それはあなたのやることじゃない。わかってるでしょ? 優先順位を間違えないで」
理詰めで言い聞かせようとするメリッサ。
(命が無事なだけで助かっているとは言わない。それを理解しているはずなのに向かおうとする……甘い。しっかり矯正しなくては)
――だが、メリッサは知らなかった。
彼の怒りのスイッチを押してしまったことを。
アイオンは振り返る。
明らかに怒気をはらんだ目をしていた。
「優先順位?」
「……そうよ」
「人の命より優先されることがあると?」
――綺麗事を。
メリッサが眉をひそめる。
「開拓村の近くにあった魔物の巣でわかったはずでしょ? ――息をしているだけで生きているとは言わない。その可能性が高いのは、あなたも理解してるはず」
その言葉に、アイオンは一瞬驚いたような顔を見せ、軽く笑った。
「……あれを見なくても、そんなことは理解してますよ。あなた以上に、ずっとね」
「……どういう意味?」
「話す義理も義務もない。―とにかく、あなたに行動を制限される理由はない」
「……私にはなくても、彼にはあるわ」
メリッサは視線を御者へ向ける。
御者が乗合馬車の責任者には違いなかった。
「あなたたちの安全を守るために、彼は雇われている。そうよね?」
「そ、そうだ兄ちゃん! 馬鹿な真似はやめて、早くここから出発しようぜ!」
だが、アイオンは御者を見据え、静かに言い切った。
「そのためにイスラさんを残すんです。安全に配慮もしている。イスラさんなら夜明けまで対処できるはず。…この程度できなければ、昇格なんてしない方が良い。できますよね、イスラさん?」
急に話を振られ一瞬戸惑ったが、イスラは力強く頷いた。
しかし、それに納得できない御者は声を強めた。
「って言ってもな……。さっき何もできなかったじゃないか。兄ちゃんより腕が落ちるのは間違いないだろ? 安全性が下がるのは困るぜ」
その言葉にイスラは反論しようとしたが、先にアイオンが答えた。
「急な奇襲に対して、馬車を守る判断をいち早くしていました。彼女に足りないのはランクだけです。――少なくとも、あの程度の賊にやられた、この女のパーティよりは動ける」
「そ、それは……!」
たまらず女が声を上げる。それを睨みつけて黙らせた。
「賊に襲われなかった時と、何も変わりませんよ。ここであなた達は一夜過ごす。…変わるのは、交代で見張る事ができずに、俺とイスラさんが眠れないってくらいです」
少しふざけた調子で笑う。
乗客の二人は不安そうだが、続けて声を掛けた。
「今、あなた達は偶然命が助かっただけだと思ってます?…違いますよ。この場所は奇襲に対処しやすい。選んだのは彼女です」
「そ、そりゃそうだが……」
「―残りの賊が異変に気づく前に制圧します。夜の内に片付ける。…追われる事の方が危険なんでね。あなた達は彼女を信じて待っていてください」
そう言うと、アイオンはイスラに近寄り、耳元で小さく囁いた。
「おそらく賊は来ません。この程度の実行部隊しかいないなら、大した戦力もないでしょう。…しかし、警戒はしてください」
「わ、わかったわ」
アイオンは微笑み、離れる。
なにか言いたげなメリッサの視線に気づくが、無視した。
しゃがみこんでいた魔法使いの女の腕を乱暴に掴み、無理やり立たせる。
「案内しろ」
女は怯えた声を漏らしたが、構わず夜の闇へ歩を進めた。
焚き火の明かりの外に消えていく背を、メリッサは黙って見送る。
(甘すぎる……。矯正には時間がかかるわね。でも、あそこまでの反応をするとは思わなかった。理解できていないわけじゃない。自分の感情を優先しているわけでもない……目的がわからない)
メリッサは深く思考する。
アイオンの言動から人となりを探ろうとする。
しかし、どれだけ長く接しても、理解できる日は来ないだろう。
アイオンは揺るぎない信念を持って生きている。
――2度目の人生は、自分のやりたいように生きる。
その柱が崩れることはない。
ゆえに矯正されることもない。
誰かの意思で、自分を曲げることはない。
彼は二度と、自分を裏切らないと決めている。
――たとえ、それで不利益が生まれても。




