魔物の巣②
「だー!くそっ!やっぱり多すぎる!」
ウルが唸り、盾で二体まとめて押し返す。
背後からイザークが斬り込み、アイオンが横合いから首を狩る。
「この波を切り抜けたら奥に近づく!」
イザークの声に、全員が頷いた。
オニクが水の刃を放ち、敵の喉元を裂く。
湿った血の匂いが、さらに濃くなった。
押し寄せてきた群れを斬り伏せ、ようやく足を止めた瞬間。
奥の闇から、規則正しい足音がゆっくりと近づいてくる。
それは獣の乱れた足取りではなく、まるで訓練を受けた兵士の行進。
「…なんだ、あれ」
イザークが息を整えながら剣を構え直す。
現れた二つの影は、通常の上位種よりも一回り以上大きく、異様な威圧感を放っていた。
一体は全身を黒鉄の鎧で覆い、両手に曲刀を握った巨躯。
もう一体は薄鎧に長槍を携え、引き絞った弓のように全身の筋肉を研ぎ澄ませている。
その瞳には、獣じみた興奮も怒りもない。
冷たく研ぎ澄まされた殺意と、計算だけが宿っていた。
「…あれ、ただの上位種じゃない」
オニクが低く呟く。
「人間の兵士みたいな動き、ってやつだ」
「数はこっちが上だが…」
ウルが盾を構え直す。
「油断せずにいきましょう」
アイオンは双剣を握り直し、一歩前へ出た。
先に動いたのは槍のゴブリン。
滑るような踏み込み――人間の槍兵以上の速度。
ウルが盾を正面に構えて受けるが、突きの衝撃は腕から背中まで響き、足が半歩下がった。
その一瞬の隙を、鎧の巨体が逃さない。
低く唸る金属音とともに曲刀が振り下ろされ、盾の縁をかすめて火花が散る。
「ウル、下がれ!」
イザークが飛び込み、曲刀を弾き返す。
その間にオニクが詠唱を始めたが、槍のゴブリンが身をひねり、再び突きを繰り出す。
その速度と間合いの取り方は、人間の熟練兵そのものだ。
「…させない!」
アイオンが槍の死角へ消え、双剣で槍の柄を払う。
瞬間、オニクの掌から水刃が飛び、鎧の継ぎ目を狙った。
刃は確かに刺さったが、巨体はほとんど怯まない。
「硬い…!」
アイオンは息を整えつつ後退する。
槍と曲刀の二体は、互いの死角を完璧に補い合い、前衛と後衛の区別もなく動く。
一方を攻めれば、もう一方が必ず援護に入る。
下手に飛び込めば、挟撃を受けるだけだ。
イザークが左から斬りかかると、槍の柄が即座に防ぎ、反対側から曲刀が振るわれる。
ウルの盾がそれを受けるが、衝撃で体が揺れ、膝がわずかに沈む。
「…ちょっと、こいつら本当にボブゴブリンか?」
ウルの額に汗が滲む。
「集中しろ、息合わせるぞ!」
イザークの短い指示に、全員がわずかに頷く。
「ウル、正面から巨体を押さえろ。オニクは足元を凍らせて動きを止めろ」
イザークが矢継ぎ早に指示を出す。
「了解だ」
ウルが盾を前に突き出し、巨体と押し合う。
オニクの詠唱が完成し、冷気が巨体の足元に広がった。
硬直した一瞬、イザークが曲刀の軌道を逸らし、アイオンが槍兵へ飛び込む。
双剣が稲妻のように閃き、槍の柄を切り裂いた。
「グウッ!」
低い唸りが洞窟に響く。
巨体が盾を押し返そうとした瞬間、足元の氷が砕け、バランスを崩す。
「今だ!」
四人が同時に動く。
アイオンは左の剣で槍兵の腕を斬り、右の剣で首筋を薙ぐ。
イザークは巨体の鎧の隙間に剣を突き立て、ウルが盾の縁で顎を打ち上げる。
オニクの水刃がとどめを刺すように胸を貫いた。
鈍い音と共に、二体がほぼ同時に崩れ落ちた。
槍が床に転がり、洞窟に静寂が訪れる。
しかし――。
奥の暗闇から、また複数の足音が響き始めた。
「…これで終わりじゃねぇな」
ウルが低く呟く。
アイオンは再び双剣を構え、薄暗い通路の奥を睨みつけた。
#
外では依然として激しい戦闘が続いていた。
ただし、洞窟の奥へ仲間が踏み込んだおかげで、押し寄せるゴブリンの波は明らかに間隔が空き始めていた。
その一瞬の隙が、疲弊した兵たちにとって唯一の救いとなる。
「はぁ、はぁ…少しは減ってきたか…?」
ムスカが汗を拭いながら盾を構える。
「……減ってるが、こっちの数も減ってる」
ジックが低く返し、剣の切っ先から血を振り払った。
動きは鈍く、呼吸も荒い。
ミリオンが再び土壁を立ち上げるが、その表面は小刻みに震えている。
魔力の消耗も限界に近いのが見て取れた。
「…中の奴らに賭けるしかねぇ。ミリオンさんを援護する。あの人が崩れたら、終わりだ」
ハルクの短い言葉に、周りにいた全員が頷き、再び迫る敵へと武器を構える。
#
洞窟は湿気と血の匂いで満ちていた。
通路の奥から押し寄せてくるゴブリンの数は、侵入直後より明らかに少ない。
それでも、狭い通路での戦闘は一体ずつが重く、消耗は確実に積み重なっていく。
「右からくる!」
ウルが叫び、巨大な盾を斜めに構えて突進してきた敵を弾き飛ばす。
鈍い衝撃音が洞窟に響き、倒れたゴブリンの喉を、イザークが躊躇なく断ち切った。
アイオンは双剣を交差させ、迫る二体の刃を同時に受け流す。
腕に痺れが走るが、それを力任せに振り払い、返す刃で胴を裂く。
「…っ、数は減ってるのに、楽にならないですね」
息を整える暇もなく、アイオンが呟く。
「体力が削られてんだよ。動きが鈍るとやられるぞ!」
イザークが短く返し、横合いから迫る敵を弾いた。
後方では、オニクが両手を掲げ、水の鎖を生み出し三体を縛り上げる。
その額には汗が滲み、肩で息をしていた。
「これ以上は…長くは持たないね」
回復薬をあおりながら、魔法使いは低く呟く。
その時だった――
アイオンの背筋に、氷の刃を突き立てられたような感覚が走った。
戦場の喧騒とは別の、重く圧し掛かる圧迫感。
「…今の…感じましたよね?」
小声で問うと、イザークも眉をひそめる。
「ああ。奥だな。こいつらの…親玉じゃねぇ。ゴブリンでこんな気配は出せない」
ウルも短く頷いた。
「もっと…質が違う。嫌な重みだ」
奥の闇の向こうから漂うそれは、先ほどの2体ボブゴブリンとはまるで違う、異質な存在感だった。
濃密で、肌を刺すような敵意。
しかも二つ――間違いなく二つの気配が蠢いている。
全員の動きが、わずかに硬直する。
しかし前方のゴブリンたちは、それを守るかのように最後の抵抗を見せてくる。
「…行くしかないですね」
アイオンが双剣を握り直し、息を整える。
「ああ…出し惜しみは無しだ」
イザークは口角を上げた。
「お前、足引っ張るなよ?」
「言われなくても」
アイオンは軽口を返すが、目は笑っていなかった。
―間違いなく、この先に強敵が待っている。
#
開拓地の一角、窓から差し込む朝の光の中で、カーラは机越しにエリーと向き合っていた。
アイオンたちはまだ森から戻ってきていない。
静けさが、妙に落ち着かない。
「昨日の話…まだ返事をもらってないね」
エリーは椅子に腰掛け、真剣な眼差しを向けてくる。
「…本気なの?私を、アイオンのそばから離すって」
「本気よ」
エリーの声は揺れない。
「あなたには戦う力も、サポート役としての経験も足りない。だからこそ、一度アイオンと離れて、別の仲間と動いてみてほしいの」
「…それで、エリー達と一緒に?」
「そう。知らない人の傍だと、アイオンが許可しないと思う。…私自身もまだ慣れてない部分が多いけど、カーラよりは少し先を歩いてるから、参考になる部分はあると思うの。依頼人との交渉も、危険な依頼かの判断も、自分でできるようにならないと…いつか、アイオンを殺すわ」
カーラは視線を落とした。
昨日の見送りのとき、ただ祈る事しかできなかった自分を思い出す。
あの背中に、何も返せないままだった。
「…でも、離れたら…ついてきた意味がないよ」
「だからこそよ」
エリーは言葉を強める。
「守られてばかりじゃ、いざという時に何もできない。あなたがもっと力をつければ、アイオンを本当の意味で支えられるようになる」
胸が締め付けられる。
頭ではわかっているのに、心が追いつかない。
アイオンと離れることを考えるだけで、不安と寂しさが押し寄せる。
「…もう少し考えさせて」
「もちろん。でも、みんなが帰ってくるまでには決めておいて欲しい。…私達が向かうのは…バルガ帝国だから」
カーラは小さく頷き、窓の外へ視線を向けた。
青い空が広がっていくのに、胸の奥は重く曇っていた。




