後処理
周囲には血と土の匂いが混じり、重く淀んだ空気が漂っていた。
戦いの終わった現場には、魔石を抜かれたゴブリン種やホーンラビット、ウルフの死骸が無造作に転がっている。
参加していた冒険者の多くはEからDランク。魔石は彼らにとって貴重な収入源だ。
だが、死骸をこのまま放置すれば、腐敗や魔物を呼び寄せる原因になるほどの量だった。
「まったく!これを片づけるだけで一仕事だな」
ジックが短剣の柄で土を突き、うんざりしたように息を吐く。
「でも、やらなきゃならないことだしね」
ムスカは鼻を覆い、ハルクは肩をすくめて同意した。
「俺ら駆け出しにとっちゃ、ゴブリンの魔石だって大事な収入だしな」
アイオンは三人の横を通り抜け、足元のボブゴブリンを片腕でずるずると引きずる。
「お疲れさま。…いたんですね」
「ああ。お前は中に入ってたんだろ?どうだった?」
ジックが笑いながら問いかける。
「あまり良いものではなかったですね。…皆さんは、ゴブリンの巣に入ったことは?」
その言葉でジックの笑みが消える。
「…あるよ。こんな大群じゃなかったけど、小規模な巣をな。それでも、きつかった」
「俺ら、もともと4人パーティだったんだ。けど、1人はそれで無理になって抜けた」
「ギルドも人が悪いと思ったけどさ…憧れだけじゃできない仕事なんだって思ったな」
ムスカもハルクも黙って頷く。
それでも彼らは、冒険者を続けることを選んでいた。
「でもまあ、そんなのばっかじゃないからさ!…あまり気にすんなよ」
「…ありがとうございます」
軽く頭を下げ、アイオンは離れた。
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「しかし、すげぇよな!イザークさんたちの評判は聞いてたけどよ!オーガ2体にゴブリンの群れって…憧れるぜ!」
ジックは興奮気味に言い、ムスカとハルクも同意する。
「な!…ひょっとして俺ら、とんでもない人と知り合えたんじゃねぇの?」
「将来のSランクと?」
「ハハッ!自慢できるな!」
笑い合いながら、3人は作業に戻っていった。
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死骸を一か所に集め、掘った穴に埋めていく。
イザークとウルは巨大なウルフの死体を担ぎ、オニクは血の跡を水で洗い流していた。
「意外と骨太だな、こいつ」
ウルが肩を回す。
「肉は臭くて食えねぇし、皮もこの損傷じゃ売れねぇな」
イザークは顔をしかめた。
「さっさと終わらせよう。獣臭が染みつく前にな」
オニクが苦笑し、そこへアイオンが合流する。
「皆さん、村に戻っていいって言われたのに残ったんですね。俺もですけど」
「まあな。回復薬で治る程度の傷だったし、それに後始末はちゃんとやっておきたい。…この地方を離れる前にな」
イザークの言葉に反応する。
「次は王都方面ですか?」
「いや、バルガ帝国の予定だ。経験も積めたし、他国を見てみたい。オニク以外、外に出たことねぇからな」
ウルもオニクも頷く。
「そうですか…。出身地には戻らないんですか?」
「一旗上げるまでは戻らねぇよ。…足りないもんも分かったし、成長も感じられた。ここはいい場所だった」
「なら、よかったです」
作業を続ける。
ミリオンが作った穴に魔物の死骸を投げ込んでいく。
血と獣臭が混じった重い匂いが漂い、皆の顔に疲れが浮かんでいた。
ようやく運び終えた後に、オニクが腰に手を当て、アイオンへ声を掛ける。
「よし、アイオン。燃やしてくれ。その上から土を被せよう」
アイオンは眉をひそめ、死骸の山を見下ろした。
「この量を?匂いがすごいことになりそうですが」
「今さらでしょ。それに、火の魔法は使って調整してくしかない。“あれ以来”、練習もしてないんだろ?」
オニクの言葉に、アイオンは少し肩を竦めた。
――あれ以来。
試しに火を出そうとしただけで納屋を燃やしかけたあの日。
村長やレアに散々叱られ、以来、封印していた魔法。
「……わかりましたよ。でも、どうなっても知りませんからね」
覚悟を決め、胸の奥に魔力を集め、熱を思い描く。
穴の中を燃やし尽くす炎。
煙も灰も残さぬ力強い火。
呼吸を整え、目を閉じて集中する。
そして――
「――火よ!」
一気に魔力を解き放った。
轟、と爆ぜる音と共に、赤黒い炎が一瞬で穴を満たす。
だが、すぐに炎は制御を失い、死骸を飲み込みながら外へと吹き上がった。
地面の草を焼き、近くに積まれていた武具の残骸に火が移る。
「おいっ!やばいぞ!」
「ひ、火が広がってる!」
冒険者たちが慌てて距離を取る。
熱気が顔を叩き、煙が咽せるほど濃く立ち上がった。
「しまった―!」
アイオンは手を振りかざすが、火は言うことを聞かない。
その瞬間、オニクが踏み込んだ。
「下がれ、アイオン!」
彼の手元に水の球が浮かび上がり、次の瞬間には奔流となって炎を押し潰すように浴びせかけた。
ジュウウウッ、と耳をつんざく蒸気音。熱気が一気に辺りへ吹き出す。
水蒸気が収まり、黒く炭化した死骸の山と、焦げた地面だけが残った。
オニクは大きく息を吐き、額の汗をぬぐった。
「…イメージが強すぎるよ。処理はできたけど」
「げほっ…!だから、調整ができないって言ったでしょ!」
「情けない言い訳をしない」
「無茶苦茶…」
ウルが鼻をつまみ、イザークは呆れたように肩をすくめる。
ジックたちは「これが火魔法…」と遠巻きにしていた。
「やれって言われたからやっただけなのに…」
イザークは笑いながら近寄る。
「人から言われてやるから油断すんだよ。自分でやるって決めたらもっと集中するだろ?…お前、器用そうで案外不器用だな」
「…大きなお世話です」
背を向けたところに、洞窟からミリオン率いる私兵団と冒険者が出てきた。
いくつかの武器や魔石などを手にしている。
「彼女たちは?」
イザークが問う。
「…外に運び出すのは諦めた。オーガがいた広場に埋葬した。もちろん魔物とは別にだ。身元がわかるものは発見できなかった」
ミリオンは悔しげに言葉を落とし、イザークも重々しく頷いた。
「そうか。あれも、王女様を狙ってた賊が持ち込んだものだと思うか?」
「おそらくな。…だが、やり方は厄介で、悲惨なものだろう」
「どういうことだ?」
「…アイオン。前にきみが相手にしたヒュドラは、成熟体じゃなかったな。…ヒュドラは卵生だから、持ち込むのは楽だったはずだ」
その言葉に、アイオンは喉の奥が焼けるような吐き気を覚えた。
オーガ戦の前に遭遇した、異質な二体のボブゴブリン。
武器を巧みに操り、互いに連携するという、ただの突然変異では説明のつかない知能を持った存在。
「上位種が生まれたのは、外敵への進化じゃなく、最初から“種”を仕込まれた状態で持ち込まれていたから……ということですか?」
オニクが暗い声で相槌を打つ。
「…成体を運ぶより、よほど手間が省ける。そうか、ヒュドラも、ハーピーも、アーススパイダーも卵生。だがゴブリンやオーガは胎生…。考えただけで寒気がする」
「じゃあ…あの双子のオーガも、人間から…? でも普通はオーガ同士で…人間相手に…」
ウルが顔を歪め、吐き捨てるように言った。
その悍ましさに、オニクもイザークも、そしてミリオンでさえ言葉を失い、同じ顔をしていた。
「…子爵を恨んだ連中は、想像以上に深い闇を背負っていたということだな」
「…あくまで仮定の話だがな」
それ以上は続かず、沈黙が場を支配する。
血と煙の匂いだけが、まだ地面に残っていた。
「ミリオン隊長!積み込み完了しました。いつでも村へ戻れます!」
私兵の声が、その重苦しい空気を破った。
「――よし!全員集めろ!すぐに出発する。死骸の穴はこちらで塞ぐ」
ミリオンは静かに土魔法を発動させ、穴を覆い隠した。
まるで布を縫い合わせるように緻密な魔力操作だった。
「私兵で終わるのは惜しいね。冒険者なら上位を狙えただろうに」
オニクが感心の声を漏らす。
「先代フィギル様に返しきれぬ恩がある。しかし、君のような優秀な術者にそう言われるのは悪い気はしない」
「…まぁ、さっき未熟な魔法を見せられたせいで、余計そう思ったのかもね」
オニクがちらりとアイオンを見やる。
つられて全員の視線が集中した。
「…なんですか?風魔法はだいぶマシになったでしょう」
「確かにね。でも、せっかく多属性を扱えるんだ。もっと磨かないと。身体強化に、複数の魔法――イザークに少し分けてやってもいいくらいのセンスなんだから」
「おい!俺に振るな!俺は剣一本で十分だ!」
イザークが睨み返すと、張り詰めていた空気がふっと和らぐ。
「…本当にいいパーティですね」
ウルが小さく笑った。
「羨ましいか?入るなら大歓迎だぞ? 前衛にイザーク、中衛にお前、後衛にオニク。俺は守り。完璧じゃねぇか!」
「面白そうですが…遠慮しておきます」
「おお、残念!」
「よし、全員揃ったな!開拓村へ戻るぞ。夜のうちには着けるはずだ」
ミリオンの号令に従い、一行は列を組んだ。
夕日が傾き、影が長く伸びていく。
戦いの痕跡はまだそこにあった。
だが、次にここを訪れる者が、この場所で何があったかを正確に思い描けるほどの生々しさは、もはや失われつつあった。
こうして森は静寂を取り戻していく。
それでも、誰かの息づかいのような風だけが、森の奥でかすかに鳴っていた。




