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別れの前の時間

銀の鹿亭の大きな丸卓を囲み、6人は夕餉の皿と酒を前にしていた。

イザークが豪快に杯を掲げる。


「よし、まずは――皆の無事と、これからの旅路に乾杯だ!」


「かんぱーい!」


弾むようなエリーの声に、オニクも静かに杯を傾ける。

ウルは渋く頷きながら料理に手を伸ばし、カーラも笑顔を作って盃を合わせた。


ひとしきり和やかな空気が広がったあと、イザークがちらりとアイオンを見やる。


「で、アイオン。お前はいつ発つつもりだ?」


静かな問いに、卓を囲む視線が自然と彼へ集まった。

アイオンは少し間を置き、言葉を選ぶように口を開く。


「冬が深まる前に、次の街へ着いておきたいんです。乗合馬車次第ですが、それよりも早くなるかもしれません」


「2、3日……」


カーラが小さく繰り返す。

指先が盃の縁をなぞり、表情にかすかな影が差した。


イザークはそんな二人を見比べ、わざと明るい調子で言葉を継ぐ。


「まあ、名残惜しいが仕方ないな。俺たちも準備が整い次第、帝国に向けて出立するつもりだ」


「そうですか。すぐ終わりそうなんですか?」


アイオンが反応する。


「必要な物をそろえて、そっち方面に行く護衛依頼があれば請け負うつもりだ」


ウルが酒を口に含みながら補う。


「なければなくてもいいしな。緊急依頼のおかげでだいぶ潤った」


「そうだけど……やっぱりオーガ素材の状態を見て決めるべきだったわね。ごめんなさい、損をさせて」


エリーが申し訳なさそうに頭を下げた。


「不確定情報で変動するより良いよ。4人で分けることになったら額は変わってたし、それなら確実に十分な報酬を得る方がいい」


オニクが冷静にフォローする。

その言葉に、エリーは顔を上げて微笑んだ。


「それならいいんだけど……でも、メリッサさんに言われたわ。言い方は優しかったけど、しっかり釘を刺された。フィギル子爵の“やや得”で終わる結果になるでしょうね、って」


「なーに!失敗じゃねぇんだ、気にすんな!俺たちの成果を誇ろうぜ!な、アイオン!」


「そうですね。6,500Gでも大した額ですよ。エリーさんとカーラさんのおかげです」


イザークのフォローに、アイオンも軽く合わせる。

その言葉でようやくエリーは笑った。


だが、カーラは笑えなかった。


「私がもう少しうまく合わせられてたら良かったのに……ごめんな、エリー」


「カーラに悪いところはなかったよ!でも、いっぱい学んでいこう!私も頑張るから!」


「ほら、暗い話は終わりだ!今日でしばらく最後になる、笑って終わろうぜ!」


イザークはグラスを空け、追加の注文を叫んだ。

さすがのリーダーシップで、場の空気はまた明るく戻っていく。


「そういやお前、武器どうすんの?バルナバで新調するのもいいけど……あんまし良いのはないぜ。鋼の剣くらいが関の山だ」


そう言って、イザークは自分の剣を軽く叩いた。


「しばらくはこの剣で保たせようかと。元々、双剣術はライアさんの模倣でしたし、片手剣でやっていたので」


アイオンは自身の剣へ視線を送る。

片方はオーガの骨を断ち切り、すでに役目を終えたが、もう片方はまだ健在だ。


「武器は慎重に決めた方がいい。結局最後に頼れるのは武器って場面になるかもしれんからな」


「……でも、君は片手剣の方がいいかもね。体外魔法を使うならそっちの方が立ち回りやすい。

イメージをもう少し強くすれば、両手が塞がってても使えるようになるだろうけど、今の君ではね」


ウルとオニクの助言を、アイオンは真剣に受け止める。


「今は金銭的に余裕があるので、しっかり考えますよ」


女神に与えられた知識の中に、武器の扱い方はあった。

さまざまな武器を手に取ってみたが、どれもしっくりこなかった。

仕方なく使い始めたのが片手剣だった。


(今は双剣だけど、ライアさんの動きの劣化に過ぎない。一応、バルナバの武器屋も見ておくけど、本命はやっぱり王都かな)


「皆さんは王都に行ったことがあるんですよね?どんな場所でした?」


「どんなって……そんなに長居はしてねぇな。というより、させてもらえなかった」


「そうね。普通の冒険者用の依頼は少ないし、あっても貴族や女神教関係者の無茶な依頼ばかりだった」


「物は高いし、兵士はでかい顔してるし、いい思い出はなかったな」


「……あそこは本当に魔窟さ。誰も彼もお布施とご機嫌取りに必死で、そのくせ外から来た者にはエリート気取りで高圧的。君も気をつけてね」


イザークたちの愚痴が止まらず、場は意外な盛り上がりを見せた。


「……お前、本当に気をつけろよ?」


「わかってますよ」


「……ジーナ王女様にも会うのか?」


「暇があれば、ですかね。……でも、王女様に簡単に会えるとは思いませんが」


「お前がどうかはわからないけど、あっちは会う気満々だと思うぞ……」


カーラはグラスをあおるが、止めようとはしなかった。


「目的は大教会なんでね」


「どんな場所なんだろうな?レア様たちも知らないって言ってたし」


「楽しみではありますよ。一応は女神教の総本山ですし」


女神が去り、人が権威を握った新女神教。


そこはどんな場所なのか。自分は何を感じるのか。

そして、自分を通して女神は何を思うのか。


(この街の教会は機能していなかった。

乗合馬車を通じて王都へ近づけば、女神教の影響も強くなるはず)


女神教は、世界の謎に深く関わっている。

それだけは確信していた。


「だよな!おいアイオン、もっと飲めよ!割り勘だけど気にすんな!」


「……奢りじゃないんですか?上の冒険者は気前がいいものだと思いますが」


「バーカ!ランクは同じなんだから同等だっての!」


そして夜は更けていく。

しばらくなくなる賑やかさを惜しみながら、アイオンとカーラはイザークたちと杯を重ねた。



部屋に戻ったアイオンとカーラ。

二人で過ごせる時間が、もうわずかしかないことを互いに理解していた。


二人は窓辺に腰を下ろす。

外の風は冷たく、木々の葉はほとんど落ちている。


「まだ雪は降らないんですよね」


「まだ冬にはなってないもの。もうすぐだけど」


「お互い、降る前には旅立ちますね」


「そりゃあね。バルガ帝国までも距離あるし」


「……オルババ村って、本当に田舎だったんですね」


「このフィギル領地自体が田舎だけど、その中でも外れだからな。……王都で田舎者って笑われないようにな?」


カーラが肩を揺らして笑うと、アイオンは少しだけ口元を緩めた。


「明日は市場にでも行きましょうか。寒くなる前に」


「いいね!ゆっくり見て回る時間もなかったしな。ここまで、あっという間だった」


「まだオルババを出てそんなに経っていませんけどね」


「な!でも、濃厚な時間だったよ」


「そうですか? オルババ村の方が濃かったですが」


「お前はそうでも、私は違うの!……本当にお前ってやつは!」


窓の外、夜空に星が瞬いていた。

二人はしばらく、何気ない話を重ねながら静かな時間を過ごした。



「他の街行きの乗合馬車? それならスパール行きが明日あるぞ」


馬車組合の職員が帳簿をめくりながら答える。

スパール――デオール領に属する街で、このバルナバからはかなりの距離があるという。


「明日ですか。その後は?」


「3日後にもスパール行きがあるな。その後は……しばらくないな」


「なるほど。ちなみに、護衛依頼は冒険者ギルドに出していますか?」


「もちろん。確かEランクが昇格で一人受けるって話だが……心配でな。客も今んとこ2人しかいねぇし、運行自体やめてもいいんだが……。

お前さん、冒険者か? ついでに受けてくれるなら助かるんだが」


「わかりました。その方向で進めますね」


アイオンは礼を述べると、その足で冒険者ギルドへ向かった。

カーラは何も言わず、ぴたりと後ろをついていく。


「3日後か……」


「運よく空いていました。依頼を受けられれば運賃も節約できますし、ちょうどいいですね」


「……そうだな」


ギルドは街の一角に固まって建っている。

どこの街でも似た造りだ。


その整った便利さが、カーラには今だけ少し憎らしく思えた。

ほんのわずかでも、アイオンと一緒にいられる時間が欲しかったからだ。



冒険者ギルドの扉をくぐると、いつも通りの喧騒と活気が広がっていた。

その中で数人の若者がこちらを見つけ、声を掛けてくる。


「よ! 二人とも!」


「……えっと?」


「ジックさんたちだよ! ほら、忘れたのか?」


開拓村の護衛依頼や魔物の巣で顔を合わせ、バルナバへ戻るときも同行した仲間たち。


だがアイオンは、彼らの名前をすっかり飛ばしていた。 すかさずカーラがフォローする。


「昨日ぶりだぞ? 忘れるかー?」


「……冗談ですよ。ジックさん、ムスカさん、ハルクさん、でしたよね」


「なんだよ! 覚えてるなら最初から言えって!」


三人は呆れつつも、明るく笑った。


「皆さんも依頼ですか?」


「ここに来るのはそれしかねぇよ! ゴブリン退治で魔石稼いで、緊急依頼もこなしたからな。装備も整えられたし、見ろよ!」


彼らは誇らしげに胸を張り、新調した皮防具や剣を見せびらかす。


「似合ってますよ。いい選択だと思います」


「ありがとな! そっちは?」


「スパール行きの馬車の護衛任務を考えています。ちょうど街を出るので、ついでにですね」


「もう他に行くのか! さすが大型ルーキーだ!――負けてられねぇ! またどこかで会おうぜ!」


そう言って三人は笑顔で去っていった。


「また会えるといいな」


「生きていれば、機会はあります」


「……そうだな」


アイオンは依頼掲示板へと足を進める。

その背を見ながら、カーラは小さく呟いた。


「……生きていれば、か」


冒険者にとって、明日が保証されることはない。

いくらサポート役といえども危険は常につきまとう。


イザークたちを信頼していないわけではない。

だが「確実」という言葉は、この稼業には存在しなかった。


(それでも……アイオンに頼るだけじゃだめだ。私も、頼られる存在になる――)


心に誓った覚悟を裏切りたくはなかった。

カーラは気を引き締め、アイオンの隣へ歩み寄る。



「3日後のスパール行きの乗合馬車護衛……ですか」


メリッサはアイオンが差し出した依頼書に目を落とし、静かに呟いた。

その表情からは、内心を読み取ることはできない。


「はい。雪が降る前に、この地方を抜けておきたくて」


「少し急ぎすぎではありませんか?」


「目的があるんです。急ぐ旅ではありませんが、足止めは避けたいので」


「そうですか。承知しました」


淡々と返しながら、メリッサは署名を終える。


「では3日後、Eランクの冒険者一人と共に依頼に就いてください。

報告はスパール支部にて。ここからだと5日ほどかかります。

その間の準備は怠らぬよう」


「5日……。ここから王都まで15日ほどと聞きました。3分の1をスパールまでに費やすんですね」


「道の整備が行き届いていませんから、馬車の速度も落ちます。

単騎ならもっと早く行けますが、乗合では仕方ないでしょうね」


「なるほど……」


兄・ゼアスが無茶をして7日で帰り着いた話を思い出す。

街ごとに馬を替え、ひたすら突っ走った結果だ。


どこから来たのかは知らないが、常人には真似できない無茶だった。


久しぶりに脳裏に浮かぶ兄の背中。

王都に出れば、また会う機会もあるかもしれない――。


「――では、申請は完了しました。3日後、門の前で“待っていますね”」


「はい。よろしくお願いします」


軽く頭を下げ、アイオンはギルドを後にした。

その背を追いながら、カーラが小声で呟く。


「……なぁ、なんか違和感なかったか?」


「? 何がです?」


「いや、はっきりは言えないんだけど……」


「内容に問題はなかったと思います。大丈夫ですよ。――さ、いろいろ見て回りましょう」


アイオンは穏やかに手を差し伸べる。

その手を握り返し、カーラは小さく笑った。


「……そうだな。行こう!」


互いに微笑み合う。

3日後、訪れる別れの日まで。

せめて残された時間を、憂いなく過ごすために――。



フィギル地方冒険者ギルド、ギルドマスター室。

オルド支部長は差し出された書類をめくり、対面に座るメリッサを見やった。


「用件は理解した。だが、本人の了承は取っていない――だろ?」


「はい。しかし、あれほどの逸材です。自由に遊ばせておくのは惜しいと考えまして」


メリッサは涼しい顔で答える。

オルドは視線を落とし、改めて書類を読み上げた。


――『ギルド専属冒険者推薦候補者リスト』。


冒険者ギルドが全力で支援し、精鋭として契約を結ぶ者の名簿。

専属に選ばれれば、優先的に上位依頼が舞い込み、稼ぎも地位も一変する。


だが同時に、それは束縛でもある。


候補に挙がれるのはごく一握り。

最終的には厳しい審査を突破し、実力を証明しなければならなかった。


「確かに、あいつは逸材だ。本部もそう判断するだろうな」


「でしょう?」


「だがな……本人が望まないなら駄目だ」


オルドは苦笑する。


「お前が何を狙っているか、俺にもわかる。だが――あいつは縛られることをよしとする人間じゃない。俺の見立てに間違いがなければ、だが」


「……縛るためのものではありません。双方の利益のための制度です」


「そんなことは百も承知だ。だが、どう受け止めるかは本人次第だろう。……少なくとも俺は、受けたことを後悔した」


遠い目をするオルド。

その背には、かつて精鋭として選ばれた過去が影を落としていた。


「イザークたちのパーティも面白いぞ。なぜリストに載せない?」


「彼らの評価は、まだこの地方に限られたものです。他所で実績を重ねてからでしょう」


「……つまり、アイオンとは違う。と?」


「――そうです。何より、最高評価を与えたのはあなたご自身。凡百とは違う、と。そう判断された。だからこそ、より意味があるんです」


「ふむ……結果的に俺が縛るきっかけを与えてしまったのか」


メリッサは黙して答えない。


「まあ、口説ける自信があるならやってみろ」


「承知しました。ただ、今日明日の話ではありません。時間はかけますよ」


「時間?」


オルドは眉をひそめる。


「アイオンさんはスパールへ発ちます。私も同行するつもりです」


差し出された新たな書類に、オルドは目を走らせた。


「……お前、アイオンの専属になる気か?」


「ええ。せっかく見つけた金の卵――他人に渡すつもりはありません」


にっこりと笑うメリッサ。

オルドは天を仰ぎ、深いため息をついた。


「ったく、怖い女だ。優秀な部下が減るのは痛手だな……」


机上の書類には、はっきりと記されていた。

――転属届、と。

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