番外編 イスラ③
三日後。
イスラはバルナバを離れ、スパールへ向かうことになった。
とはいえ、いずれ戻って来るのだが。
昇格のための依頼で街を離れることを、オリバーたちに伝えるため店を訪れる。
戻って来る頃には開店しているはずの店。
本当なら一番に入店したかったが、それは叶わない。せめてそのことだけは伝えたかった。
通りを歩き、目的の店が見えてくる。
だが、そこで出てきた人物に、イスラは思わず固まった。
(――なんであいつがここに!?)
オリバーたちの店から出てきたのは、黒髪の少年。
こちらに向かって歩いてくる。
(……落ち着いて。ただ、すれ違うだけよ)
呼吸を整え、平静を装いながらすれ違う。
面識はないのだから、過剰に反応する必要はない。
そのまま店のドアを開けると――アイオンに声を掛けられることは、もちろんなかった。
「なにか忘れ物でも――イスラ!」
オリバーが慌てて駆け寄るが、イスラの姿を見て安堵する。
「……あの人と知り合いだったの?」
「えっ? あ、アイオンさんのこと? ちょっとね。それより、どうしたの?」
「……みんなに伝えたいことがあって」
「えーっ、なんだろ?みんなー! イスラから話があるって!」
呼びかけに応じて、トビーとインキーが集まる。
三人を前に深呼吸をし、堂々と胸を張りイスラは告げた。
「――昇格依頼が正式に決まったわ! 三日後、スパール行きの乗合馬車の護衛! それを果たせば、晴れてDランクよ!」
「「「おお〜!」」」
三人は声を揃えて喜びをあらわす。
共に村を出た仲間として、それは夢の階段を登る一歩。
自分たちは脱落してしまったが、イスラは一人そこへ辿り着いた。
その事実が嬉しかった。
「良かった! やったね、イスラ!」
「うん! まだ始まってもないけど……必ずDランクになるわ!」
そう言ったあと、声を少し落とす。
「……でも依頼は三日後。だから、お店のオープンには間に合わないの」
「そっか……残念だけど、仕方ないよね」
「これを逃したら、次はいつになるかわからないから……ごめんね」
その言葉に、三人は顔を見合わせる。
「三日後って、アイオンさんと一緒に行くんだね?」
「確か、フィギル地方を出るって言ってた」
「なるほど! それなら安心だね!」
どこか遠慮がちな雰囲気。
少し違和感を覚える。
「……あいつとどういう関係なの? オルババに行ったことがあるの?」
「どういうって……出会ったきっかけを説明するのは無理だけど、ライアさんのお弟子さんだよ」
イスラは息を呑む。
自身の境遇に重ね、憧れていた女性の――弟子?
「――嘘よね? あの人、弟子なんて取る人じゃないでしょ」
「嘘なんてつかないよ! 僕たちはライアさんにお世話になったって話したろ? その時に少しだけ交流したんだ」
実際は“禁断の森”での緊急依頼で出会ったのだが、それを明かせば契約に従い命を落とす。
オリバーたちは嘘をつくしかなかった。
「あの人は出て行っちゃうから、次に戻って来るまで店を続けててねって言われたんだ」
「……なにかされた、ってわけではないの?」
「「「まさか!」」」
三人が声を揃える。
嘘を言っているようには見えなかった。
「……わかったわ。じゃあ、依頼の準備があるから、私は行くね」
「食事は? 簡単なのなら作れるよ!」
「次にオリバーのご飯を食べるのは、お金を払う時って決めてるの。――じゃあ、行ってくるね!」
#
軽く手を振り、イスラは店を後にする。
その背を見送り、三人はほっと息をついた。
「……大丈夫、だよね?」
「うん、あんまり突っ込まれなくて良かったー」
「昇格か……僕たちのせいで足踏みさせちゃったけど、頑張ってほしいね」
「「そうだな」」
四人で冒険者になる――その夢は叶えた。
だが続けることはできなかった。
今、イスラだけが歩み続けている。
「……イスラ、仲間ができるといいね」
「臨時パーティは組むけど、正式にはまだ組んでないよね」
「Dランクになってから考えるって言ってた」
「ひとりじゃ不安だね……」
三人はしばし物思いにふける。
やがて誰からともなく動き出し、開店準備を始めた。
イスラがバルナバに戻ってきた時、
――こんなに繁盛してるんだ! と胸を張って見せるために。
――自分たちはもう大丈夫、と伝えるために。
#
イスラは道具屋で、低級の回復薬を手に取りながら考え込んでいた。
(ライアさんの弟子……)
誰とも組まず、誰とも親しくならず、ただ孤高を貫き通した人。 そのライアの弟子。
(ライアさんが認めたってこと? ……Bランクに戻って依頼を受けるでも、街を出るでもなく、オルババに向かったって聞いたけど……理由は、彼?)
脳裏に黒髪の少年の姿が浮かぶ。
彼も確か、双剣の使い手だった。
(元Aランクのオルド支部長と、さらにライアさんに認められてるってことは、実力は本物?)
これまでは評価を偽りだと決めつけ、一方的に敵意を向けてきた。
年の近い相手に負けたくない――そんな感情が、自分の目を曇らせていたのかもしれない。
イスラは自問自答を繰り返していた。
「――お嬢ちゃん!」
不意に店員に声をかけられる。
「は、はい!?」
「具合でも悪いのかい? さっきからそればっかり見つめてるけど」
「い、いえ! 昇格依頼を受けることになって、遠出するので選んでたんです。ちょっと悩んじゃって……」
「そうか! んー……Dランクに昇格するんだな?」
「わ、わかりますか?」
店員はにやりと笑った。
「そりゃわかるさ! パーティの買い物係かい?」
「いえ、単独です。……同席者はいますけど、組んでるわけではないので」
「おお、そりゃ珍しい! なら、これサービスでつけとくよ」
そう言って店員は中級の回復薬を見せる。
「えっ、いいんですか?」
「回復薬はいくらあっても困らないからな! ……その代わり、昇格したらたんまり買ってくれよ? Dランクの割引はEランクとは別物だぜ!」
「ありがとうございます! じゃあ、こっちは買います!」
イスラは回復薬を数本と、毒消しなどを購入した。
保存食は出発前に改めて買うつもりだ。
道具屋を出ると、ギルドへ足を向ける。
日は傾いていたが、確認を怠るわけにはいかなかった。
(私が指示を出すということは、ルートをしっかり把握しておかないと!どこで何の被害が出ているのか、全部頭に入れておかなくちゃ! 残り三日は、それに全部つぎ込む!)
その日からイスラは、スパール行きの道筋を徹底的に調べ上げた。
すべては昇格のために。
そして、自分の力を示すために。
#
そして、出発の朝が来た。
事前準備を終え、自分の荷を担ぐ。
腰に剣を差し、イスラは部屋を出た。
しばらく戻ることのない、初心者向けに貸し出されているギルド運営の宿屋。
寝心地は悪く、良い思い出は少ないが、長く過ごした場所だ。
(次に戻るときは、“銀の鹿亭”で寝泊まりする!)
憧れの人気宿。
Eランクでは一泊するのが精一杯だったが、Dランクになれば生活も安定する――はず。
ギルド横の宿屋に目を向け、歩き出す。
向かうのはバルナバの外門。
そこに待つ乗合馬車が、全ての始まりだった。
#
門の前に着くと、自然と目に入った。
黒髪の少年と、もう一人の少女。
イザークとエリー、そして馬車。
余裕を見せるように歩み寄る。
「――知りません。一緒に行動している人ではありませんので」
どうやら、自分のことを話していたらしい。芝居がかったタイミングだ。
「……時間通りよね?」
「お前さんがEランクの?」
「そうよ。この依頼が昇級試験でもある。邪魔はしないでね、Cランクさん」
アイオンを軽く一瞥し、御者にギルドカードをぶっきらぼうに差し出すと、そのまま馬車に乗り込んだ。
中に入ると、前方に二人、座っている客がいた。
後方の席に腰を下ろし、荷を横に置く。
あとは心を落ち着けるだけ。
(主役は私……私がしっかりすれば、大丈夫)
そう思っていると、フードをかぶった人物が乗り込んでくる。
乗客は二人と聞いていたが、増えたのか。
イレギュラーだが、慌てるほどではない。
「よし、揃ったな! 兄ちゃん、乗りな!」
御者がアイオンへ声を掛けた。
どう挨拶するか考えていたイスラだったが、入ってきたのはアイオンだけだった。
(あら? あの子は乗らないの?)
アイオンは自分の目の前に座り、後ろから外を見ていた。
イスラも視線を向ける。そこには、笑顔で手を振る少女と、イザーク、エリーの姿。
(なんだ……別れたのね。同郷ってだけじゃ、一緒にはやっていけなかったのか。あの子は裏方って聞いたけど、初心者にできることじゃないし……当然ね)
やがて馬車が動き出す。スパールへ向け、バルナバを離れていった。
少女はいつまでも笑顔で手を振り続け、見えなくなるまでその手を下ろさなかった。
(……色々聞きたいけど、今はやめときましょう)
空気を読んだイスラ。
だが、フードの人物がアイオンの隣に座り、声を掛ける。
「……あまり、感傷には浸らないんですね」
「名残惜しいとも、寂しいとも思いますが、永遠の別れじゃありませんから。……ところで、なぜここに?」
アイオンが問うと、相手はフードを外した。
その人物は――メリッサだった。
「移動の辞令が出たので。急でしたが、なんとかねじ込みました」
「――嘘でしょ」
思わずイスラが呟く。
「オルド支部長と一緒に赴任したばかりなのに、すぐ移動? ……そこまでギルドは人手不足なの?」
「はい。人材は常に不足しています。だから私のような身軽な者は、余計に使い回されるんです。……よければ転職なさいませんか? 冒険者からギルド員になる人も多いですし、歓迎しますよ? イスラさん」
「お断りよ」
それ以上会話を続けず、イスラは外へ視線を向けた。
(私は気を使ったのに……なんて空気の読めない大人なの?)
それでも気になり、少年へ目を向ける。
相変わらず冷静で、澄ました顔をしていた。
(なんにせよ――ここからね)
護衛依頼が始まる。きっちりこなして、Dランクになる。
イスラは意を決して、アイオンに声を掛けた。
「――いいかしら?」
「はい。――そういえば、名乗っていませんでしたね。アイオンです。Cランクとはいえ経験は足りていないので、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げるアイオン。
(こ、こいつ……Cランクスタートなのに、大物ぶらない!?)
驚いたイスラは咳払いをして、自分も名乗る。
「ごほんっ! ――イスラよ。私の昇格依頼がメインだから、指示には従ってもらうわ。一応、調べてきたから確認して」
そう言って地図を見せた。
最近の魔物被害や野盗の発生地点、予測される野営地や水の補給場所まで記されている。
貧民対策で街道が整備されたため、フィギル領とデオール領の境までは危険は少ないが、その先は違う。
イスラはそれをしっかり書き込んでいた。
アイオンは無言で地図を見つめる。
その目は厳しく見えた。
(な、なに? 不備を指摘される?)
固唾を飲んで待つイスラ。
やがてアイオンの口から出た言葉は――
「すごいですね」
「……えっ?」
「こんなに細かく調べてあるなんて。……それでもまだEランクなんですか?」
「そ、そうよ! 悪い?」
「いえ、自分が恥ずかしくなって。やっぱり下積みをこなしてこそ経験になりますね」
感心しながら地図を見るアイオン。
メリッサも覗き込み、頷いた。
「確かに、よくまとめられていますね。デオール領での賊被害をしっかり調べてあります。あちらは魔物より賊被害の方が多いんですよ」
「そうなんですか?」
メリッサはアイオンに説明する。
「はい。フィギル領は賊にとって旨味が少ない土地ですから。森の中は村人の方が詳しいし、他領やバルガ帝国に逃げるにも時間がかかる。何より、うっかり“禁断の森”にでも入ったら――。街道整備でフィギル子爵の私兵が動きやすくなったのも大きいです」
「へぇ」
「最近は魔物被害が増えましたが、その分さらに賊被害は減りました。移民の受け入れでトラブルもありましたが、開拓村が軌道に乗れば落ち着くでしょう。逆にデオール領――というよりローズレッド王国内では、賊被害が絶えません」
メリッサは視線をイスラに向ける。
「イスラさんはナハト領の出でしたよね?」
「そ、そうよ。私の村も賊被害が多かったわ」
「このフィギル領は、特別に平和なんです。初心者向けの魔物が多く、賊被害も少ない。だから駆け出しが集まりやすい」
イスラは頷く。
ローズレッド王国の冒険者志望にとって、「少しの金があるならフィギル地方へ」というのは常識だ。
「もちろん全員がそうではありません。イザークさん達のように他所で冒険者になる人の方が圧倒的に多いですし、ライアさんのように再起を図るために来る人もいます。おもしろい土地ですよね」
再び地図へ視線を落としたメリッサが、ふっと口角を上げる。
「――よく調べてあります。イスラさん、ギルド員に向いていますよ。有能な人材になれる。真剣に検討してみては?」
「け、結構よ! 私は冒険者として生きていくの!」
「残念。気が変わったら、いつでも歓迎しますよ」
褒められて悪い気はしない。むしろ舞い上がりそうだ。
それでもイスラは自分に言い聞かせる。
(落ち着いて、イスラ。油断せず依頼をこなすのよ)
そんなイスラに、アイオンが穏やかに告げた。
「指示には従います。なんでも言ってください。勉強させてもらいますね、イスラさん」
「ま、任せなさい!」
(――こいつ、全然嫌なやつじゃない。言動も柔らかいし礼儀正しいし……これで実力もあるなんて、詐欺じゃない!?)
イスラは考えを改めた。少なくとも、アイオンは調子に乗った新人ではない。
――そしてイスラは、少し嬉しかった。
オリバーたち以外に、自分を褒めてくれる人はいなかったから。




