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カルララへ

ギルドを出ると、陽は西に傾き始めていた。

昼の喧騒はまだ残っているが、街の空気には夕暮れの色が混じり始めている。


「南の倉庫、でしたね」


「うん。……積み込みって、どのくらいあるんだろ」


「工具と資材って書いてましたから、それなりに多いかもしれませんね」


二人は人通りの多い大通りを抜け、南端の倉庫街へと歩を進める。


道すがら、屋台から漂う焼き肉の香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

カーラの腹が小さく鳴り、思わず肩をすくめる。


(そういえば、朝からほとんど何も食べてないや)


カーラは唇を尖らせた。

でも、声には出さない。

――弱音なんて吐きたくない。


倉庫に着くと、幾つもの木箱と麻袋が整然と積まれていた。

荷札には「カルララ行き」と赤い印。

係員の男が無精ひげを撫でながら顔を上げる。


「運搬依頼か?」


「はい。ギルドから派遣されました、アイオンとカーラです」


「おう、聞いてる。荷馬車は裏手だ。……荷物の積み込みは今やってる。結構あるが、終わらせるさ」


言われた通りに裏手に回ると、頑丈そうな荷馬車が一台、どっしりと待っていた。

ただ、馬の姿はない。


「馬は?」


「手配してある。朝には繋いで、門まで運んで御者に渡すよ」


「なるほど……」


アイオンは小さく頷き、カーラに視線を向ける。


「やりますか」


「うん!」


カーラは息を吸い込み、木箱に手をかけた。

――が、想像以上の重みが腕にのしかかる。指先が震え、腰に鈍い痛みが走った。


「ああ? お前らは運搬だぞ? 積み込みは俺の仕事だ」


係員は慌てて止めに入る。


「お、重いけど……手伝うよ!」


(なにこれ……石でも入ってるの!?)


「大丈夫ですか?」


アイオンが振り返る。声は落ち着いている。


「だ、大丈夫! これくらい!」


無理やり笑い、木箱を押し上げた。

木が軋む音が耳に刺さる。腕はもう限界に近い。


――悔しさが胸の奥に広がった。

やっぱり私、力も足りない……全部、足りないじゃん……!


それでも、アイオンは何も言わず、黙々と荷を積み込んでいく。

迷いも戸惑いもない動き。その背中は頼もしくて、そして――遠い。


(……役に立たないよな、私)


カーラは奥歯を噛みしめた。

夕陽の光が二人の影を長く伸ばしていく。



宿に戻った頃には、陽はすっかり落ちていた。

夕食を終え、二人は明日の準備を確認する。

木枠の窓の外には、深い群青の夜空と瞬く星々が広がっていた。


「明日は今日より早いですね。夜明け前に出発です」


「うん……」


カーラはベッドに腰を下ろし、ふと窓の外に目をやる。


(絶対、追いつく。どんなに遠くても)


胸の奥でそっと誓いを立て、カーラは拳を握りしめる。


一方、アイオンは窓辺に立ち、夜風を受けていた。

星明かりが横顔を照らし、その瞳には静かな強さが宿っている。


(カルララ、その先にある開拓地……どっちも未知の場所だ)


自分が見る世界を広げる分だけ、クソ女神の見る世界も広がる。

――それは、ほんの少しだけ嬉しかった。


月の光が二人を包み、夜は静かに更けていく。



朝焼けが東の空を染めるころ、バルナバの門前には一台の荷馬車が停まっていた。


幌のかかった荷台には木箱や麻袋がぎっしり積まれ、縄でしっかりと固定されている。

その横で、肩幅の広い男が馬のたてがみを撫でていた。


「すみません。カルララ村行きの依頼を受けた方ですか?」


声をかけると、男が顔を上げる。

黒い髭を短く刈り込んだ、四十前後の屈強な体つきだ。


「おう、あんたらが護衛の冒険者だな?」


「はい。アイオンと――」


「カーラ!」


カーラが横から割り込むように名乗る。

少し緊張した声だったが、笑顔だけは崩さなかった。


「そうかそうか。俺はバサンだ。……にしても、若いな。まあよろしく頼むぜ」


バサンは白い歯を見せて笑い、馬の背を軽く叩いた。


「積み荷は十箱、中身は工具と保存食だ。壊れやすいもんはないが、落とすと厄介だな。護衛っていっても、せいぜい魔物がちょっと出るくらいだと思う。たぶん、な」


最後に笑ったが、目の奥に油断はない。

場数を踏んだ運搬人の視線だった。


「了解です。川沿いを北に抜けて、途中から西ですよね?」


アイオンの確認に、バサンはうなずく。


「おう。カルララまで二日、夜は途中の小屋で野営だ。それと……あんたら、新しい村の予定地にも行くんだったな?」


「はい。依頼にそうありました」


「そこも俺が乗せることになってる。しばらく一緒だな。ま、安全第一でいこうや」


そう言ってバサンは笑みを浮かべ、手を差し出す。

アイオンはその手を握り、力強い感触を返した。


「じゃ、出発だ。乗ってくか? それとも歩くか?」


「俺は歩きます。馬に負担をかけたくないので」


アイオンは迷わず答える。

カーラは一瞬ためらったが、バサンが肩をすくめて言った。


「嬢ちゃんは乗っていいぞ? 荷台は固いけどな」


「……乗らない! 私も歩く!」


きっぱり答えるカーラに、アイオンが小さく笑った。


「じゃあ、並んで歩きましょう」


「う、うん!」


その様子を見て、バサンは不安げに心の中でつぶやく。


(……おいおい、なんだこいつら。駆け出し冒険者カップルか? 本当に大丈夫かよ。魔物も出るんだぞ?)


馬のいななきとともに、荷馬車はゆっくりと動き出す。

バルナバの壁が遠ざかり、広い街道が北へと伸びていく。

朝の冷たい風が二人の頬を撫で、旅の始まりを告げていた。



荷馬車の車輪が、乾いた街道をきしませながら進んでいく。

太陽が高く昇ったころ、一行は街道沿いの休憩所にたどり着いた。


広場の中央には木造の東屋と井戸、簡易ベンチが並び、その周りには屋台や旅商人が荷を広げている。

干し肉や水袋、少し傷んだ果物が並ぶ台の前で、人々の声が飛び交っていた。


「ここも結構、賑やかだな」


カーラが思わずつぶやく。

彼女の視線の先には、旅人や冒険者に混じって、子どもを連れた移民らしき人々の姿があった。

擦り切れた服、疲れた顔――それでも、どこか安堵した笑みを浮かべている。


「ここ、昔は何もない道だったんだぜ」


荷馬車を止めて水を飲みながら、バサンが言う。


「最近になってフィギル子爵が街道を整備してな、こういう休憩所を置いたんだ。安全対策だとよ。飯を売る屋台と寝る場所を確保して、私兵に守らせて、野垂れ死にを減らすんだと」


そう言って、バサンはちらりと二人を見る。


「お前らは、この辺りの出身か?」


「はい。オルババ村です」


「お、あそこか! 何回か行ったが……ほんと何もねぇな! まあ、それが一番平和ってやつだ」


バサンは豪快に笑い、馬に水を汲みに行く。

アイオンもその後を追い、手伝いながら周囲を見回していた。


――その時。


「よぉ、嬢ちゃん。見ねぇ顔だな」


ベンチに腰を下ろしたカーラに、影が差した。

顔を上げると、革鎧を着た二人組の男が立っていた。

若いが粗野な顔つきで、腰には安物の短剣がぶら下がっている。


「ひとり旅か? いい度胸じゃねぇか」


「ち、違うし! 私、ひとりじゃ――」


「じゃあ誰と一緒だ? ……ああ、あの馬車のオッサンか? あれじゃ心許ねぇよな」


にやついた笑みとともに、片方の男がカーラの肩に手を伸ばす。


「――やめてもらえますか」


その手が触れる前に、低い声が割って入った。

振り返ると、アイオンが立っていた。


「誰だ、てめぇ?」


「ただの冒険者です。彼女は俺の仲間なんで、その“親切”は必要ありません」


淡々とした口調。だが、その目には一切の迷いがなかった。 一瞬で、男の背筋に冷たいものが走る。


「仲間だと……? ガキがイキがってんじゃ――」


言葉の続きを、男は飲み込んだ。

アイオンの瞳に宿る、鋭い光を見た瞬間――全身が硬直する。

剣を抜かれたわけでもない。それでも、悟ってしまった。


――勝てない。動いた瞬間に殺される。


「……おい、やめとけ。行くぞ」


もう一人が肩を引き、二人は足早に去っていく。

アイオンは追わず、ただ静かに見送った。


「大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫……! あ、ありがとう……」


顔を赤くしたカーラは、唇を噛みしめる。

悔しさと、情けなさと、何か別の感情が胸の奥で渦を巻いていた。


アイオンと共に荷馬車の方へ歩き出す。

遠くでバサンがこちらを見ていたが、声はかけず、苦笑を浮かべるだけだった。


――昼の休憩を終えると、荷馬車は再びカルララへ向けて走り出した。



夕陽が山際に沈み、街道はゆるやかな闇に包まれ始めていた。

一行は二つ目の休憩所にたどり着く。

広めの広場に東屋と焚き火台があり、旅人たちが焚き火を囲んで談笑していた。


「ふぅ。やっと着いたな」


荷馬車を止めながら、バサンが大きく背を伸ばす。


「今日はここで一泊だ。ここも私兵が見張ってくれてる。ありがたいこった」


カーラは周囲を見回した。

昼間立ち寄った休憩所よりも人が多い。


子どもを抱いた母親、背を丸めて休む老人、武器を傍らに置いて腰を下ろす冒険者たち――焚き火の光に照らされた顔は疲れていたが、そこに微かな安堵もにじんでいる。


「これもフィギル子爵の政策だ。前は真っ暗な野営しかなかったからな。今はこうして旅人同士で固まれるし、私兵も巡回してるから馬鹿な奴も出ねぇ」


バサンは腰を下ろし、干し肉を引きちぎりながら笑う。


「魔物に襲われなくてよかったよなぁ。ここんとこ妙な奴らがうろついてるって話だしよ」


「妙な魔物?」


「おう。ロックバードに、森じゃハーピー、アーススパイダーにダスクナーガ……ここらじゃ見なかった連中ばっかだ。――前に王女様の誘拐事件あったろ? あの時にばら撒かれた魔物が繁殖してるって話だ。平和しか取り柄のなかった地方なのによ……でもそのおかげで人が増えたようなもんだし、悩ましい話だぜ」


アイオンは無言で小さく笑い、焚き火のそばに腰を下ろす。

カーラも隣に座ったが、昼間の出来事が胸に引っかかっている。


(……私、何もできなかった)


悔しさが喉に重く残り、言葉が出ない。

そのとき、視界の端に干し肉が差し出された。


「食べないんですか? 体力、落ちますよ」


「……うん。食べる」


カーラはそれを受け取り、かじった。

しょっぱい味が口に広がり、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。


焚き火のぱちぱちという音が夜の静けさに溶け、風が草原を渡って頬を撫でた。

見上げれば、群青の空に星々が瞬いている。


「明日の昼にはカルララだ」


バサンの声が闇の向こうから響く。


「そこで一泊して、その翌日には開拓地までだな。朝早く出りゃ、夜には着く」


「了解です」


アイオンは頷き、腰の双剣に視線を落とす。

――ロックバードとの戦いが脳裏をかすめた。

この道にも、あの類が現れないとは限らない。


(油断はできないな)


月光が草原を銀に染め、星々が静かに見守っている。

アイオンはその光景を見上げ、そっと目を閉じた。


やがて焚き火の温もりに身を委ねながら、眠りの気配が訪れる。

ぱちぱちと弾ける火の音と、遠くで風が唄う音が、夜を満たしていた。



夜が明け、東の空を淡い朱が染めるころ、一行は再び街道を進み始めていた。


澄んだ朝の空気がひやりと肺を満たし、草原の向こうには朝靄の中でカルララの山影がかすかに霞んでいる。


「今日の昼には着くんだよな」


荷台の縁に腰を下ろしながら、カーラが吐く息の白さを見つめてつぶやいた。


昨日からの移動で足が棒になり、今日は素直にアイオンの指示を受け入れ、馬車に乗っている。


御者台で手綱を握るバサンが、肩越しに笑った。


「ああ。昨日みたいに平和ならな! ――最近のこの辺の事情を知ってりゃ、平和すぎて逆に気味悪かったくらいだ」


カーラは視線を横に向ける。

街道脇を、アイオンが歩いていた。


歩幅は大きくないが、一定のリズムで静かに進むその背中に、不思議な安心感がある。


「油断は禁物ですよ」


彼は肩を軽く回し、前方の木立に視線を移した。


「ここから先は森が近い。魔物が出てもおかしくありません」


――その時。


カサッ。


草むらで、乾いた音。

風じゃない。獣の気配だ。


「止まってください」


短く告げると、アイオンはそのまま街道の土を蹴った。

軽やかに荷馬車を追い抜き、気配の方へ――。


灰褐色の影が、茂みを裂いて飛び出した。

牙を剥き、獰猛な光を宿した瞳で一直線に襲いかかってくる。


「グルァッ!」


冷たい朝の空気を裂く咆哮。


「わっ――!」


カーラの声が出るより早く、銀光が弧を描いた。


――ズガァン!


双剣が朝日を弾き、閃光を走らせる。

獣の首が宙に舞い、赤が霜を染めた。


だが、終わりじゃない。

草むらの奥、次の気配――二匹目、三匹目。群れだ。


「まだ来るな…」


アイオンは声を落とし、踏み込んだ。

一歩――風が吹いたように消える。


剣閃が走る。

牙が砕け、肉が裂ける。

回転する斬撃で三匹目を断ち割り、返す刃で二匹目の喉を裂いた。


――すべてが一瞬。


朝靄に血と鉄の匂いが広がる頃には、呻き声はもうなかった。

剣を払って血を落とし、アイオンは淡々と息をつく。


「終わりました」


御者台のバサンが、呆然としたまま笑う。


「お、おい……今の見えたか? いや、見えなかったよな? お前さん、何者だよ……!」


カーラに視線を向け、にやりと笑う。


「お前の連れ、すげぇな! こんな依頼、普通は初心者向けなんだが……明らかに格が違うよな?」


「……ま、まあね」


カーラは胸の奥で誇らしさと、ざわめきを噛み殺した。


アイオンは二人に背を向け、淡々と告げる。


「時間をかけると危険ですが、素材を回収します。……周囲に気配なし、いまのうちに」


しゃがみ込み、獣の牙を丁寧に外していく。

カーラは一瞬ためらったが、やがて荷台から飛び降りた。


「手伝うよ!」


「お願いします。爪を傷つけないように、関節から切ってください」


「わかった」


護身用の短剣を構え、震える手で獣の足に刃を入れる。

生々しい匂いと、まだ温かい毛並み。

胃の奥が重くなる感覚に、唇を噛んだ。


(……これが、アイオンのやってる“仕事”なんだ)


横目に見える彼の横顔は、冷静そのものだった。

恐れも、迷いもない。ただ淡々と――。


カーラは奥歯を噛みしめ、手を止めなかった。

せめて、このくらいは――役に立たなきゃ。


秋の風が、赤い葉をひとひら運んでいく。

二人の手は、その下で血に染まりながら、休むことなく動いていた。

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