討伐依頼
倉庫の前、フィギル子爵は落ち着いた表情でアイオンを見ていた。
アイオンは深く頭を下げる。
「改めて、お久しぶりです」
フィギルは穏やかに微笑み、応じた。
「本当にな。よく来てくれた。ジーナ王女のおかげで移民が増えてな……まったく、ありがたいような、ありがたくないような話だ」
アイオンは苦笑しながら言う。
「“遊行”が役に立ったんでは? いいことじゃないですか。きっと子爵様に期待してるんですよ」
「……きみからもらったヒュドラの素材、それがこの村の資金源になっている。感謝しているよ」
あのときライアたちが解体したヒュドラの素材。
アイオンはその権利を放棄し、オルババ村からの献上品として子爵に渡していた。
「たまたま倒せたものの権利を主張する気はなかったので。領地運営に役立っているなら良かったです」
「――それで、なぜここに?」
「冒険者になりまして。依頼で来たんです」
アイオンは視線をバサンに向けた。
私兵長ミリオンと、何やらやり取りをしている。
「なるほど……。だが、いいタイミングだ」
「ゴブリンの巣ですか。数は?」
「正確な数は不明だ。それを今、確認してもらっている」
「イザークさんたちに、ですね」
そこへエリーが、明るい声で割って入った。
「アイオン! イザークたちはそろそろ戻る予定よ」
アイオンは頷き、軽く肩をすくめる。
そして、フィギルに問い掛けた。
「依頼を出すつもりですか?」
「もちろんだ。緊急依頼になる。きみにも参加してもらいたい。数が多ければカルララやバルナバにも伝令を出す。だが、移民たちには知られたくない。これから住む場所の近くに魔物の巣があると知れたら困るからな」
「なるほど。カーラさん」
「うん? どうした?」
「依頼を受けるかどうかの判断は、カーラさんに任せます。条件交渉も」
「え!? り、領主様と?」
「誰が相手でもやってもらいます。そういうのはカーラさんの役目です。じゃ、俺はケニーさんのところに行くんで、あとは任せます」
「え? イザークたちは待たないの?」
「状況判断もカーラさんに任せます。いい経験になると思いますよ? では」
そう言ってフィギルに会釈し、ミリオンとバサンに一言声をかけてから、ケニーの店へ向かった。
カーラは恐る恐るフィギルを見る。
彼はにっこりと微笑んでいた。
「ま、まだ時間はあるよな? エリー! 相談に乗って!」
「はいはい。あれからの話も聞きたいし、ちょうどいいわ」
エリーの返事に、カーラはほっと息をつく。
一方、フィギルは去っていくアイオンを見送り、にやりと笑った。
「冒険者になったのか。ならばいずれ――」
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少し離れた場所に、ケニーの荷馬車が停まっていた。
「おや、アイオンさん! 巣に向かうんですか?」
「いえ、依頼を受けてからです。それより商品を見たくて」
「子爵も恐らく緊急依頼を出すでしょうから、それが賢明ですね! ですが、今回持ってきたのは物資や保存食がメインで、武器防具は少なくてですね……」
「そうですか」
アイオンはわずかに残念そうな顔をする。
(バルナバで見ておくべきだったな……。でも金は潤沢じゃない。ランク割で買えても、この双剣より悪ければ意味ないし……う〜ん)
新調するなら今がいいと思いつつも、踏ん切りがつかなかった。
そんな様子を見たケニーが提案する。
「他の行商人にも聞いてみては? 私は商売敵なので手は貸せませんが、交渉術も冒険者の武器です。知らない商人から手頃な値で必要な物を買う練習にもなりますよ」
「まぁ、そうですよね」
武器となるとカーラには任せづらい。
少し考え、アイオンは頷いた。
「ありがとうございました、ケニーさん。少し回ってみます」
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そうして他の行商人を回ったが、扱っているのは資材や食料、日用品が大半で、武器は質の悪い物ばかりだった。
(やっぱり、そう上手くはいかないか)
諦めてケニーの元に戻る。
「どうでした?」
「ケニーさんと同じでした。なので砥石だけ買います」
「そうですか。それは残念――」
「アイオン!」
賑やかな声に振り向くと、イザーク、ウル、オニクの三人がいた。
「お疲れ様です」
「おう! なんでお前さんがここに?」
「……また面倒事に巻き込まれるのかな?」
ウルとオニクの軽口に、アイオンは淡く笑って返す。
「それはどうでしょうね。カーラさん次第です」
「へぇ、そうか? まぁ……やる気はすぐ出るさ」
イザークの冗談めいた声の奥に、わずかな疲れと警戒が滲んでいた。
「それで、状況は?」
「詳しくは子爵様に報告だが――想定以上だな」
ウルの言葉に、イザークは包帯の巻かれた腕を押さえ、頷く。
「ホブゴブリンもシャーマンも揃ってた。それよりも群れの動きが妙だった」
「妙……とは?」
オニクが答える。
「古い洞窟が巣だったんだけど、奥までは探れてない。それでも上位種が目に見える範囲にいた。……奥にはもっと強いのがいるかもしれない」
「つまり全容は不明、イザークさんは負傷した。と」
イザークがむっとする。
「不意をつかれたんだ! まぁ、俺の落ち度だ。ナメてた」
「驕りは戦闘に不要ですよ」
それはアイオンがライアに言われ続けた言葉だった。
「悪かったよ! ――子爵に報告だ!」
イザークは足早に倉庫へ。
ウルとオニクが続き、アイオンもケニーに一礼して後を追った。
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「なるほどね」
「そうなんだよ! 酷いだろ?」
カーラは身を乗り出し、エリーに近況をぶつけるように語った。
メリッサから浴びせられた、あの刺さる言葉――
自分ではアイオンに釣り合わないという否定。
「確かにあいつはすごいよ……。でも私はまだ何も知らない初心者だ。なのに、そんなこと言われたら……」
悔しさを押し殺すように唇をかみしめる。
しかし、エリーの返しは慰めでも同情でもなかった。
「カーラ。“一緒にいたい”だけじゃ駄目だよ」
「……え?」
「確かにそう言って連れ出したのは私とイザークだけど、必要なことをしっかりやった上じゃなきゃ駄目」
カーラはわかりやすく狼狽える。
エリーは胸を痛めつつも、今はあえて言わねばならないと感じていた。
「依頼を受ける前に、その場所にどんな魔物が出るのか? 魔物の部位で求められるのはどこか? ルートは? 採取に必要な道具は?……それを調べるのはカーラの仕事」
「そ、そんなの――」
「アイオンに無事に帰ってきてほしいなら、やらなきゃいけないの」
真っ直ぐな視線。
その真剣さに、カーラは言葉を失った。
「厳しいと思う?」
「……だって、ただの薬草採取だろ? アイオンはCランクでスタートしたんだし、実力は認められたんだろ? なのに――」
「それはアイオンの実力が認められただけ。カーラじゃない」
胸に鋭く突き刺さる言葉。
思わず息を呑む。
「イレギュラーな依頼はある。今のイザークみたいにね。そういうのをサポートできないのは私の力不足だけど……」
「でも汎用依頼にはちゃんとデータがある。それをわかってるからギルドは“初心者向け”として勧めるの。……もしカーラが必要な準備を自分で考えていれば、そんなこと言われなかったはず」
カーラは視線を落とした。
正論だと頭ではわかっている。だが、すぐに受け止められるほど心は強くなかった。
悔しさと情けなさが胸でぐちゃぐちゃに混ざる。
“ただ一緒にいたい”――その思いだけでは足りない現実を、今さら突きつけられるとは思ってもみなかった。
エリーは静かに続ける。
声は冷たくなく、むしろ温かさを押し殺していた。
「私だってイザークが怪我するのは嫌。カーラも同じでしょ? でも冒険者は命の危険と切り離せない。だから少しでも安全にするために、私たちは考えて動くの」
カーラは返事をしなかった。
何を言っても今は、自分の弱さを曝け出すだけになるとわかっていた。
沈黙の中、遠くから荷馬車の車輪が転がる音が聞こえる。
それがやけに遠く感じられた。
やがてエリーが、ため息をひとつつく。
「……カーラ、私は友達だよ。でも友達だからこそ、甘やかすだけじゃ駄目だと思ってる」
その言葉は、ゆっくりと胸に沈んでいく。
悔しさが涙腺を刺激するが、ここで泣いても何も変わらない――それだけはわかっていた。
「おーい! エリー!」
「イザーク!」
エリーは声の方へ駆けていき、カーラは少し遅れて後を追った。
#
「なるほど……。明らかに上位存在がいるね」
イザークたちからの報告を受け、エリーが低く呟く。
「ホブゴブリンやシャーマンを前に置く……。別の魔物がゴブリンを縄張りに組み込んだと考えるのが自然ね」
「だから早く手を打たないと致命的になる……か」
現状を確認するため、フィギルも話に加わる。
「今、戦闘可能なのは私兵15人と、冒険者は君たちを抜いて13名ほど。これでやれるか?」
「――そうですね」
エリーは情報を整理し、慎重に答えを探す。
ゴブリン部隊より上位の正体不明の魔物がいる可能性――
不安を煽りたくはないが、戦力は多い方がいい。
しかし。
「――私兵の皆さんと冒険者で外のゴブリン部隊を抑え、その奥の魔物をイザークたちが討伐する。……それなら可能かもしれません」
「いいな、それ! おもしろそうだ!」
イザークが笑い、ウルとオニクもつられて笑う。
だがエリーは真顔で釘を刺す。
「でも失敗はできない。巣を刺激すれば村へ襲撃してくる可能性もある」
「そうなれば被害は広がり、結局バルナバから冒険者を呼ぶことになる――か」
「はい。だからこそ、万全を期すなら今すぐ人を募るべきです」
フィギルは腕を組み、少し考える。
「――きみはどう思う?」
アイオンは少し間を置き――
「……カーラさん」
「え? 私?」
「言ったでしょ? 状況判断も任せるって」
「そ、そうだけど、領主様からの質問だぞ?」
「冒険者が貴族や王族に畏まる必要はないです。俺はそう教わりました」
フィギルはその言葉に、赤髪のライアを思い出す。
ジーナ王女に向かって、同じことを言い放った彼女を。
「えーっと、エリー! アイオンが参加する場合は?」
「貴重な戦力が増えるわね」
「フィギル子爵! 私兵の練度は? ゴブリン相手なら問題ないんですか?」
「……ミリオン」
フィギルは私兵長を呼ぶ。
「ゴブリン程度なら彼等で抑えられます。上位種は私が」
「お前がイザークたちと共闘するのは?」
「数の多い敵を抑える方が得意ですし、最後の壁にもなれます」
「というわけで、彼が入口で待機し、万一の時は入口ごと塞ぐ」
「イザークたちごと?」
エリーが鋭く見やるが、フィギルは怯まない。
「時間が経過すればそうなる。タイムリミットは決めておくべきだ」
「……侵入するのはイザーク、ウル、オニク、アイオンの四人。内部は不明だけど、少数精鋭で一気に終わらせる」
「洞窟内にゴブリンがいたら?」
「まず外の部隊を排除する。異変に気づけば中からも出てくるはず」
「奥の魔物が出てきた場合は?」
「それならそれで好都合。全員で叩ける」
「わかった。内部侵入から半日、または失敗して彼等が脱出したら入口を封鎖する。それでいいか?」
「私は――」
エリーはカーラを見る。
「わ、私も」
カーラは少し震えながらも同意した。
「では明日早朝に決行だ。今のうちに準備し、深夜に出発する」
「緊急依頼ですよね? 報酬は割高になりますよ」
「わかってる。最低でも侵入組には前金1,000G払う。奥の魔物は不明だから成功報酬は後決めだ」
「一人1,500Gにしてください」
「……わかった。ミリオン」
「は、既に」
依頼書がエリーとカーラに渡され、やり取りが整理されていた。
「確かに」
「では私は外れる。ミリオン、私兵への説明は任せる! 私は冒険者を集める!」
フィギルとミリオンは足早に去った。
「ふぅ〜。とりあえず最低限ってとこね」
エリーはオニクを見る。
「まだまだだね。侵入組の危険性を理由に、一人2,000Gまではいけた」
「無理でしょ。中がただのゴブリンでしたーって可能性もあるのに」
「だからこそだよ。不確定な時こそ言い分を通せる。向こうは外に広めたくないって弱みがある。僕たちが拒否すれば現戦力じゃ対処不能。それを突きなよ」
エリーがぐぬぬと唸ると、イザークが肩を軽く叩く。
「十分だよ十分! エリーがオニクみたいな皮肉屋になっても困るしな!」
ウルも笑う。
「ははっ! 違いない! 嫌味な奴はこれ以上いらん!」
「……悪かったね、皮肉屋で嫌味な奴で」
オニクはふてくされたように本を開き、三人はそれを面白がる。
「凄いな、エリーは……」
カーラが小さく呟く。
アイオンはそっとその肩に手を置いた。
「カーラさんも、よくやりましたよ」
その言葉は嬉しくもあり、同時に胸に重く響いた。
自分は今、確実にアイオンを危険な依頼に送り出すことになった。
その不安が襲ってきた。
(サポート役ってこんなに責任が重いのかよ……。本当に初心者じゃ無理じゃん)
『カーラさん、正直に言いますね。あなたには経験がありません。単に同じ村の出身というだけでは、彼――アイオンさんのサポートを任せるには役不足です』
あの日のメリッサの言葉が、重く重くのしかかる。
自分の判断の正しさが、まったく信用できなかった。




