番外編 イスラ①
同じ村で育った四人だった。
幼いころから野山を駆け回り、憧れを語り合い、冒険者になる夢を追いかけてきた。
駆け出しに相応しいとされたフィギル地方にたどり着き、ようやくその夢を形にできたときの喜びは、今でも鮮やかに胸に残っている。
けれど――現実は甘くなかった。
依頼の最中、イスラはオリバーをかばって大きな怪我を負った。
更に、駆け出しの初心者が簡単な依頼すら失敗したという事実は、彼らにとって致命的だった。
それから任されるのは、掃除や荷運びといった雑用ばかり。
それでも三人は必死にこなし、得た報酬をすべてイスラの治療費に充ててくれた。
やがて――緊急依頼で思いがけない大金を手にした。
その報酬で、ようやくイスラを全快させることができたのだ。
だが同時に、彼らは冒険者を引退することを決めた。
確かにこのまま続けても、いずれ誰かが死ぬのは明らかだった。
同郷だからこそ、これからも一緒にやっていきたい気持ちはあった。
けれど、冒険よりも別の道を選ぶほうが正しい――それはイスラ自身にもわかっていた。
――才能があったのは、自分だけだった。
そう思うと、胸の奥が冷たくなった。
仲間を守ったことに後悔はない。
けれど、そのせいで道を分かつことになった。
あの頃の夢を、共に叶えることはもうできない。
たとえ儚い夢であっても、彼らと上を目指したかった。
寂しさに喉が焼ける。
それでも笑顔で受け入れるしかなかった。
彼らが新しい道を選んだように、自分もまた――自分の道を歩かなければならないのだから。
#
それからのイスラは、ただ一人で雑用依頼をこなし続けた。
いつかまた冒険者として活動するために、黙々と手を動かし続けた。
AランクからDランクまで落ちてもなお腐らず雑用に取り組み、やがてチャンスを掴んだ者がいた。
その存在を知っていたからこそ、イスラも諦めずにいられた。
這い上がろうと必死だった頃、オリバーたちもまた、それぞれの道で懸命に生きていた。
料理人を目指すオリバーは修行を重ね、トビーはろくでもない女神教の神父に読み書きと計算を学び、インキーは自作の家具を作るために木工の基礎を身につけていた。
時折交流し、互いを励まし合いながら歩みを進めた。
――そんなイスラに、転機が訪れる。
ジーナ王女誘拐事件。
その余波で持ち込まれた魔物により、稼ぎを見込んだ冒険者たちがバルナバへ流入し、街は混乱に陥った。
それに対応するために、事務型だった前支部長に代わり、実力主義者のオルドが赴任してきたのだ。
「これからフィギル地方の冒険者ギルドは、このオルドが仕切る!
いいか? 実力に見合わねぇランクの奴は即降格!
逆に埋もれてた実力者は昇格だ!
過去のミスはよほどじゃなきゃ不問にしてやる!」
その宣言に怯える者は多かった。
特に、ぬるま湯に浸かっていたCランクたちは震え上がっていた。
だが――燃える者もいた。
イスラだ。
オルドは全冒険者にひとつの試験を課した。
それをこなさなければ、この地で依頼を受けることはできないという、極めて強制力の高い試験。
【オルドのランク評価試験】
元Aランク、“ギルド直属冒険者”だったオルド自らが選定を行うものだった。
次々と降格していく者たちを見て、イスラは辟易した。
雑用をこなす自分を笑った者。
冒険者をやめたオリバーたちを酒の肴にした者。
形ばかりのCランクで威張り散らしていた者。
(所詮その程度よね……)
そう吐き捨て、早く自分の番になることを願った。
自分の実力なら、問題なく昇格できると信じていたからだ。
――それは田舎者特有の、自己評価の高さだった。
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「十分わかった。――Eランクのままだな」
「はぁ!?」
手合わせを終え、下された評価にイスラは目を見開いた。
「なんでよ!? Cランクとは言わないけど、Dランクにはなれるでしょ!?」
「今までならな。だがこれからは違う。
お前には現状、ハーピーやアーススパイダーに対抗できる術がない。
パーティを組んだ方がいいぞ。過去のミスは不問にしてやる。それなら平気だろ」
オルドの声音は淡々としていた。
しかし、イスラは食い下がる。
「でも、十分あなたと打ち合えてたわ! 人相手なら通用するはずよ!」
「それは俺が手を抜いてやってたからだ。
そこそこ本気を出したのはウルとオニクって二人だけだ。 他は見るだけでわかる――分不相応だ」
鋭い眼光を浴び、思わず怯んだ。
「――ほらな? 少し睨まれただけで引くようじゃ、まだ場数が足りねぇ。
だが安心しろ。お前はそこそこ見どころはある。
経験を積めばすぐにCには届く。
今は雑用から解放されたことを喜びな。もう行け」
悔しさを抱えたまま、イスラは訓練場を後にする。
(絶対に昇格できると思ったのに!)
怒りに燃える足取りが、それを物語っていた。
#
訓練場に静けさが戻った。
少女が去った後、オルドは気だるげに隣のギルド員へ声をかける。
「次は? 簡単なのでいい」
「はい。……Dランクパーティのリーダーです。大剣使いですので、支部長と同じ武器を――」
「武器が同じでも意味はない」
ギルド員は少し言いよどみながら尋ねた。
「先ほどの少女……優秀だと思ったんですが、駄目でしたか?」
「駄目だ。身体強化は荒っぽいし、剣術も我流にしては素直すぎる。
経験を積めば形にはなるだろうが、一流には届かん」
「手厳しいですね」
オルドは鼻を鳴らし、別の名を口にした。
「イザークって奴はまだか? 二人のリーダーで、期待のホープだって評判だろう」
この地方で“期待のホープ”と呼ばれる程度なら、他所では珍しくもない。
そう高を括っていたが、先の二人――ウルとオニクはなかなかの実力を見せた。
どこのギルドでも通用するほどに。
「イザークはまだバルナバに到着していません。お楽しみは最後の方かと」
「そっちの方がいいか。……はぁ、退屈だ」
やると決めたのは自分だが、まさかここまで退屈するとは思わなかった。
「ハーピー討伐の依頼なんかは人を選べ。査定の終わった奴らを寄せ集めて臨時のパーティにしろ。
下も混ぜとけよ? 経験を積ませるのは大事だ」
「はい」
「後はメリッサに任せる。あいつは優秀だ」
「承知しました。……さすが“特別ギルド員”ですよね」
「そりゃあ仕事はできるさ。お前らも見習え。いついなくなっても困らんようにな」
そしてオルドは、次に現れる冒険者を気怠げに待った。
――こんな辺境で、自分を退屈させない者など現れるはずがないと思いながら。
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夕暮れの街角。偶然出会った四人。
イスラは少し不機嫌そうに見えたが、オリバーは変わらぬ笑顔で声をかけた。
「お疲れ様。どう? そっちは」
「……お疲れ。新しい支部長が、前のミスを不問にしてくれた。普通の依頼も、たぶん受けられる」
三人は顔を見合わせ、しばし沈黙。
「そっか!それは良かった!」
「俺たちも、やっと店を持てそうなんだ! オリバーは修行を積んだし、インキーの家具作りも上達した」
「トビーも読み書きと計算ができるようになった。教会には結構取られたけど……」
「それは仕方ないよ。必要経費だ。……ごめん、イスラ。僕たちは順調でも、きみだけはやっと元に戻ったくらいで」
真っ直ぐな言葉。
だが、その瞳には後悔と悔しさが入り混じっていた。
イスラは静かに頷き、そして笑った。
「そうだね。でもここからは違う! 私、すぐにDランクになってみせるし、その先にも!
そしたらみんなに自慢させてあげる。『私の元パーティだったんだ』って!」
「「「それ、いいね!」」」
三人の声が重なる。
自分はもう加われない――その現実に、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
「よ〜し! 明日からまた頑張れる! オリバーたちも早くお店を出してね! 私が一番のお客さんになるんだから!」
「「「もちろん! 僕たちも頑張るよ!」」」
四人は手を合わせた。
それぞれの道を歩き出す。
希望に満ちた明日を信じて。
#
「よし! 今日の依頼もここまでだな!」
「お疲れ様でしたー!」
「……お疲れ様」
イスラは今日も精力的に依頼をこなしていた。
少しずつ昇格へ近づいている実感がある。
知らない人と組むのは苦手だった。
だが今の冒険者たちは、ほとんどがオルドに降格を言い渡された者ばかり。
結果、パーティ解散や引退を選ぶ者も多く、状況は皆同じだった。
長かったオルドの試験も、残すところあと一人。
――イザーク。
フィギル地方の若手No.1と評判の少年で、ウルやオニクと組むCランクのパーティを率いている。
どこへ出ても通用すると言われるほどの存在だった。
「そういや近々帰ってくるってよ、イザーク」
「へぇ。楽しみだな。あいつは降格なんてされねぇだろうし……唯一の昇格もあるかもな」
「だな」
その会話に、イスラが口を挟む。
「そんなに強いの? イザークさん」
「ん? ああ、格が違うって感じかな。『Aランクってのはこういう奴がなるんだな』って思わせるよ」
「へぇ……」
「話したことくらいあるだろ? 顔広いし、面倒見もいいから」
「バルナバに来たばかりの頃に。それきりだけど」
イスラは思い返す。
自分たちが冒険者ギルドに初めて入ったとき、迎えてくれたのは確か彼だった。
(その時はただの冒険者に見えたのに……こんなに評価される人だったなんて)
「戻る頃には終わってるかもな! 急ごう!」
「そうだな! 奢ってもらわねぇと!」
二人は駆け出した。
置いていかれるのも嫌で、イスラも慌てて後を追う。
#
ギルドに戻ると、割れんばかりの歓声が響いていた。
「なんだこれ?」
先頭の仲間が近くの知り合いに声を掛ける。
「お、帰ったか! 新しい冒険者が登録したんだよ。その祝いさ」
「へぇ、そりゃめでたい! あの二人か?」
視線の先。
イザークのパーティのそばに、見慣れない二人の姿。
可愛らしい少女と、落ち着いた雰囲気の黒髪の人物だった。
「女二人か? どこの出身だ?」
「黒髪の方は男だよ。二人ともオルババ村から来た。イザークが連れてきたんだ」
「へぇ……黒髪の方、強そうだな」
「実際やるってよ。女の子は裏方らしいがな」
男は杯を傾ける。
「初心者で裏方? ……まぁそのうち現実を知るだろ。で、あの双剣の男やるのか?評価は?」
「Cスタートだってよ」
その言葉に、イスラは目を見開いた。
「はぁ? 冗談でしょ?」
「本当だ。オルド支部長が出した評価だ。……その時点で相当な実力だ」
「おいおい……新人の最高評価じゃねぇか。それをあのオルドが?」
「そういうこと。ま、俺らには関係ないが。ケンカだけは売るなよ?」
男たちは世間話に戻っていく。
イスラはその輪に加わらず、ただひとり、アイオンを見据えた。
(ありえない! 素人がCランク? “雪月花”と同じ評価だなんて!)
現Sランク、最強の一角と称される雪月花。
彼女もかつてはCランクから始まったと伝えられている。
だが――。
(そんな逸材が、こんな辺境から現れるなんて考えられない!)
オルババ村。
バルナバからも遠く、王都パルキノンから最も離れた片田舎。
そこに逸材が眠っていたとでもいうのか。
イスラは込み上げる怒りを抑えきれず、ギルドを飛び出した。
(私は最低評価だったのに! あいつは最高評価を与えられた!)
――胸の奥で、嫉妬の炎が激しく燃え上がっていた。




