穏やかに
焚き火が小さくなり、笑い声も遠のいていた。
秋の夜気は澄み、吐く息は白くほどける。
井戸の脇、積まれた丸太の影に、アイオンはひとり腰を下ろしていた。
膝には折れた双剣の片割れ。
指先で欠けた鍔をなぞる仕草は、まだ熱を残す戦いの余韻を撫でているようだった。
「こんなところにいたのか」
足音。振り返ると、カーラが立っていた。
焚き火の名残が頬を照らし、目だけが夜の闇を突き抜けるように真っ直ぐだった。
「少し、風に当たってました」
「……座ってもいいか?」
「どうぞ」
乾いた落ち葉が、ふたりの間をころりと転がる。
沈黙が一拍。
やがてカーラは両手を固く握りしめ、ついに言葉を投げた。
「――私さ、イザークのパーティに入る。もう、決めた」
火のはぜる音がひとつ。
アイオンは顔色を変えず、ゆっくりと頷いた。
「理由を伺っても?」
「アイオンの役に立ちたい。隣に立ちたい。―でも、このままじゃ駄目だ」
声はかすれて震えていたが、その目は真剣だった。
「私はいつもアイオンに頼ってばかりで、守られてばかりで、“友達だから”って理由で隣にいるだけになってる。…それじゃ意味がない。メリッサさんにも言われたんだ、『それじゃ役不足だ』って」
彼女は唇を噛みしめ、言葉を押し出した。
「だから頼るのをやめる。イザークたちと行って、もっと現場を知る。交渉も、段取りも、補給も、記録も、応急手当も…全部、私の手でできるようになる。アイオンの負担を減らせる人間になりたい」
夜気は冷たいのに、その言葉は熱く強かった。
カーラは弱さを隠すようにではなく、自分の足場を確かめるように微笑んだ。
「もし今のままそばにいたら、アイオンは私を守る。無意識でも。…それじゃ足かせになる。だから離れる。ちゃんと“相棒”でいられるようになるために」
アイオンは視線を落とし、布包みを握る手に力を込めた。
欠けた鍔が月明かりを鈍く返す。やがて静かに顔を上げる。
「お気持ち、よくわかりました。俺はカーラさんの決断を尊重しますよ」
「……怒らないの?」
「怒りませんよ。悩んでいたのは知っていました。…それでも、いつか慣れていくのかなと思っていましたけど。――俺では支えきれなかったようですね」
カーラの目が揺れる。首を振り、即座に否定した。
「違う!お前が悪いんじゃない!…私が、お前と歩くために強くなるんだ!甘えないように」
アイオンは短く息を吐き、微笑む。
「本当は誰かに任せたくないんですがね。でも…今は、それぞれで積み重ねましょう。いつか、一緒に歩くために」
「…うん。絶対」
差し出された手を、アイオンは丁寧に握り返す。
冷えた手のひらの芯だけが熱かった。
「無理はしないでくださいね。食べること、眠ることを怠らないで。…些細なことが、生死を分けます」
「わかってるよ!心配性だなーお前は!」
「そりゃあ、相棒が楽観的な人なんで」
ふたりは手を繋いだまま、同時に笑った。
澄んだ秋の星々が、村の屋根と井戸の上で凍りついたように瞬いている。
「それでも、やっぱり寂しくなるな。暫く会えなくなるのは」
カーラの声が夜に溶ける。
アイオンは静かに微笑んだ。
「会えない時間があるからこそ、再会が意味を持つんですよ。永遠の別れじゃない。そうでしょ?」
カーラの瞳に光が戻る。
「今から楽しみですよ。カーラさんが、どんな風に変わるのか」
「――そうだな。私も楽しみだ!」
ふたりはしばし、ただ同じ星を仰いでいた。
焚き火がぱち、と小さく鳴る。
そして他愛のない話をした。
オルババ村でのこと。逃げるアイオンを追って転んだ時の文句。サンドイッチの作り方。
笑い声は絶えず続き、秋の夜は深く、更けていった。
#
夜明け前の冷気が開拓村を包む。
準備を終えたフィギルは、ミリオンのもとに歩み寄った。
「しばらくはバルナバで人の手配に追われる。村のことは任せることになる」
「承知してます。フィギル様が戻られるまで、私と残った者で守ります」
「頼もしいな。任せたぞ」
互いに短く笑みを交わす。その表情には、言葉以上の信頼があった。
その頃、イザークは荷をまとめながらアイオンに声をかけていた。
「カーラとはじっくり話せたか?」
「ええ。任せましたよ」
アイオンの短い返答に、イザークは肩を竦める。
「わかってるよ!とはいえ冒険者稼業は危険だ。なにがあるかはわからない…だろ?お互いに」
「そうですね。でも、任せましたから」
アイオンは同じ言葉で返す。
その目は真剣で、確かな思いが伝わってくる。
――なにかあれば許さない、と。
「……やれることはやるよ。お前と一緒に旅に出るってのが、あいつの村を出た理由なんだ。そのために、やるだけだろ」
「しかしバルガ帝国ですか。どんな国なんです?」
「今は安定してるが、数十年前は侵略国家だった。小国も従属させまくってたし、ローズレッド王国も結構攻め込まれたって歴史がある」
「…なぜここはバルガ帝国領になっていないんでしょうね?王都からは離れてるし重要な施設もない。制圧は簡単そうですが」
「“禁断の森”があるからだろ?結局あれがあるから遠回りしてこっち来るより、別の領地を攻めた方がいい。現に隣のデオール領は被害にあって領地の奪い合いになってたって言うしな」
「意外に物知りですね…」
「余計なお世話だよ!」
軽口を挟みつつも、バルガ帝国の話から疑問は残る。
(ローズレッド王国は、一番若い国…。荒地に建てた国にしても、前の国の土地にしろ、そんな土地を侵略国家が見逃す理由がないはず…何故?)
考え込むアイオンに、イザークが声を張る。
「…だってのによー!おい、聞いてんのか!」
「聞いてますよ。まぁ、本当に任せましたよ」
「絶対聞いてねーな!ったく!」
イザークは呆れながらも離れ、行商人のケニーに声をかけに行った。
彼もこの地を離れ、他領に向かうらしい。
少し悪いことをしたが、アイオンの興味は別の場所へ移っていた。
(禁断の森…オルババ村…あの黒い女神のような存在…。バラバラ過ぎてわからないな)
ほんの一週間ほどしか経ってないのに、もう遠い場所になっていた気がしていた。
ナリアに貰ったブレスレットを見つめる。
(――旅をすればわかること、か)
やがてフィギルの号令がかかる。
「よし!準備は終わったな?バルナバへ帰還する!移民―いや、新しい領民諸君!次に来る時は諸君らの家族と共に来る!暫く待っていてくれ!」
その言葉に男たちは喜び、声を上げる。
「待ってるぞー!」「領主様最高ー!」「フィギル様ばんざーい!」
満足げに頷いたフィギルはミリオンに視線を送り、彼も静かに頭を垂れた。
そしてフィギルは自身の紋章入りの馬車に乗り込む。
カーラが声を張った。
「アイオーン!乗れよ!行くぞー!」
バサンの荷馬車の上から手を振る。
素直に従って乗り込んだ。
「バサンさん。最後までよろしくお願いします」
「おう!任せろ!こんだけ人がいれば魔物も襲ってきやしねぇ。荷物もねぇし、明日の夕方にはバルナバまで着く。のんびりしてな!」
「明日か…」
カーラが寂しげに呟く。
アイオンはそんなカーラを見て、微笑んだ。
「やっぱりやめて、一緒に行きます?」
「私を甘やかすな!」
「ふふっ」
のどかな旅が始まった。
二人の、少しの別れの前の、穏やかな旅が。
見送るミリオンたちは手を振り、残る者たちは大声を上げる。
冷たい秋の夜気の中、一行はゆるやかに開拓村を後にした。
#
焚き火の赤い炎が、冷え込む秋の夜気を押し返していた。
フィギル子爵は広げた地図を前に、私兵たちへと簡潔に指示を送る。
「ここを抜ければ、明日にはバルナバだ。――皆、気を抜くなよ」
その声はいつもと変わらぬ淡々さを保っていたが、耳を澄ませば安堵の響きが混じっていた。
少し離れた焚き火の輪では、イザークが串焼きを片手に豪快に笑っていた。
「ここまで何もなくてよかったな! ま、これだけの人数じゃ魔物も賊も近寄りゃしねえか」
エリーが肩をすくめ、笑みを返す。
「そうね。油断は禁物だけど…問題なく進めたのはよかったわ」
そこへアイオンとカーラが輪に加わった。
「よっ!」「お疲れさまー」
エリーが笑顔で2人に手を振る。
アイオンは軽く頭を下げた。
「まあ、座れよ。もう一緒に野営することも、暫くないからな」
「そうですね。では、お言葉に甘えて」
ふたりは腰を下ろし、火の温もりを受ける。
イザークが串を振りながら、からかうようにアイオンへ話しかけた。
「お前、バルナバに戻ったらどうすんだ? 真っ先に王都か?」
「そうですね。冬になる前には王都に入りたいと思っています。ここからだと…どれくらいでしょうか?」
「乗合馬車をつないで行けば15日くらいか? まあお前なら、走って行きゃもっと早いだろ」
「さすがに走りませんよ。せっかくですから、旅も楽しみたいですし」
その答えに、一同は一斉に笑った。
「馬より速く走る奴がいるなんてな! 初めて見た時は腰抜かしたぜ」
ウルが豪快に笑う。
「確かに驚いたよ。身体強化の方は尋常じゃない。…まあ、体外魔法の方はまだまだだけど」
オニクが皮肉げに笑い、周囲をくすりとさせた。
エリーが肩を突き出してイザークをからかう。
「でも一番驚いてたのはイザークよね? “あいつは俺に必要な奴だ!”なんて言って、あっさり移住を決めちゃったんだから」
「オニクが“瞬迅並み”なんて言うから気になったんだ!」
照れ隠しに声を荒げるイザーク。
「見立ては正しかったと思うよ。あれに体外魔法を自在に組み込めれば―」
「…その辺でやめましょうよ」
自分の話ばかりになるのを嫌い、アイオンは言葉を切った。
それを見てカーラが吹き出し、輪が和む。
「ははっ、悪い悪い。こんなアイオン、初めて見たからさ!」
イザークが笑い、他の仲間たちも釣られる。
「最初は仏頂面で怖かったもんな。“こいつ笑えるのか?”って思ったくらいだ」
「人に関心なさすぎて、近寄りがたいくらいだったわよね」
笑いの中、ひときわ大きな声が割って入る。
「お前ら!あんまりアイオンさんをいじるな!」
ケニーだった。
イザークたちとアイオンを結びつけた最初の人物。
「おお、ケニーさん登場だ!ずっと気になってたんだよ。なんで最初にコイツを“逸材”なんて言ったんだ?」
イザークがニヤリと笑う。
「逸材? そんな軽いもんじゃねえ! 間違いなく大物になるって確信したんだよ」
ケニーは鼻を鳴らすと、アイオンを見やった。
「覚えてます?最初に会った時のこと」
「いえ。特に記憶には」
アイオンは首をかしげた。
本音を言えば、村の人間すらどうでもよかった時期だ。
外の行商人との出会いなど、覚える価値もなかった。
「ええっ!?あれだけのことをしておいて忘れたんですか!?」
驚くケニーに、イザークがすかさず茶々を入れる。
「おいおい、ちゃんと責任取れよ?」
「気色が悪い」
淡々とした返しに、再び輪が笑いに包まれた。
こうしてアイオンとカーラ、イザークたちの最後の野営は――
緊張とは程遠く、笑い声に満ちたまま更けていった。




