魔物の巣①
夜の開拓地は静まり返っていた。
だが倉庫近くでは、冒険者たちと私兵が黙々と準備を進めていた。
カーラはエリーに付き添い、物資の確認を手伝っていた。
松明、予備武器、回復薬――。
手に取るたび、それが「命を繋ぐための物」だという実感が胸に重くのしかかる。
少し離れた場所では、アイオンが双剣の刃を砥石で静かになぞっていた。
火花の散らない優しい手つき。だが、その眼差しは鋭い。
声を掛ければ振り返るだろうが、集中を乱す気にはなれなかった。
――やがて、時が来た。
「よし、皆!」
フィギルの号令に視線が集まる。
「これより出発してもらう! 夜の内の行動は危険だが、早朝には巣まで到着してほしい。諸君らの活躍に期待する!」
カーラはアイオンの傍に立ち、声を掛けた。
「……必ず、戻ってこいよ」
「はい。そちらも、異変があればすぐにカルララへ」
「わかってる……でも、待ってるから」
「はい。行ってきます」
アイオンはイザークたちと共に森へ向かう。
その背を見送るカーラに、エリーがぽつりと言った。
「離れるって……寂しいよね。でも、慣れなきゃ」
「わかってるよ……」
「――カーラ、あなたに提案があるの」
「え?」
カーラが振り返ると、エリーは真剣な表情をしていた。
「あなたには、ツラい選択になる。でも、必要なことだと思う」
「な、なんだよ……」
「――アイオンと離れて、私たちのところで経験を積まない?」
「え?」
戸惑いの言葉が溢れる。
その真意はわからなかった。
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「……お前さ、どう思ってる?」
イザークが荷馬車の御者台からアイオンに声を掛けた。
「何がです?」
「カーラのこと」
「なんです、急に」
「足手まといに思ってるか?」
「成長するには失敗も受け入れろ……そう言ったのはあなたたちでしょ? 別に失敗もしてないですが、経験が必要なのは俺もカーラさんも同じです。気長に待ちますよ」
「そうなんだが……軽率だったな、ってさ。素人に交渉やサポートを任せても、良い結果にはならねぇ。ましてお前はギルドからすれば異例の新人だ。あっちは慎重に管理したいだろうな」
「管理って……せっかく冒険者になったなら、自由に生きたいですよ」
「……そうだよなぁ」
イザークはため息を吐き、前を向く。
「どうするかは分からねぇが、良い結果になるといいな。まずは、この依頼を片付けようぜ」
その言葉の真意もわからなかったが、頷くしかなかった。
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朝日はまだ低く、空気は少し冷たい。
足音と鎧の擦れる音だけが、森に響く。
やがて湿った空気が流れ込み、視界が開けた。
岩肌を抱くように口を開けた洞窟。
その前には、20体近いゴブリンが夜営していた。
その中にはボブゴブリンやシャーマンも混じり、さらにホーンラビットやウルフの姿まで見える。
ミリオンが前に出て静かに告げる。
「ここからは侵入組と外部対策組に分かれる。侵入組は準備を確認しろ。対策組は覚悟を決めろ……少ししたら戦闘に入る」
アイオンは双剣の鞘を軽く叩き、仲間と視線を交わす。
もう、引き返せない。
「魔物同士が協力するのはオルババの森でも見ましたが……ここでもなんですね」
アイオンの呟きに、オニクが答える。
「多分、王女様誘拐犯がばら撒いた強い魔物に対抗するためかな。弱い魔物は群れ、危機感で進化しやすくなる。でも、上位種が多いのが気になる……」
「たった三ヶ月で、ここまでになるんですか?」
「ゴブリンの繁殖は速い。それに進化した種が一体いれば、子もそうなる可能性が高い。だからこそ巣全体が脅威になる。早めに見つけられたのかはわからないけど、放ってはおけない」
「なるほど……で、そんな奴らを従える存在が奥にいる、と」
「でなきゃ説明がつかないよ」
眼前に広がるゴブリンたちを見て、オニクは呟く。
確かに、上位種であるはずなのに、下位の存在と同じように外で暮らすなんて、考えられない。
(厄介なことにならなきゃいいけど……)
「よし、ではゴブリン殲滅隊。私が土魔法で壁を作る。それを合図に前進、ゴブリンを倒せ!」
ミリオンは魔力を溜める。
「大した魔力だな」
イザークが褒める。
「確かに……僕たちは待機する。恐らく巣から出てくるだろうけど、それの数が減ったら合図がくる」
オニクがイザーク、ウル、アイオンに呟く。
3人は頷き、時を待つ。
そしてオニクがミリオンに合図を出す。
それに頷き――魔力を解放する。
「土よ! 壁となり敵を阻め!!」
言葉と共に手を地面につける。
魔力が流れ、洞窟前を壁が覆う。
「行け!」
「「「「うぉおおお!!」」」」
私兵と冒険者たちがなだれ込む。
激しい戦闘が始まった。
洞窟前の地面を、怒号と金属音が満たす。
壁を突破しようと暴れるゴブリンたちに、私兵と冒険者が次々と斬りかかる。
火花が散り、血飛沫が舞った。
ボブゴブリンが棍棒を振り回し、三人まとめて吹き飛ばそうと迫る。
だが、その軌道に土の槍が突き上がった。
ミリオンだ。
「退け!」
号令と共に地面からせり上がった岩槍が、ボブゴブリンの脇腹を貫く。
呻き声が響き、巨体が崩れた。
「左に回れ! 背後から来るぞ!」
ミリオンの声に、駆け出し冒険者のジックは慌てて身を引いた。
直後、シャーマンの火球が地面を焼き、石片が弾け飛ぶ。
「っ……危ない!」
ムスカが盾で火の粉を受け止めたが、その腕は震えていた。
ミリオンは迷わず前へ出る。
剣を振るい、シャーマンの杖を弾き飛ばす。
「魔法使いを甘く見るな! 速さで封じろ!」
そう言い放つと、土壁を即座に形成し、仲間と敵を隔てた。
だが壁の向こうでは、別の私兵が二体のボブゴブリンに押し込まれている。
「え、援護する!」
ハルクが槍を構え突進するも、棍棒の一撃で弾かれる。
その瞬間、ミリオンが低く滑り込み、剣で片足を切り払った。
悲鳴と共にバランスを崩すボブゴブリン――そこへ私兵の刃が突き立つ。
「呼吸を乱すな! 一撃で仕留めろ!」
ミリオンは叱咤しながらも、敵の立ち位置を常に確認していた。
背後から迫るゴブリンを土の壁で遮断し、脇から抜けてきた一体を剣で断つ。
その動きはまるで、戦場の軸を中心から押し返すようだった。
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「凄いですね、あの人」
「あぁ。理想的な魔法剣士って感じだ」
そんなミリオンの様子を見て、アイオンとイザークが感心する。
ミリオンは私兵たちに細かく指示を出し、冒険者たちを援護していた。
「……皆、思った以上に敵の数が減らない。これは中にも凄い数がいると思った方がいい」
オニクは3人に警告する。
「うぇー。でも、やるしかねぇよなぁ」
「油断して手傷は負うなよ! イザーク!」
ウルがイザークに軽口を叩く。
「わかってるっての!」
「……合図を待とう」
オニクは冷静にミリオンを見ていた。
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やがて、壁の奥から甲高い声が響く。
残っていたシャーマンたちが呪文を唱え、頭上から火球と石槍が降り注いだ。
「散開!」
ミリオンの声に従い、28名の仲間が一斉に位置を変える。
爆炎と土煙が舞い、戦場は混沌と化した。
しかし、その混沌の中心で、ミリオンは一歩も退かない。
剣を振るうたび土が隆起し、仲間を守り、敵を押し返す。
ジックも、ムスカも、ハルクも――息を荒げながら、必死に戦っていた。
爆炎と土煙が渦を巻き、戦場の視界は一瞬奪われた。
その隙に、ゴブリンたちは壁際へと殺到する。
だが、ミリオンの土壁が再びせり上がり、突破を阻んだ。
「今だ! 侵入組、動け!」
鋭い声が戦場を貫く。
イザークは剣を抜き、アイオン、ウル、オニクと視線を交わす。
「行くぞ!」
短く告げると、彼らは土壁の影を滑るようにすり抜け、洞窟の口へ向かった。
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洞窟の内部からは、湿った獣臭と血の匂いが漂ってくる。
足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
背後では、外の戦闘音がなおも轟いている。
その音が次第に遠ざかり、代わりに低い唸り声が耳に届いた。
「……やっぱり中にも相当数いるね」
オニクが囁く。
闇の奥から、二体のゴブリンが飛び出してきた。
アイオンは間合いを詰め、双剣を交差させて一体の首を薙ぐ。
もう一体はイザークが斬り払い、壁へ叩きつけた。
「この程度は問題ないな。奥へ急ぐぞ」
イザークが低く言い、再び駆け出す。
洞窟は奥に行くほど広くなり、複数の通路に枝分かれしていた。
岩壁の陰からは、ボブゴブリンやシャーマンらしき影が覗く。
「案の定だな……こっからが本番だ」
ウルが盾を構える。
「想定より、かなり多いですね」
アイオンが短く呟く。
その声には焦りよりも、むしろ研ぎ澄まされた静けさが宿っていた。
闇の向こうから、光を反射する無数の目が現れる。
双剣を握る手に、自然と力がこもった。
「――やるしかない」
闇の奥から、金属や骨の武器を握ったゴブリンが次々と溢れ出す。
数は10や20ではない。
小柄な下位種の後ろに、ボブゴブリンも混じっている。
「来るぞ!」
ウルが盾を突き出し、先頭の一体を弾き飛ばす。
続けざまにアイオンが右へ回り込み、双剣でその首筋を断った。
血が床に飛び散り、足元が滑る。
「足元気をつけろ! 転んだら終わりだ!」
イザークが叫びながら、斜め上から降ってくる棍棒を弾く。
火花が散り、剣を握る腕が軋む。
後衛のオニクが詠唱を紡ぐ。
「水よ、鎖となれ!」
足元から巻き上がった水が二体のゴブリンを絡め取り、動きを封じた。
そこへウルが踏み込み、盾の縁で頭蓋を粉砕する。
だが、押し寄せる敵は途切れない。
通路が狭い分、一度押し込まれれば形勢は一気に崩れる。
その危うさを、全員が肌で感じていた。
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外では、ミリオンの土壁が崩れかけていた。
「持ちこたえろ!」
怒鳴りながら剣を振るい、目の前のボブゴブリンの胸を貫く。
全員が息を荒げながらも次の敵を迎え撃っていた。
「くそっ、数が減らないよ!」
ムスカが盾で火球を受け止め、煙の中から迫る影に槍を突き出す。
しかし別方向から、シャーマンの氷の礫が飛来し、後方の私兵一人が倒れ込んだ。
「負傷者を下げろ! 後ろは私が塞ぐ!」
ミリオンは素早く位置を変え、土壁を再び立ち上げた。
なおも押し寄せる敵に舌打ちをしながら、冷静に対処していった。




