少しの懐かしさ
休憩所を発って半日。森を抜けると、ようやく開けた土地が見えた。
「……あれが、カルララ村?」
荷馬車の上から、カーラが目を細めて村の方を見やった。
石造りの家々に、乾いた風に靡く洗濯物。小さな露店が二つ、三つ。
そのそばを、子どもたちが元気よく駆けていく。
「人も建物も、オルババ村より多いんだね。……でも、懐かしいな。――村って感じがする」
彼女はぽつりと呟き、荷馬車の縁に肘をついて景色に見入った。
馬を引くバサンが笑う。
「はは、この辺じゃ『他領へ行く前に寄っとくか?』って村だな。けど、最近は食い物も物資も揃ってきてるし、泊まる場所にも困らねぇ。フィギル地方じゃ一番“都会寄り”だから、移民も定着しやすいんだとよ。その分、揉め事も増えたが……まあ、私兵がばっちり抑えてる」
「じゃあ、もう安心ってことね」
「だが、油断はするなよ。どこにでも厄介者はいるもんだ」
バサンの言葉に、カーラは曖昧に頷いた。
そばを歩くアイオンが彼女を一瞥したが、言葉はかけなかった。
村の入り口が近づくと、門の前に立っていた若い門番が手を上げて合図した。
「ようこそ、カルララへ! バルナバからの物資輸送ですか?」
「ああ、そうだ」
バサンが書類を見せ、簡単なやり取りを交わしたあと、馬車はカルララ村の中へとゆっくりと入っていく。
道幅はそれほど広くないが、しっかりと整備されている。
左右に並ぶ家々は粗削りながらも頑丈な石造りで、軒先に干された薬草や、水場に向かう住民たちの姿が村の日常を感じさせた。
「……オルババ村より、ちゃんとしてる」
カーラがぽつりと呟く。
その声には、懐かしさの奥にわずかな緊張が滲んでいた。
「ここは若い連中の受け入れを積極的にやってる。整備にも金をかけてるんだろうな」
バサンが軽く肩をすくめ、馬車を軽く叩いて進ませた。
アイオンは荷の上から、通りすがりの子どもたちや露店の並ぶ様子を眺めながら、手綱を引くバサンの背中に声をかけた。
「まずは搬入ですね?」
「ああ。受取先は資材管理場だ。そこで荷を下ろして、明日分の荷を積む。それで今日の仕事は終わりだ。宿泊場は、私兵たちと同じところになる」
バサンの言葉に、カーラが小さく頷いた。
「なら、早く渡しに行こう」
アイオンはちらりとカーラに目をやる。
バルナバを出てからずっと、彼女は何かを気にしているようだった。
――何か、あったのか?
そう思いかけたとき、馬車がやや広めの広場へと出た。
中央には石を積んだ小さな井戸があり、その周囲にはいくつかの露店が並んでいる。
果物、干し肉、布地……それほど数は多くないが、旅人を迎えるには十分な賑わいだった。
「ここが村の中心ってところだな。資材管理場はこの奥だ」
カーラは荷台から飛び降りた。
地面に足をつけた瞬間、旅の疲れがどっと押し寄せる。
土の匂いと、風に乗って届く干し草の香り。どこか懐かしく、優しい空気だった。
「やっぱり、こういう風景っていいですね。なんだか懐かしい……まだオルババ村を出て少ししか経ってないのに」
「お前も懐かしいと思ってたのか。意外だな」
カーラは柔らかく笑った。
――けれど、その笑顔の奥には少し無理が見えた。
すぐ背後で、バサンがくつくつと笑い声を漏らす。
「よし、もう少し行くぞー!」
からかうような口ぶりで言いながら、荷馬車を進ませた。
日差しは柔らかく、風も心地よい。秋の気配が、少しずつ村全体を包み始めていた。
#
資材管理場は広場の奥にあった。
木造の倉庫がいくつも立ち並び、出入りする人の姿が絶えない。
台車を押す者、帳簿をめくる者、額に汗をにじませながら資材を運ぶ若者たち――あたりには金属のぶつかり合う重たい音が響いていた。
「思ったより人が動いてるな。ちょっと時間かかるかもな」
馬を引きながら、バサンが倉庫のひとつに目をやる。
屋根に掲げられた看板には『第三区資材管理所』の文字。
積まれた木箱や工具ケース、束ねられた鉄材には、識別記号の焼印が押されている。
荷馬車が倉庫の脇に停まると、帳簿を抱えた中年の職員がこちらへやってきた。
「バルナバからか?」
「ああ。ここで間違いないか?」
バサンが書類を手渡すと、職員はざっと目を通し、頷いた。
「合ってる。三番倉庫の前に荷を下ろしてくれ。中身の確認はこちらでやる」
「了解。おい、二人とも、手ぇ貸してくれ」
「はい」
アイオンは黙って馬車の後ろに回り、分厚い布で覆われた荷を解き始めた。
中から姿を現したのは、工具を詰めた金属箱、補強用の金具、そしてずっしりとした木箱――どれも素人には扱いづらそうな物ばかりだ。
「またこれか……」
カーラが小さく漏らしながらも、ひとつの箱に手をかける。
「無理しないで。軽そうなのをお願いします」
アイオンが手早く横から箱を受け取り、そのまま倉庫の前へと運んでいく。
カーラは工具袋や仕分け品の確認、積み重ねのバランス調整など、軽作業を引き受けた。
手際は良く、すぐに作業の流れをつかんでいった。
しばらくして、馬車の荷はすべて下ろされ、周囲に響くのは金属音と作業の掛け声だけとなった。
「ふぅ、やっと終わったか……」
バサンが首筋の汗をぬぐったところへ、さきほどの職員が戻ってくる。
「次は開拓地向けの搬送だな。第四倉庫の裏手で準備してある。案内するよ」
「おう、助かる」
三人は馬車を引いて裏手の資材置き場へ回った。
そこには鉄材、工具、組み立て用の足場パーツ、石材補修用のモルタル袋など、現場作業向けの資材がずらりと揃っている。
「これ、一度に運ぶの? ……無理じゃない?」
「そんなわけあるか。こういうのは初心者向けの仕事だから分散して運ぶんだ。俺たちは一回運べば終わり。何往復もしてるパーティもいるさ。移民の輸送を護衛してるEランク冒険者とかもな」
バサンの説明に、カーラが思わずため息をつく。
言われれば納得できるのに、なぜか自分では考えが及ばなかった。
「明朝、別の開拓地行きの班と一緒に出発する手筈です。積み込みは今夜中にお願いします」
職員の言葉に、バサンは肩を回しながら笑った。
「わかってるって。急ぐさ」
積み込み作業が始まる。
重い資材を抱えるアイオンの動きは、力強くも慎重で、金具の位置や箱の重心を見極めながら安定よく積んでいく。
カーラは部品のチェックや緩衝材の詰め込みを担当し、振動に耐えるよう工夫を凝らしていた。
日が傾き、倉庫の影が長く伸びはじめた頃、ようやく積み込みはすべて完了した。
「よし、完了っと! もう一回は勘弁だな」
「私、明日……腕が動くか不安」
「ははっ、そう言うなって。今夜はちゃんとした寝床がある。それだけでもありがたいだろ? さあ、宿舎に向かうぞ!」
バサンが気だるげに笑い、三人は荷馬車を引いて夕暮れの村へと再び歩き出した。
カルララ村の空はすっかりオレンジ色に染まり、道には長い影が伸びていた。
#
簡易宿舎の食堂は、石造りの広間だった。
壁沿いに据えられた長椅子と粗削りのテーブル。
中央の炉には赤々と炎が揺れ、暖かな光と香ばしい匂いを広げている。
中ではすでに何人かの旅人や私兵たちが席についており、湯気を立てる皿を前に静かに食事をとっていた。
「ふわぁ……いい匂い……」
カーラが思わず顔をほころばせる。
香ばしいパンの香り、煮込まれた根菜と肉の甘い匂いが、空腹を刺激してくる。
「二人分、お願いします」
配膳口に声をかけたアイオンに、無言で給仕の女性が皿を差し出す。
大ぶりの具が浮かぶシチュー、塩気の効いた黒パン、そして浅く盛られた麦のサラダ。
「今夜の配給よ。追加はないから、食べ終わったら皿は戻してね」
「ありがとうございます」
アイオンが皿を受け取り、カーラにひとつ手渡す。
彼女は嬉しそうにそれを受け取り、近くの空いた席に腰を下ろした。
「……あぁ、もう、これだけで生き返る……」
「干し肉や乾パンとは違いますからね」
「ほんとそれ。旅の楽しみは宿の食事だって言ってたイザークの気持ち、ちょっとわかった気がする」
そう言いながら、カーラはスプーンでシチューをすくい、口に運んだ。
「!」
一口含んだ瞬間、カーラの肩がぴくりと震えた。
「美味しい……ちゃんと煮込まれてる……味が染みてる……!」
「携帯食料と比べたら、天国ですね」
アイオンもシチューを口にし、思わず目を細める。
「うん……イザークさんの言う通りかも」
「でしょ?」
カーラは得意げに鼻を鳴らした。
「バルナバを出てから、ずっと硬くてしょっぱいのばっかりだったもんね。これはご褒美だよ……」
「俺はもう慣れました。おかげで顎だけは鍛えられましたよ」
「私はまだまだ、だなぁ……」
そう言いかけて、カーラはふとスプーンを止めた。
「……でも、これが“いつもの食事”って人もいるんだよね。考えてみたら、贅沢言ってたかも」
「かもしれません。でも、今は素直に味わいましょう」
アイオンの言葉に、カーラは少し驚いたように目を見開き、すぐに柔らかく笑った。
「うん、そうする」
テーブルの上では、パンをちぎる音と、木の皿にスプーンが触れる音だけが静かに響いていた。
炉の火がぱちりと音を立て、外の空はいつの間にか深い藍色に染まっていた。
「そういえば……バサンさんは?」
カーラがふと思い出したように問いかける。
「ああ。さっき、広場の屋台で食べるって言ってました。顔なじみに近況でも聞くとか」
「うん、あの人、屋外のほうが似合うしね。炉端より焚き火が好きそう」
「確かに」
アイオンは苦笑する。カーラもそれに釣られて、ふっと笑った。
「……明日には開拓地だね」
「ええ。無事に終わればいいんですが」
カーラは、そっと頷いた。
#
木造の簡素な部屋。寝台がふたつ、窓の外には虫の音が静かに響いている。
遠くで焚き火の明かりがちらちらと揺れていた。
部屋の隅で剣の手入れをしていたアイオンがふと顔を上げた。
カーラが隣の寝台に腰かけ、ぼんやりと窓の外を眺めているのが目に入った。
「……なにか、悩みでも?」
その問いに、カーラは少し目を見開いたが、すぐに小さく首を振った。
「んーん。そういうんじゃない。ただ……考えごと、してただけ」
「そうですか。でも、カーラさんが静かだと、逆に心配になりますよ」
「……私にだって黙りたい時くらいあるよ」
そう言って口を尖らせるが、すぐにふっと笑みがこぼれる。
視線を窓に戻したまま、彼女はぽつりとつぶやいた。
「なあ、アイオン……。私って、足手まといかな?」
アイオンは少しだけ手を止めた。刃を拭く布を置き、カーラの方をまっすぐ見る。
「最初は誰でも戸惑うものです。だから……評価するのは今じゃない。でも――」
「……でも?」
「カーラさんがいたおかげで、助かったこともあります。
少なくとも、バサンさんとずっと二人きりだったら、道中、酷く退屈だったと思います」
カーラは小さく吹き出し、寝台の上にごろりと横になった。
「お前って、ほんと他人に興味ないよな! 私が間に入らなきゃ、会話にならないじゃん」
「人付き合いは任せますよ。それに、経験を積めば依頼の見極めもできるようになります。勉強して失敗してください。それを糧にしていきましょう」
「うん……そう、だな」
「?」
「――私、なんか、自分のことばっか考えてたなって。子どもだったなぁって。今ごろになって、ちょっとだけ思った」
アイオンは何も言わなかった。ただ立ち上がり、窓を閉め、蝋燭に息を吹きかける。
「もう寝ましょう。明日も早いです」
「……うん」
その微笑みを、窓越しの月明かりが静かに照らしていた。




