再会
朝霧がまだ地を這う頃、カルララ村の簡素な門の前には、二台の荷馬車が並んでいた。
先頭は、積荷の上に若い冒険者三人が腰掛けた荷馬車。
その後ろに、バサンの荷馬車が控え、そばにはアイオンとカーラの姿がある。
バサンはもう一人の御者と行程を確認し終えると、こちらに振り返って声をかけた。
「よし、準備は万端だ。開拓地まではそう遠くねぇが、道は荒れてる。魔物には気をつけるぞ」
「はい。お願いしますね、バサンさん」
アイオンが軽く頭を下げると、バサンは鼻を鳴らして照れたように笑った。
「おうともよ! ま、魔物が出てもお前さんがいりゃ心強いけどな。な?」
カーラも小さく頷く。
「うん。でも、出ないに越したことはないよ」
「はっ、そりゃ無理ってもんだ。よし、出発だ!」
バサンが御者席に乗り込み、馬の首を軽く叩く。
カーラは荷台に乗り、木の車輪がギィと音を立てて動き出す。
アイオンは荷馬車の横を歩き、周囲を警戒していた。
「お前さんも乗って構わねぇぞ? 荷は軽いし、負担でもねぇ」
「いえ、歩きます。お気遣いなく」
そう言いながら、アイオンは身体強化を使い歩を進めていた。
座っていても鍛錬はできるが、動きながらの方がより効果的だ。
繊細なコントロールが必要な身体強化では、わずかなズレが大きな乱れを生む。
時間を無駄にはしたくなかった。
そんなやり取りの最中、前の荷馬車から茶髪の青年が振り返る。
「おーい、そっちの二人は冒険者だろ? よろしくな!」
「はい、よろしくお願いします」
荷台の端に腰掛けた背の低い冒険者が笑う。
「いやー安心したよ。俺たち、この先に行くの初めてなんだ」
カーラが興味を示す。
「私たちもだけど、危ない場所なの?」
「いや、危ないってほどじゃないけど……俺らの腕じゃ不安でさ。まだ駆け出しだし」
長身の男が苦笑する。
「でも、Cランクの人が一緒なら心強い。あんただろ? 噂の新人でCランクの人って」
「噂?」
アイオンが首を傾げると、茶髪の青年がニヤリと笑った。
「“オルババ村から来た大型新人”って、冒険者たちの間じゃ有名だぜ?
それに、あのオルド支部長が認めたって話もあってな」
アイオンは小さくため息をつく。
「過大評価です。まだ冒険者の基礎も知りません。不手際があれば申し訳ない」
「ははっ! 気にすんなよ。俺はジック、背の低いのがムスカ、でかいのがハルクだ。よろしくな!」
「「よろしくー!」」
「俺はアイオン、彼女はカーラです。よろしくお願いします」
「よろしくー!」
満足げに笑ったジックが前方を向く。
カーラがバサンに視線を向ける。
「登録時にCランクって、やっぱ珍しいんだな?」
「そりゃそうだ。俺が知ってる限りだと、“瞬迅”がワイバーン倒してBランクスタートってのが最高記録だな。
あとは……“雪月花”くらいか」
「“瞬迅”に“雪月花”…かっこいい!」
「今の冒険者ギルドの看板だな。前は“雷轟”の一強だったが、時代は変わった」
「“雷轟”…昔の最強の冒険者ですよね? どれくらい前です?」
「最後に話題になったのは、“瞬迅”との一騎打ちだな。
それから姿を消して……もう10年くらい前か」
「一騎打ちですか……」
バサンは懐かしそうに目を細める。
「ああ、瞬迅が勝ったって話さ。雷轟はその後、隠居したらしい」
「そうですか……。ヘルケイル山ってご存知ですか?」
「ああ、自由経済国家にあるワイバーンの巣だな」
「自由経済国家?」
バサンは呆れたようにため息をついた。
「お前、知らねぇのか。今いるのがローズレッド王国、南の平原の先がバルガ帝国、
東の山脈の先がククルス自由経済国家、北の海にカイバル海上国だ」
初めて聞く他国の名だった。
女神から授かった知識にもなかった情報だ。
国名って基礎知識じゃないのか?
「へぇ。その四つが主要国家なんですね」
「ああ。他にも小国や亜人の国はあるが、人間の国としてはその四つだ。
このローズレッド王国は、その中でも一番新しい」
カーラが感心したように言う。
「ずいぶん詳しいね?」
「昔は世界を旅するのが夢だったんだよ。今は世情に疎いが、戦争もねぇし、旅するにはいい時代だ。……俺も若ければな」
そう言ってから、咳払いで話を戻す。
「で、Cランクスタートは珍しいって話だが……雪月花以来じゃねぇかな。あの子は15で登録してCランクだった」
「今はその人、何歳なんです?」
「確か――19か20くらいだな」
(雪月花……氷の魔法とか使うのかな)
アイオンは心の中で呟き、歩を進める。
荷馬車の上では、たわいもない会話が続いていた。
#
道は整備されていなかったが、途中の仮設休憩所で休みながら進む。
魔物に遭遇することもあったが、すべてEランク程度で駆け出し組が処理した。
弱い魔物は駆け出しに譲るのが上のランクの暗黙のルールらしく、アイオンも素直に譲った。
やがて木々の切れ間から、開けた土地が見えてくる。
名もなき開拓地――目的地はもうすぐだ。
#
夕日を背に、馬車は新しい村の外周を回り込むように進む。
整地された土の上に、真新しい木柵と簡素な門が建てられていた。
門脇の仮設詰所には、槍を持った男が二人立っている。
「おお! もう門までできてるじゃねぇか」
感心したようにバサンが笑う。
先頭の荷馬車が門前で止まり、門番とやり取りをして中へ。
次にバサンの荷馬車が進む。
「止まれ、要件を」
「運び屋のバサンだ。荷は生活物資と工具、ギルドからの依頼で運んできた」
身分を伝えて書類を渡す。
「そちらの同行者は?」
「護衛兼同行者です。同じくギルドの依頼で来ました」
アイオンがカーラに目配せし、カーラが書類を提示する。
確認した門番は軽く頷き、書類を返した。
「入っていい。ただし、日が暮れたら外に出るな」
「なんでだ?」
「……そのうちわかる。受け渡しはこの先の倉庫だ。責任者に書類ごと渡せ」
「はいよ」
首を傾げながらも、荷馬車は進む。
門をくぐると、土道が左右に伸び、両脇には建ちかけの家々。
中央付近には井戸が二つあり、家々の間には石で蓋をされた細い溝――下水が通っている。
(下水も完成してる? オルババ村でもそうだったけど、随分便利だな……)
オルババ村の下水は簡易ながら水洗式で、汚水は地下を通り川へ流れる。
下水道内にはスライムがいて、汚れを食べるため清潔さも保たれていた。
(年数回の点検だけで稼働し続ける。こんな辺境の土地でさえそのシステム……都合が良すぎる)
疑問を抱きつつ、村の中を進む。
「ここが広場で村の中心だな。宿屋予定地や道具屋もある。あっちが民家、奥が倉庫……逆側は山に繋がってるな。鉱山でもあったのか?」
カーラが目を輝かせる。
「すごいな。普通に村だ」
「ですね。……でも、これだけ整ってるならもう住めそうなのに、なんで移民達を誘導しないんでしょうか?」
「言われればそうだな。なんでだ?」
疑問を抱いたまま、荷馬車は倉庫へ。
近づくにつれ人が増えたが、皆、顔色は暗かった。
倉庫の大きな屋根が視界に入り、その周囲に集まる多くの人影が見えてきた。
出入りする兵士や冒険者、その間を縫うように行商人たちが荷車を並べて商売をしている。
夕陽に照らされた光景は活気に満ちており、鉄鍋や干し肉の匂いが風に混じって漂ってきた。
その中に――
「あれ? まさか!? アイオンさーん!」
甲高い声にカーラが反応し、顔を向ける。
瞬間、彼女の瞳がぱっと明るくなった。
続けてアイオンも、その声の主に気づく。
「「ケニーさん!?」」
それは、オルババ村によく訪れていた行商人ケニーとの再会だった。
「知り合いか?」
バサンが訝しげに眉を寄せ、カーラへ視線を向ける。
「うん。オルババ村によく来て商売してた行商人の人」
「なるほど……。開拓地は物が入り用になる。鼻の利く商人は商売のチャンスを逃さない、か」
ケニーは兵士への接客を切り上げると、懐かしい顔を見つけた喜びからか、足早にこちらへ駆け寄ってきた。
「やっぱりアイオンさんだ! カーラさんも、お久しぶりですね!
なぜここに? オルババ村からの派遣はまだされないって話でしたが」
息を弾ませながらも、不思議そうに問いかけてくるケニー。
「村から離れまして。冒険者になったんですよ」
「おぉ! それはそれは! なるほど〜」
ケニーは手をもみもみしながら満面の笑みを浮かべる。
その仕草を横目に、バサンは長年の経験からくる目つきで、どこか胡散臭い商人を値踏みするように見ていた。
「ケニーさんは商売ですよね?」
「それはもちろん! 商人は足の速さが生命線!
何人か雇ってここまで来ましたが……いやはや、参りましたよ」
「参った? 売れてないんですか?」
「いえいえ! 商いは問題ないんですが……護衛を任せた冒険者が怪我をしましたね」
「怪我? 魔物にでも襲われたのか?」
バサンが腕を組みながら問いかける。
「うん? あぁ、そうです。襲われた。というか、緊急依頼が出ましてね。
それに参加したら、怪我を」
「緊急依頼? いったい何が?」
ケニーは少し声を潜め、周囲を確認してから続ける。
「それがですねぇ……ここ、近くに鉱山がありましてね。
それを仕事にしていくって事で森の伐採範囲を広げたんですよ。
そしたら、予想外な魔物の巣を見つけてね。
それを壊さなきゃ進めないってんで、フィギル子爵が緊急依頼を出したんでさぁ。
ですが思ったより魔物の数がいて、怪我人が多発。
本来なら移民の移動を始めて、街道の整備をする予定だったんですが……止まってしまったんです」
「子爵もいるのか? ここに?」
バサンは怪しみながら尋ねる。
ケニーは気にもせずに答える。
「ええ。倉庫の中にいますよ」
「なんの魔物の巣なんです?」
続けてアイオンが尋ねる。
「それがですねぇ……ゴブリンなんですよ」
「ゴブリン? ここの冒険者と兵士じゃ無理だったんですか?」
「そりゃ、ここに護衛で来るのはEやDランク。
フィギル様の私兵はそこそこの腕がありますが、それでもミリオンさん以外は――ってレベルです。
数が多い上に、ただのゴブリンじゃなく、上位種も確認されてます」
「上位種?」
カーラが思わず問い返す。
「上位種って言っても……ゴブリンだろ?」
「それはそうですが、数が多い上に頭を使ってるんですよ、あいつら。
他の魔物と共存して行動してる。
この地方で見ない魔物が現れたでしょ? それに負けないように防衛本能が働いたんじゃないですかね?」
「なるほど。今は待機中ですか?」
「ええ。一組、優秀なパーティが巣を確認してます。
それが戻り次第、増援を待って駆逐する形になるでしょうね」
「優秀なパーティ? 誰だ?」
「お二人は知ってるでしょうが、イザーク一行ですよ」
「イザーク達もいるの?」
カーラが尋ねる。
「はい。倉庫にはエリーさんがいます。彼女、裏方になったんですね」
「アイオン! 私たちも行こう! 力になれるかも!」
「そうですね」
「お気をつけて! 入り用なら教えてください!」
軽く手を振ってケニーと別れ、荷馬車は倉庫の方へと進む。
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その入口付近、人の波の中に、見覚えのある顔があった。
互いに距離を詰め、視線が重なった瞬間、空気がわずかに張り詰める。
「――きみは」
「お久しぶりですね。フィギル子爵様」
かつて、自身の破滅を阻止した少年との再会に、フィギルは唇の端を緩めて微笑む。
「きみが現れてくれるとは、女神様の祝福かな?」
「本当にやめてもらっていいですか?縁起でもないので」
「カーラ! なんでここに?」
「久しぶりだなエリー! 依頼だよ依頼!」
カーラとエリーは抱き合い、互いの無事を確かめた。
――それぞれが、少しの再会を果たした。




