譲れない
バルナバの外れ――城壁の外に張られた無数の粗末なテントが、夕暮れの赤に染まっていた。
日が傾き、長く伸びた影が野営地を覆う。
疲れ切った人々は身を寄せ合い、子どもは母の胸で眠り、老人は焚き火の前でただうつむいていた。
鍋から立つ湯気に、すすり泣きの声が混じり合い、冷たい黄昏の風に溶けていく。
その時――街道の方から、馬車の音が近づいた。
「……誰だ?」
「旗印が……フィギル様だ!」
ざわめきが広がり、人々は思わず立ち上がる。
やがて馬車が止まり、夕陽を背にフィギルが姿を現した。
赤い光に縁取られたその姿は、沈んでいた空気を一変させるほどの存在感を帯びていた。
子爵はしばし群衆を見渡し、声を張り上げる。
「皆、よく耐えてくれた!――もう心配はいらない。諸君らの夫が、仲間たちが、新しい村を築いてくれた!
これからは自らの手で未来を掴める。――諸君らを歓迎する!!」
その言葉は、疲弊しきった人々の胸に真っ直ぐ届いた。
「助かるのか」「本当なんだな!」
母は泣きながら子を抱きしめ、老人は、震える拳を握りしめる。
すすり泣きと歓声が入り混じり、夕暮れの難民キャンプに、久しく忘れていた熱と光が広がっていった。
群衆の反応を見つめながら、アイオンは思わず息を呑む。
隣でカーラが小さく口元を緩め、低く呟いた。
「よかったな。冬に入る前に……大事になる前に解決できて」
「そうですね。この地方は、これから発展していくでしょう」
アイオンは静かに頷いた。
「なんだ、寂しいのか?……私はちょっと寂しいけど」
「別に。オルババ村に悪い影響がなければいいなと、思っただけですよ」
「ああ……やっぱり、お前はそういう奴だな」
言葉と裏腹に、アイオンの心が滲み出ていた。
それを察して、カーラは静かに微笑む。
夕陽に照らされた群衆の涙と笑顔が、胸に深く刻まれていくのを感じながら。
――その景色に、もう間もなく訪れる二人の別れを重ねて。
#
「よしっ!任務終了!」
南の倉庫で荷馬車を返したバサンが、胸を張って宣言する。
「「お疲れ様でした!」」
アイオンとカーラが声を揃えた。
「おう!いやー、イレギュラーはあったが無事に終わってホッとしてるぜ!」
バサンは豪快に笑い、カーラが尋ねる。
「バサンさんのこの後は? まだこの街で仕事するの?」
「そりゃそうよ。ここから移民を開拓村に運ぶときに、俺みたいなのが必要になるだろ?
移動するにも、それが片付いてからだな。そっから先はまだ決めちゃいねぇ」
「そっか。仕事はまだまだあるんだね」
「ほんの数日だったけど、飽きずに楽しめたぜ。カーラのおかげでな!
アイオンと二人きりだったらと思うと……ゾッとするぜ」
「目の前で嫌味ですか?まあ、同感ですけど」
三人は声を上げて笑った。
「どうする?打ち上げでもする?私たちはイザーク達とご飯食べるけど、混ざる?」
「いや、やめとく。馴染みの飯屋に顔を出したいしな。……別れも惜しくなるだろ。
俺たちの仕事じゃ、昨日乗せた奴が明日には死んでるなんて日常だからよ。だから、あんまり深くは付き合わねぇんだ」
「そうか……残念だな」
少し落ち込むカーラの肩を、バサンは強く叩いて笑う。
「なに、生きてりゃどっかで会うさ!世界は思ってるより狭いんだぜ?達者でな!」
「痛いってば!……でも、そうだな。次に会った時は、一緒に飯食おう!」
「楽しみにしてますよ」
アイオンが微笑むと、バサンは満足そうに頷いた。
「おうよ!お前たちの旅路に、幸運を!」
しっかりと握手を交わし、バサンは背を向けて去っていった。
「……こうやって、出会って別れるのも冒険者なんだな」
「そうですね。……また会いたいです」
そう言い交わし、二人も歩き出した。
目指すは――冒険者ギルド。
元々の依頼、カルララ村への物資輸送と開拓村への荷物運搬。
そして突発的に起きたフィギルからの緊急依頼。
それらの報告をしなければ。
#
夕暮れのギルドに、扉の開く音が静かに響いた。
受付に立っていたメリッサはすぐに視線を上げる。
入ってきたのは――アイオンとカーラだった。
彼らを迎えたのは、先に到着していたイザーク一行。
すでに緊急依頼についての説明を受け終えているようだ。
「よっ、こっちは片づけといたぞ。お前らの分も一応、説明は通してある」
そう言ってイザークは、カウンター越しのメリッサに親指を向けた。
その言葉に反応したのはカーラだった。
「……私の事は?」
彼女の問いに答えたのはエリーだ。
「それは私たちが口を挟むことじゃないわ。あなたたち自身で話すこと」
「当たり前だよな……じゃあ行こう!」
カーラはアイオンへ声をかけ、アイオンは軽くうなずいてカウンターへと歩みを進める。
そこに立つメリッサは、穏やかな笑みを浮かべて二人を迎えた。
彼女はつい先ほどまで、領主フィギルからの緊急依頼――開拓村近くの魔物の巣討伐――の処理を終えたばかりだった。
報酬は一人あたり6,500Gと、見栄えのする額ではあった。
だが、彼女にとっては満足には程遠い。
(オーガ二体の素材は申し分なかった。むしろ上等といっていい。
それでこの額……サポート役が機能していない証拠ね。
やはり一人で判断させ、交渉力を磨かせた方が収穫になる)
アイオンの実力については、もはや疑う余地はない。
問題はカーラ。経験も知識も不足しており、結果として足手まといになっている。
同じサポート役であるエリーも、手堅さを優先するあまり結果的に損を招いていた。
(これ以上、イザークさん達と同列に扱うのは難しい。若手で将来性はあるけれど、未熟さは否めない)
冷静に損得を計算しながらも、メリッサの表情はやわらかなままだった。
「お帰りなさい。依頼の報告はすでに受理しています。
今回も立派な成果を上げられましたね、アイオンさん」
そう言って書類に視線を落としながら、彼女は言葉を重ねる。
「ただ――少しだけ、惜しい部分がありました」
「惜しい?」
不思議そうに首を傾げるアイオンに、メリッサは微笑みを深めた。
「ええ。オーガの素材は極めて上質でした。ですが、判断が甘かった。
正しく評価できれば、さらに高値での取引が望めたはずです。
“外で決める”以上、どうしても限界がありますから。
今回は合同で動いたと理解していますが……率直に言えば、お粗末でした。
巣の中にオーガがいたと知らなくても、報酬は上げられたはずですから」
叱責の響きはなく、穏やかな声音。
だが、その矛先が誰に向けられているかは、カーラが一番よくわかっていた。
「なるほど」
アイオンは深追いせず、ただ軽く相槌を打つ。
そこでメリッサはさらに言葉を重ねた。
「冒険者同士の支え合いは、合同依頼において欠かせません。
ですが、それと同じくらい大事なのは――各自が役割を果たすこと。
歯車が噛み合えば最良の結果を生むけれど、かみ合わなければ……誰にとっても厳しい結末になるのです」
柔らかな笑みの奥に潜むのは、突き刺すような現実。
慰めに聞こえながら、残酷な真実を告げていた。
カーラは唇を噛み、心の奥で悟る。
――自分が隣にいる限り、彼の進む道を鈍らせてしまう。
幾度となく突きつけられてきた、冷酷な現実を。
そして横で黙って立つアイオンの姿が、胸を締めつけた。
「……やっぱり、私のせいだよね」
耐え切れずに、カーラは声を発する。
「アイオンがどれだけ戦ってくれても、私が無知のままじゃ足を引っ張るだけ。……わかったよ」
メリッサは小さく目を瞬かせる。思った以上に早い反応だ。
(素直ね。まさか、ここまで自分で追い込むとは)
「私、甘えていたんです」
カーラの声は震えていた。
「アイオンに頼ってばかりで、努力しなきゃいけないのに目を逸らして……。
だから、今の私に、隣にいる資格はないって、ちゃんと伝えました」
その言葉に、メリッサは静かに目を細める。
「なるほど。判断力がなければ正当な報酬を得られません。あなた自身で気づけたのなら、何よりです」
深く頭を下げるカーラ。
「気づかせてくれたのは、メリッサさんです。本当にありがとうございました!」
思わぬ素直さに、メリッサの胸中にわずかな驚きが走る。
(悪い子じゃない。ただ、力が足りなかっただけ)
「……今後はどうなさるおつもりですか?村に戻られる?」
顔を上げたカーラは、明るく答える。
「いいえ!イザークたちのパーティで学びます!
そして――いつかまた、アイオンの隣に立てるように戻ってきます!」
「そうですか。彼らはバルガ帝国へ向かうと聞きました。 あちらは魔物も盗賊も多く、この街以上に危険が潜む場所です。気をつけてください」
「いろんな依頼を経験できるんですね?なら全部学んできます!」
メリッサは小さく笑みをこぼす。
「どうか頑張ってください。――では、二人のパーティは解散で処理してよろしいですか?」
「待ってください」
そのとき、黙っていたアイオンが口を開いた。
カーラは目を見開く。
「そのままにしておいてください」
「なぜです?……別行動するなら解散するのが普通ですが」
「普通だからといって、必ずそうしなければならないわけではないでしょう?」
メリッサは眉をひそめた。
「確かに。ですが理由は?」
「俺は彼女とやっていくと決めています。
人数が増えることはあっても、減ることはない。互いが生きている限り、です。だからそのままで」
「……依頼報酬の分配も続ける気ですか?」
「そこまであなたに干渉される必要はないと思いますが……当然です。パーティなんですから」
そう言い切ったあと、アイオンはカーラへと向き直る。
「離れることは受け入れます。でも、これは譲れない。
旅に同行することを認めた時点で、カーラさんに対する責任を負ったんです。
イザークさんに任せることになったとしても、あなたは俺の仲間のままです」
「で、でも――」
「でもじゃない。これは命令です。言ったでしょ?同行は認めるけど、俺の指示には従ってもらうと」
「そ、そうだけど!でも、それじゃあ負担のまんまじゃ!」
「前提が違うんですよ」
「な、何が?」
「俺は一度だって、カーラさんを負担に思ったことはない」
その言葉に、カーラは息を呑んだ。
胸の奥に、熱がじんわりと広がる。
「……アイオン……」
震えた声には、安堵が混ざっていた。
「選ぶのはカーラさんの自由です。でも、隣にいるかどうかを決めるのは俺です」
カーラの目が大きく見開かれる。
「挑戦するのは応援します。どこへ行っても、何を学んでもいい。
だけど、俺たちのパーティは解散しません。カーラさんが戻ってくる場所は、最初からここです」
「……っ」
涙がにじむカーラの瞳に、はっきりとした決意の光が宿る。
「――ありがとう!」
彼女の言葉に、メリッサは小さく吐息を漏らした。
(……完全に切り離すつもりだったけど。結局、形だけは残ったまま、か。
まあいい。未熟な足手まといが一時的にでも消えるのなら、それに越したことはない)
表情には出さず、彼女は帳簿を閉じ、二人へ柔らかく告げた。
「では、登録上は現状維持として処理しておきます。
……カーラさん、どうか学びを積んで戻ってきてください。その時の成果を楽しみにしています」
「はいっ!」
カーラは涙を拭い、大きくうなずいた。
#
扉の閉まる音が消えると同時に、メリッサは小さくため息を落とす。
(思った以上に早い決断。でも、私にとっては好都合ね)
帳簿をめくり、一枚の書類に視線を落とす。
――ギルド専属冒険者推薦候補者リスト。
(オルド支部長の査定に加え、今回のオーガ二体討伐の実績。――これなら通る)
口元に浮かんだ笑みは、期待を隠しきれないものだった。




