あなたの望み
畑の収穫が終わってしばらくすると、冷たい風が辺りを巡るようになった。
この世界にも季節の移り変わりがあり、冬が訪れた。
「じゃあ、見回りに行ってくる!」
「気をつけてね、ラクト」
「お父さん、いってらっしゃ〜い!」
「おう、ナリア!セアラ、頼んだぞ!」
冬の間は畑仕事が休みになる代わりに、自警団の仕事が中心となる。
ラクトは朝の訓練に加えて、夜の見回りも担当していた。
一方、数日前からアイオンは家を出ていた。
冬は食料の確保が難しくなり、雪が降ればなおのこと。
そのため、ホーンラビットを狩るために森へ入っていた。自警団の調達班と被らぬよう、離れた区域で。
協力すればより多く狩れる。眠るときも交代で見張れる。
ラクトはそれを理由に、他の団員と共に動けと説得してきた。
だが、アイオンはそれを拒み、ひとりで村を出た。
――ひとりなら迷わない。好きなように動ける。
そして、それが心地よかった。
前世の自分の生活を思い出す。
あの頃も、こうしてひとりで生きていた。
懐かしさと共に、今が酷く孤独に思える。
(―絆されるな。お前の居場所は、あそこにない。この世界のどこにもない)
頭を振って、湧き上がる感情を振り払う。
(お前は"愛されるべきアイオン"じゃない。ただの…寄生虫だ)
冷たい風が、頭と心を冷やしてくれた。
#
数日後。
まとまった数を狩り終え、村に戻る。
それを肉屋に売り保存食を買い、また森へ戻るつもりだった。
家には―寄らない。
「おい! アイオン!」
そのとき、門番をしている自警団員が大声で駆け寄ってきた。もう一人は鐘を鳴らしている。外敵を知らせる音だ。
「なにかありましたか?」
顔は知っているが名前までは覚えていない。
―殆どの村人に対してそうなんだが。
そんな団員が、血相を変えていた。
「どこに隠れてたんだ! 早く家に帰れ!!」
「隠れてたって…森に行ってただけです。何かあったんですか?」
問い返すと、怒鳴り声が飛んだ。
「このバカッ! ナリアちゃんが倒れたんだよ!!」
「…は?」
予期せぬ言葉に頭が真っ白になった。
#
走った。
狭いはずの村が、異様に広く感じる。
家の扉を開ける。
「アイオン!! どこに行ってたの!?」
珍しく、セアラが声を荒らげて怒鳴った。
目は真っ赤に充血し、涙の痕があった。
「すいません…ナリアは?」
「苦しんでるわ…熱が下がらないの。急に倒れて…一年前のあなたと同じ症状よ」
家の扉が再び開く。
「入るわ…アイオン! どこに―いえ、ナリアは?」
レアが何か言いかけて、それをやめた。ナリアの様子を見つめる。
「大丈夫よ、ナリア」
柔らかな光がナリアを包む。
回復魔法だ。だが――
「ごほっ、ごほっ…はぁ、はぁ…」
ナリアは苦しんだままだ。
「レア様、どうか…! ナリアを助けて…!」
「…この奇病に回復魔法の効果は薄いの。できるのは、少しだけ苦しみを和らげることだけ」
「ナリア…ナリア!」
「ごほっ、ごほっ…お母さん…苦しい…ごほっ…」
「大丈夫よ、ナリア…傍にいるわ…!」
レアの魔力が強まり、緑の光が明るくなる。
ナリアの呼吸が、少しだけ穏やかになる。
そのとき、ベティが家に飛び込んできた。
「レア様〜! ラクトさんが一人で行ってしまいました〜!…アイオンさんとすれ違いましたか〜? ゼアスさんには村長さんが知らせを出しましたよ〜」
その言葉に、アイオンが反応する。
「ラクトさんが? どこに?」
「薬草を探しに〜」
「薬草…? そんなものあったんですか? なら、事前に用意しておくべきでは?」
アイオンが問い詰めるように言うと、レアは一瞬ためらい、静かに頷いた。
「…確かにある。けれど―普通には手に入らないの」
「どういう意味です?」
「冒険者ギルドのAランク。そんな人たちが何組も挑んで…それでも帰らないことがある。それほどの場所にしか、生えていないのよ」
アイオンの脳裏に嫌な予感がよぎる。
「まさか……」
「ええ。禁断の森。そこにだけにある…赤い薬草」
レアが答える。
「…ああ、ラクト―!」
セアラが床に崩れ落ちる。
慌てて支える。
「セアラさん、しっかりしてください!」
「ああ…ラクト…どうして…」
「3年前――もうすぐ4年になるわ。…あの時は私たちも村長たちも、必死で止めたの。既に雪が降っていて、採集の望みはなかったから。…無駄死にになるだけだと」
「…正しい判断ですね」
禁断の森。
Cランク以上の魔物が蠢く、恐るべき禁足地。
森の中で生まれた命以外を受け入れない土地。
そう、記憶している。
「でも〜今回は止められませんでした〜。“もう、なにもできないのは嫌なんだ”って〜。…セアラさん、申し訳ありません〜」
ベティが頭を下げる。口調はいつものままだが、その顔には悔しさが滲んでいた。
「ベティ様のせいでは…ありません…無事を…祈るしか…」
俺の腕を掴み、涙をこらえるセアラ。
「…私の魔力が続く限り、持ちこたえられる。その間にラクトが戻れば…」
レアもまた、無理を承知で言葉を紡ぐ。
けれど、その未来は限りなく薄い。
ラクトも帰らず、ナリアも――
「…ナリアとセアラさんのこと、お願いします。レア様、ベティさん」
腕をそっと解き、俺は立ち上がる。
「あ、アイオン…どこに…?」
セアラが問う。
だが、その表情がすべてを物語っていた。
「ラクトさんを止めて、俺が森に入ります。まだ間に合うはずです」
「だ、駄目よ! そんなの駄目よアイオン!!」
強く抱きしめられる。この温もりが、今はひどく痛い。
「…今の俺の方が、強い。なら、俺が行くほうが…生存確率は、1くらいにはなる」
「そんな…あなたまで失ったら…!」
涙が、こぼれた。
「…行かないで…傍にいて…!」
「…なら、ナリアとラクトさんを諦めるんですか?」
その言葉に、セアラは絶句した。目を見開き、俺から離れる。
胸が痛んだ。けれど―言わなければならなかった。
「…元は死んでた命です。もし帰ってこなくても、ラクトさんがいれば…まだマシでしょう。知らせを受けて、ゼアスさんも戻ってきます」
「アイオン…あなた…!」
冷たく放たれた言葉に、セアラは耐えきれず、意識を失う。その身体を支える。
(…これで、見納めかな)
今世の母親は、優しかった。
父も、兄も、妹も。
―だからこそ、重かった。
自分に対する愛ではないとわかっているから。
中途半端に拒む事しか―。
「わざと嫌われるような言い方をする必要はないのよ? アイオン」
レアが諭すように言う。
「そんなつもりはありません。事実を言っただけです」
セアラを寝かせながら、感情を押し殺す。
「…顔に出てますよ〜。優しい人ほど、隠すのが下手なんです〜」
ベティが、いつものように微笑む。
レアが真剣な眼差しでアイオンに問いかける。
「―あなたの“望み”は、なに?」
望み。
頭に浮かんだのは、前世のあの瞬間。
(死にたかった。消えたかった。それだけを、望んで―)
「違うわ」
レアの声が割って入る。
「それは―"今のあなた"の望みじゃないはずよ」
一歩、近づいてくる。
ベティは焦り、魔力を高めてナリアを癒し続ける。
「…クソ女神か? なにか干渉してるのか?」
レアは答えない。ただ穏やかな微笑を浮かべ、さらに近づいた。
「言ったでしょう? 誰も誰かの代わりにはなれない。あなたは――あなたなのよ」
「…来るな。近寄るな!」
拒絶する声が震える。
「恐れないで。あなたはあなたのままで、世界を見て、人と触れて。―温もりを受け入れていいのよ」
その手が頬に触れる。温かさが伝わる。
――その温もりに、記憶が重なる。
セアラの腕に包まれたときの優しさ。
ラクトの豪快な笑い声と、背中を叩く力強い手。
ゼアスの真剣な眼差し。
ナリアの無邪気な笑顔。
拒んできたはずなのに、確かに受け取ってしまっていた。
“家族”としての愛を。
「もう一度聞くわ。『あなた』は、どうしたいの?」
その目が、俺をまっすぐに捉えた。
「…俺は、ナリアを助ける。ラクトさんも」
「そう…それで?」
「…“家族”を守る」




