贈り物
穏やかな日差しの下、アイオンはバルナバの街を歩いていた。
今日がこの街で過ごす最後の日。
明日の出発に備えて、最後の買い物を済ませるつもりだった。
カーラとイザークたちの出発日も決まり、今日は完全に別行動だ。
「最後の日くらい、一緒に過ごすべきじゃないのか?」
そう言われもしたが、二人で過ごす時間は十分だったと答え、こうして一人街を歩いている。
保存食や防寒具を買い、次に向かったのは武器屋だ。
ランク補正のおかげで割引が効き、5日分の食料を50Gほどで買えた。
(普通なら倍以上はかかるはずなのに…。やっぱりCランクの恩恵は大きいな)
今さらながらその力を実感し、心が少し浮き立つ。
だがその浮つきをすぐに押し込め、次の目的地へと足を向けた。
バルナバには3軒ほど武器屋があり、一軒ずつ回ってみる。
冒険者の出入りで素材は増えているのか、品揃え自体は豊富だった。
だが――質はどこも今ひとつ。
「う〜ん、悪いっすねぇ。Cランク向けの武器はないっす。鋼の剣くらいならあるけど…その双剣よりは落ちるんで、オススメはできんっす」
アイオンは少し肩を竦めながら答えた。
「そうですか…。となると、この剣って結構いい物だったんですかね」
最後の店の店員は妙にフレンドリーだったが、気さくで話しやすい。
アイオンは腰の双剣の柄に軽く叩いた。
あの時の賊に、そこまでの腕はなかったはずだが――。
「だってそれ、ミスリル銀っすよ! 鋼よりずっと希少っす!」
「なるほど。――じゃあ、折れた刀身でも売れたりします?」
軽い冗談のつもりだったが、店員は目を輝かせて頷く。
「もちろん! 再利用できますからね〜。そこそこの値段で買い取りますよ?」
「では、お願いします」
折れた片方を渡す。
腰が軽くなり、どこか心細さも覚えた。
それでも、この街を出る節目としてはちょうど良いのかもしれない。
「毎度!ちょっと待っててください! 親方ー!」
元気な声を残して店員は奥へ。
手持ち無沙汰に周囲の武器を見回す。
片手剣、大剣、槍、双剣、鞭、短剣――どれも銅製の物がメインで、鋼の物すら少なかった。
(スパールに期待するか…)
ため息をひとつ落としたとき、奥から声が響いた。
「お待たせしました! 2,000Gで買い取ります!」
「…そんなに? 折れてますよ?」
「その双剣、店に並んだら三倍以上の値になるっすよ? 素材として再利用するんでこの額になりますけど、それで良ければって親方が!」
「正直ですね…。わかりました」
ギルドカードを差し出すと、店員は受け取り、魔力玉に血を垂らす。
淡い光が溢れ、すぐに消えた。
「取引完了っす! 毎度あり!」
元気な声に送られ、アイオンは軽く頭を下げて店を後にする。
背後で鳴る鈴の音が、どこか清々しく聞こえた。
#
宿屋へ向け歩き出す。
少し離れてはいるが、道を間違えることはない。
――その時、不意に視線を感じた。
(…?)
振り返ると、店先で荷物を抱えた大柄の少年がこちらを見ていた。
目を丸くし、驚いたような表情。
気になって近づくと、少年は慌てて声を上げた。
「あの?」
「お、お久しぶりです! 誰にも、何も言ってませんから!」
その一言に、記憶の糸が結ばれる。
「…どこかで会いましたか?」
「はい! 会いました! ら、ライアさんと一緒のときに!」
「……ああ! あの時の!」
禁断の森の前で、ライアと共にいた3人組。
「そうでした、久しぶりです。たしか、引退して店を出すとか。ここですか?」
「はい! まだオープン前ですけど…入っていきますか?」
「いいんですか?」
「はい! ライアさんが来た時は内装がまだで駄目だったんですけど、今なら平気です。どうぞ!――オリバー! トビー! あの人が来た!」
少年はドアを開けて奥へ声を掛ける。
その背を追い、アイオンも中へ入った。
懐かしい空気が胸の奥を温めるように広がっていく。
店内は数席だけの小さな空間で、奥には厨房があり、全体を見渡せる造りだった。
木の香りがまだ新しく、壁に掛けられた皿やカップもどこか誇らしげに見える。
3人の少年たちが並び、声を揃える。
「「「お久しぶりです!」」」
「ひ、久しぶりです…。元気そうで何より」
懐かしさが胸に滲み、自然と表情が緩む。
「「「はい! あの話は誰にも言ってません!」」」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
3人同時の返事。
そうだった、こんな感じだった――と、記憶が蘇る。
「ライアさんは、ここには入れなかったんですね」
「はい。でも、すごく喜んでくれました! 次にバルナバに来る時まで続いててねって!」
「…あの人らしい」
アイオンは小さく笑みをこぼした。
オリバーは照れくさそうに笑い、トビーとインキーも同じように微笑んだ。
「オープンは?」
「来週の予定です!」
「そうですか…。残念ですが、俺は明日この地方を離れます」
静かな言葉に、少年たちは一瞬だけ寂しげな表情を見せた。
「…冒険者になったんですよね。ライアさんが言ってました。いつかバルナバに来るだろうから、会えたら挨拶しておきなさいって」
「…会えてよかったです。みなさんには感謝しています」
そう言って、深々と頭を下げる。
「「「えっ?」」」
「ライアさんと契約してくれて、ありがとうございました。おかげで余計な厄介事に巻き込まれずに済みました」
「「「そ、そんな!」」」
「あの時は、失礼な態度をとって…申し訳なかったです」
顔を上げ、柔らかく笑う。
3人の瞳が揺れ、何かを言いかけては言葉にならない。
「…次に来るときまで、どうか続けていてください。楽しみにしています」
「「「…はい!」」」
ライアと同じ言葉を残し、彼らの未来を願った。
明日のわからない冒険者が、いつか再び訪れるその日まで。
矛盾するようだが、それは確かな願いだった。
#
それから3人と少し雑談を交わし、店を後にした。
「なにか食べていきませんか?」と勧められたが、次に訪れるときの楽しみに取っておくことにした。
ちょうどすれ違うように、一人の少女が店に入っていった。
彼らの友人だろうか。堂々とした足取りで扉をくぐっていく。
腰には剣を差していた。
(冒険者時代の仲間、ってところか…)
深く考えず、通りを歩き出す。
そろそろ宿に戻り、明日の出発に備えるべきだろう。
――その時、不意に白い蝶が目の前を舞った。
人々は誰も気に留めていない。
(…クソ女神? なんで今なんだ)
久しくなかった干渉だった。
しかも今回は危機的状況でもなんでもない。
ただ街を歩いていただけだというのに。
蝶はひらひらと飛び去っていく。
放っておけず、アイオンはその後を追った。
#
しばらく進むと、さまざまな商人の露店にたどり着く。
焼いた肉串の香ばしい匂い、パンや果物の彩り。
通りは賑やかで、喧騒が心地よく耳をくすぐった。
しかし蝶は一切目もくれず、ある露店の頭上へと舞い降りた。
そこは、装飾品を扱う店だった。
「いらっしゃい!」
声の主は、大柄で陽気そうな男。
客の顔を見るなり満面の笑みを浮かべた。
「…どうも。ちょっと見て回っていて」
「なるほど! ならいい店に来たな。掘り出し物がある“かも”しれないぞ!」
「へぇ? どういう意味です?」
軽く問えば、男はどこか得意げに鼻を鳴らした。
「俺は色んな街や村を回って仕入れてんだ。ただし選ぶ基準は俺の目利きだけ。だから、本当に価値があるかどうかは保証しない!」
「…そんなので商売、成り立ってるんですか?」
「ハハハッ! 成り立ってなきゃ今ごろ俺は路頭に迷ってるさ! まあ、騙されたと思って買っていけよ。本当に騙されても返金はできないがな!」
商人は豪快に笑った。
その笑い声が周囲のざわめきに混じって消える。
(この世界の商人、やけに濃い人が多いな…)
そんなことを思っていると、蝶は商人の頭上からふわりと舞い降り、ひとつの髪留めの上に止まり、そして消えた。
アイオンは自然とそれを手に取る。
白い蝶の細工が施された、古い髪留めだった。
金属は少しくすんでいるが、細工の繊細さは際立っていた。
まるで、時を経てもなお意志を宿しているように見える。
「これは?」
「ん? そいつは確か…パルキノンで手に入れたもんだな」
「パルキノンですか」
「そうそう! 女神教の神父からもらった品だよ。お布施代わりに渡されたらしいんだが、『価値がないからくれてやる!』って投げつけられてな」
軽口に混じる苦笑。
アイオンは眉をひそめながらも、その“無価値”という言葉に引っかかりを覚えた。
「投げつけって…」
「あそこの連中は横柄なやつばっかだ。俺はもう慣れたけどよ!」
話を聞けば聞くほど、王都にも女神教にも良い印象は持てなかった。
だが女神が導いた場所で、こうしてその名が出てくること自体が、偶然とは思えない。
「これ、いくらです?」
「お? 今の話を聞いて、それでも買うのか?」
商人の目がわずかに細まり、値踏みするように彼を見た。
アイオンはその視線を真正面から受け止め、淡く笑う。
「売り物にしてるってことは、あなたの目利きに適った品なんでしょう? その目を信じますよ」
「…お前さん、面白ぇな。よし、50Gでいい」
「安くないですか?」
「なーに、友好の証だ。またどこかで会ったときもなにか買ってくれればいい」
「…わかりました」
小さなやり取りだったが、不思議と心に残った。
アイオンは50Gを支払い、髪留めを受け取る。
金属とは違う温かさが指先に残った。
軽く挨拶をして露店を後にする。
空はすでに薄暗くなり始めていた。
白い蝶の残像が、まだ瞼の奥にちらついている。
#
「おかえり!」
宿屋の部屋に戻ると、カーラが明るい声で迎えてくれた。
彼女の声は疲れを感じさせつつも、どこか張りがあった。
「戻りました。そちらの準備は?」
「順調だよ! バルガ帝国までのルートも調べたり、イザーク達の依頼を調整したり、まぁ大変だったよ…。エリーはスパルタだしな!」
そう言ってカーラは肩を揉む。
疲れの色は見えるが、その表情には小さな達成感があった。
その傍らに、白い蝶がふわりと現れ、彼女の髪に止まる。
そして光の粒となって消えた。
(なるほど。俺じゃなく、カーラさんに……)
女神の意思を理解したアイオンは、彼女の方へ歩み寄る。
「ん? どうした?」
「これを」
そう言って、蝶の細工が施された髪留めを差し出した。
「これ…髪留め?」
「ええ」
「蝶の髪留め…? 私のブローチに似てるな」
カーラは胸元にあるブローチを見下ろす。
アイオンも目を向けた。
確かに、同じ蝶を模したように見えた。
「蝶の種類は詳しくありませんが…そっくりですね」
「お、おう…お前が選んでくれたのか?」
「…いえ。買ったのは俺ですが、選んだのは俺ではありません」
アイオンの言葉に、カーラが少し首を傾げる。
「なんだそれ!…付けていいか?」
「もちろん」
カーラは前髪を括るように髪留めを差し込んだ。
次の瞬間、淡い白光が彼女を包む。
その光を見て、アイオンは思わず息をのむ。
それは紛れもなく、女神を思わせる輝きだった。
しかしカーラには、その光は見えていないようだった。
「ど、どうだ? 似合う?」
期待するような瞳が向けられる。
アイオンはその視線を受け止め、わずかに微笑んだ。
「――とても似合っていますよ」
「あ、ありがとう」
カーラは少し頬を染め、アイオンは気恥ずかしさに視線を逸らした。
「あ、あのさ! これ―」
カーラはそっとアイオンに近づき、その左手を取った。
温もりが伝わり、思わず息を呑む。
「ブレスレットはナリアが渡したからな。だから、私はこっちだ」
「指輪、ですか」
「…嫌か? お揃いだぞ?」
からかうように笑いながらも、その声にはどこか震えがあった。
アイオンは目を細め、静かに答える。
「いえ、嬉しいですよ。ありがとうございます」
「ほ、本当か? 今の言い方、すごい義理っぽいぞ!?」
「本当ですよ」
「…そ、それならいいんだ! あー、よかった!」
カーラは安堵の笑みを浮かべ、アイオンもつられて笑った。
短い沈黙が、妙に心地よく流れる。
「なぁ、アイオン」
「はい?」
「…私のこと、忘れないでくれよ?」
その声には、軽さの裏に小さな不安が滲んでいた。
アイオンは静かに息を吸い、真っ直ぐ答える。
「忘れるわけないでしょう。そんなに薄い関係じゃないですし、また組むんですから」
「そうか…そうだよな!」
カーラの顔に、ようやく明るさが戻った。
「ええ。…カーラさんも、本当に気をつけてください。もし何かあったら…女神に祈ってください」
その言葉に、カーラは思わず吹き出した。
「ぶはっ! お前がそんなこと言うなんて! 『なにもしてくれない女神様には祈るだけ無駄』って言ってたくせに!」
「そんなこと言いましたっけ?」
「言った! 私は忘れないぞ!」
笑いながらも、目元はどこか潤んでいた。
アイオンは少し照れたように肩をすくめ、静かに言葉を重ねる。
「…カーラさんのことなら、守ってくれるかもしれませんからね」
「まったく!…でも、お前がそう言うなら、そうするよ!」
そうして二人は、また声を上げて笑った。
悲壮感などどこにもない、ただ温かな笑いに包まれた最後の夜だった。




