番外編 オルババ村の一幕
オルババ村には冬の気配が、すでに深く降りていた。
木々はほとんど葉を落とし、朝晩の冷え込みは一層厳しい。
人々は畑を整え終え、保存食や薪の準備に追われている。
教会の前では、レアが火の落ちた枝葉をまとめていた。
白い息を吐きながら、村の子どもたちに声をかける。
「寒くなってきたわね。風邪をひかないように、家に帰ったら手を洗ってね」
子どもたちは元気に返事をして、教会から家へ駆けていった。
そこへ、薪を抱えたベティが現れる。頬を赤く染め、にこやかに笑う。
「ふふ、重たいです〜。でもこれで今夜は暖かく過ごせますね〜」
レアは微笑みながら薪を受け取り、ふと空を見上げた。
灰色の雲が広がり、遠くの山並みはうっすらと雪化粧を始めていた。
「…元気かしらね、アイオン」
ベティは小さく瞬きをし、声を落とした。
「カーラさんと離れてしまったのは〜、少し不安です〜」
バルナバから知らされた二人の別離。
後ろめたい理由ではなく、前を向くためにカーラが選んだ決断だとわかってはいる。
だが、ベティの胸にはやはり心配が残っていた。
「…あの子が選んだ道よ。イザークたちがついていてくれるなら大丈夫」
「はい〜。でも、そんなにすぐ成果を上げるなんて〜。ここで見てきた姿に慣れてましたが、やっぱりとんでもない人なんですね〜」
「『隣に立つには役不足』。甘い世界じゃないのはカーラもわかっていたでしょうけど、想像以上だったのでしょうね」
「でも…カーラさんと旅立って、アイオンさんに良い影響があると期待していたじゃないですか〜。あの子は自分の命を粗末にしすぎる〜。守る者、カーラさんがいればそれも改善されるかもって〜」
ベティはレアの言葉を思い出していた。
カーラと旅をすることで、アイオンが自分の命の重みを理解してくれれば――そう願っていたのだ。
「人の成長を予測するなんて、傲慢なことはできない。ただ、そうなればいいとは思ったけどね」
「…私も一緒に行ってれば〜」
ベティが呟くと、レアは小さく肩をすくめる。
「ただの同行者で終わるわね。あの子は勘がいい。あなたの視線がアイオンではなく女神様に向いているのを察して、きっと距離を置くわ」
「……」
「だからこそカーラなのよ。アイオンをアイオンとして見られる人が必要なのよ」
「…はい〜」
ベティは不服そうに返事をする。その様子に、レアは思わず笑った。
「それに、あなたがいたらアイオンの心配事が増えて大変よ? どれだけアプローチされてるの?」
「私の身は女神様に捧げてます〜。迷惑なだけです〜!」
オルババ村に駐留するフィギルの私兵や、討伐依頼で訪れる冒険者たち。
ベティは彼らの目当ての一つになっていた。
些細な怪我を理由に教会を訪れたり、贈り物を持ってきたりと、事あるごとに彼女に接触してくるのだ。
もちろん、レア目当ての者もいる。
だが、長く生きている彼女はそうした対応に慣れていた。
一方でベティは不器用に冷たくあしらうだけで、その不慣れさと、見た目や口調とのギャップが逆に彼らを惹きつけてしまうのだった。
「別にいいのよ? 私が口を出すことじゃないし。あなたの好きにすれば」
「好きにしてるからこそ〜迷惑なんです〜!」
「私としては、あなたの子どもを見たいけど」
ベティはレアに拾われ、教会で育った。
レアにとっては我が子も同然の存在だった。
「なら尚更、アイオンさんと行かせるべきでしたね〜。残念でした〜」
「…それはやめなさい」
「好きにしろって言ったのに〜」
二人は小さく笑い合い、教会の扉をくぐる。
旅立った二人を想いながらも、村に残る者の務めは変わらない。
寒さに閉ざされる季節だからこそ、寄り添い合い、火を囲む時間が何よりの支えになるのだった。
#
教会の鐘が昼を告げる頃、オルババ村の肉屋から煙が立ちのぼっていた。
屋根の下に吊るされた干し肉は、例年よりも心許ない。
主人のブライは腕を組み、その列を見上げて重いため息をつく。
「…足りねえな。どう考えても冬を越すには少なすぎる」
視線を落とすと、店先に並ぶわずかなホーンラビットの肉。
かつてはアイオンが頻繁に仕留めて持ち込んでくれたものだ。
素早く確実に数を揃えてきた若者がいなくなってからというもの、狩りの成果は目に見えて落ち込んでいた。
「若ぇのが何人か行っちゃいるが……やっぱりあいつほど手際よくはねえ。森に深入りすりゃ死人が出かねねえしな」
指折り数えてみても、結果は同じ。
干し肉の数は到底足りず、冬を越せなければ村人の命すら危うい。
「人が増えて物流の流れは良くなったからどうにでもなるが……俺の稼ぎがなぁ……」
誰に聞かせるでもなく呟き、また肉を睨む。
頭の中では、計算が止まらなかった。
――残りの干し肉で何日持つか。次の狩りでどれだけ確保できるか。
そんな時、カランカランと戸が開く音が響いた。
振り向くと、白い服に身を包んだ美女が立っていた。
雪のように白い肌と髪を持つ赤眼の美女が。
しかしブライはそんな容姿に興味を示さない。
――彼の目には、ごく普通の少女としか映っていない。
「こんにちは! 干し肉をたくさんくださいな!」
差し出された袋にはかなりの額の貨幣が詰まっていた。
だが、希望された量は備蓄の半分以上に及んでいた。
「嬢ちゃん、それは無理だ。冬越しの分もあるんでな」
「なに!……仕方ない、売れる分だけ頼むよ!」
あっけらかんと笑い、女は必要量を削っていく。
(前にも来たことがあるのか?……覚えてないが)
その明るさに、ブライは少し肩の力を抜きながら肉を包んだ。
「まったく……ホーンラビットの肉が安定して獲れりゃ、こんな苦労もねえんだが」
思わずこぼした愚痴に、少女は小首を傾げた。
「そうか、食用に飼育する術も失われてるのか。――群れの中でも気の強い個体を先に狩れば落ち着くの、知ってるか?」
「…気の強い奴?」
「そう。先頭を走るやつ。あれがいなくなると群れは統率を失って大人しくなる。逃げ場を作らないよう木柵や罠を組めば、しばらくは群れを飼えるんだ。ただ注意しろよ? 新しいボスが立ったらまた群れは活性化するからね」
「…ほう」
ブライは思わず目を細めた。単純だが理屈は通っている。
「まずは数体捕まえて、あえてボスを作らせる。間引くのはその後だ。繁殖数は多いから要注意。群れがでかくなれば争いも始まるし管理も大変だが、自警団の訓練にはちょうどいいかもな。――古い知識だが、役には立つはずさ! じゃあ、また来るよ!」
軽く笑って、少女は包みを抱え去っていった。
「毎度あり!」
見送ったブライは、大きく息を吐く。
「やってみる価値がある。――なぜか、そう確信してる」
店を閉めると、その足で自警団の詰所へ駆け込んだ。
「おい! ホーンラビットを生け捕りにするぞ! 試してみたい方法がある!」
そこには息子のアバスもいた。
「父さん! 急にどうしたんだよ!」
「ホーンラビットの飼育で試したいやり方があるんだ! そのために必要なんだ!」
「それは危険だからやめようって言ったじゃないか!」
「馬鹿野郎! 今の森に自警団が入るより危険度は低いだろうが!」
言い争う二人に、ラクトが慌てて割って入る。
「ちょ、ちょっと落ち着け! 二人とも!」
「おうラクト! 頼むよ、やらせてくれ!」
そう言ってブライは頭を下げた。
「人が増えて他の村との交流も楽になった。なら、店をでかくするチャンスでもあるんだ! だが最近は森に入るのは冒険者ばかりで、自警団の狩りの数は減っただろ? 肉の数が足らねぇんだ!」
「う〜ん……それはわかるが……」
「それに、自警団の仕事も減ったろ? アバスだって森に入る数が減ったってぼやいてたじゃねえか! 訓練ばっかより体を動かした方がいいだろ?」
ラクトは悩む。
自警団が本職な者はいないが、冬の間は活動要員が増える。
だが森にはハーピーなどが増え、危険ゆえ活動は減り、持て余しているのも事実だった。
「…何体だ?」
「! 良いのか!?」
「安定してブライさんの干し肉が食えるってのは魅力的だ。仕事もできるし、村の収入も増える。全員が得するかもしれない。……だが、失敗したら諦めてくれ」
「わかった! 助言の通りやってみるだけだ!」
「助言? 誰からの?」
「…忘れた! だが確信がある。成功するってな!」
詰所にブライの笑いが響いた。
同時に、「本当に大丈夫か……?」という空気もまた流れていた。
#
家の囲炉裏では、ぐつぐつと鍋が煮立ち、野菜と干し肉のいい匂いが漂っていた。
セアラは手際よく包丁を動かし、刻んだ野菜を鍋に落としていく。
その横で、ナリアが小さな手でじゃがいもの皮を剥いていた。
「ほら、お母さん見て! できたよ!」
「まぁ、上手になったわね」
セアラが覗き込むと、ところどころ大きく削れて不格好なじゃがいも。
けれど娘が一生懸命に剥いたものだ。セアラはにっこり笑って受け取った。
「このくらいなら上出来よ。むしろおいしそうに見えるわ」
「ほんと? えへへ」
ナリアは嬉しそうに頬を緩め、次の芋に挑戦し始めた。
その小さな背中がなんとも愛おしくて、セアラは手を止めて見守ってしまう。
やがてナリアがぽつりと言った。
「ねえ、お母さん……アイくん、元気かな?」
セアラは少し驚いたように娘を見たが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「もちろん元気よ。あの子は丈夫だもの」
「そっかぁ。ちゃんとご飯食べてるかな。お肉ばっかりじゃなくて、野菜も食べてるといいな」
「ふふ、ナリアの方がしっかりしてるくらいね」
「だって、アイくんってすぐ無茶するんだもん」
「そうねぇ。でも、ナリアが心配してくれてるなら、きっと大丈夫よ」
ナリアは照れくさそうに笑い、またじゃがいもに向き直った。
セアラはそんな娘の姿に、心の中まで温められる思いで鍋をかき混ぜる。
窓の外には冬の気配が濃くなりつつあったが、
家の中は笑い声と湯気に包まれ、穏やかな時間が流れていた。
#
オルババ村の木の門。
昼下がり、誰も来ない村道を眺めながら、ロッチとボブが立っている。
「なあボブ、俺ってどうしてモテねえんだろうな」
「ははっ、また始まったよ。どうしてって、顔だろ」
「おいコラ! 俺の顔は村じゃまあまあって評判だぞ!」
「それ、お前が勝手に広めてるだけじゃないのか?」
ロッチはむっとして槍を握り直す。
「じゃあ何が悪いんだよ。体格か? 話し方か?」
「それを教えろって?……一晩お前といるのはごめんだな」
「お前なぁ!」
ボブは余裕たっぷりに笑いながら肩をすくめる。
「カーラが好きとか言っといて、他の子にちょっかい出すから悪いんだよ。この村でそんなんなのはお前ぐらいだぞ? 腕も悪くない、人当たりも良い。それでモテないって致命的だろ」
「ぐっ……! 新しい住民や冒険者にも一切モテないが!?」
「下心が服着てる内は無理だ」
「くそっ! 俺だってそのうち――」
そこへ、女性冒険者数人が通りかかった。
ロッチは慌てて胸を張り、声を張り上げる。
「よ、よう! 今日もいい天気だな!」
女性達は一瞬ロッチを見て、すぐに笑ってボブに手を振る。
「ボブさん、ビアンカさんによろしくねー!」
「おう、気を付けてな!」
娘たちは去っていき、ロッチは肩を落とした。
「…なんで俺には『よろしく』の一言もねえんだ」
「『冒険者はワンナイトが多いはず!』ってアタックするからだろ。そういう人もいるだろうが、彼女達は違った。だからお前の軽薄さが浮き彫りになったってだけだ」
「正論すぎて刺さるわ!」
二人はしばらく沈黙したあと、同時に吹き出して笑った。
「…まあいい。今日も平和だな」
「平和が一番だ。ちなみに俺は今夜ビアンカと一緒に飯だ」
「黙れぇぇ!!」
ロッチの叫びが村に響き渡る。
冬に入り、人恋しい季節が来る。
果たしてロッチは、今年こそ誰かと過ごせるのだろうか。




