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初心者向け

「「かんぱーい!!」」


木製のジョッキが高く打ち鳴らされ、銀の鹿亭の片隅に笑い声が弾けた。


「いやぁ、今日は本当にめでたいな!」


ウルがジョッキを掲げ、アイオンの肩をどんと叩く。


イザークも笑いながら、アイオンを見据えた。

その視線には賞賛と、わずかな悔しさが混じっている。


「おめでとう、アイオン!」


エリーは柔らかく微笑む。隣でカーラは上機嫌に身を乗り出した。


「だよな!? やると思ってたんだ!」


満面の笑みでアイオンの腕を叩く。アイオンは苦笑しながら、ジョッキを傾けた。


「ありがとうございます。……でも、まだ冒険者になっただけです」


静かな声に、決意の色が宿っていた。

イザークが頷き、表情を引き締める。


「で――これからどうするんだ?」


アイオンは少し考え、答えた。


「しばらくはここで過ごして、依頼をこなします」


「そうか」


イザークは笑い、再びジョッキを掲げる。


「なら、俺たちも依頼こなすか! 三人での連携を試さなきゃならんし、エリーのサポートの練習もあるしな」


「うん!」「そうだね」「おう!」


エリーとオニク、ウルも笑顔で応じる。

温かな声と笑いが、酒場の灯に溶けていった。



その賑やかさから遠く離れた場所で、静かな音だけが響いていた。

羽ペンが紙を滑る、乾いた音。


「初登録でCランク。オルド支部長がこの評価を下した――それだけで価値は跳ね上がる。……“雪月花”以来の快挙ね」


涼やかな声で呟き、メリッサは視線を帳簿から外した。

窓の外では、夜の灯が淡く瞬いている。


(この地方には相応しくない。けれど、まだ“初心者”なのは事実)


机上に積まれた依頼書を指先で弾き、彼女は小さく笑った。


(――一足飛びに上げすぎれば潰れるだけ。なら、数件の依頼をこなし、冒険者としての流儀を覚えさせる方がいい)


視線が報告書の白紙に落ちる。

唇の端が、ゆるやかに吊り上がった。


(その過程で――“カーラ”。足枷でしかない子。戦闘力なし、実務経験もなし)


(いずれ思い知るでしょう、自分がどれだけ分不相応な立場なのか)


ペン先が再び、静かに音を立てる。


(そして、自分から離れる。それが一番、角が立たない)


最後に、彼女の瞳が淡く光を帯びた。


(金の卵。潰すわけにはいかない――私の評価を上げるためにも)


静寂の中、羽ペンの音だけが、夜に溶けていった。



翌朝、アイオンとカーラは朝の光を浴びながら、銀行ギルドへと足を運んでいた。


街の中央通りにある建物は、ギルドよりも重厚で、扉には精緻な金の紋章が刻まれている。


「うわぁ……すごい。なんか、緊張するな」


カーラが声を潜め、周囲をきょろきょろと見回した。


中に入ると、白い大理石の床が朝日を反射し、整然と並ぶカウンターの奥では、紺の制服を着た銀行員たちが淡々と業務をこなしている。


「ようこそ、どのような要件で?」


受付の女性職員が柔らかく微笑んだ。


「昨日ランクカードを作ったので、口座も作ろうと」


アイオンがカードを取り出すと、職員は頷き、奥から数枚の書類と小さな魔導装置を持ってきた。


「こちらにお名前と血紋をお願いします。ギルドカードと銀行のシステムを連動させます」


カーラが首をかしげる。


「昨日少し聞いたけど……どういう仕組みなんだ?」


「はい。銀行ギルドでは、冒険者カードを認証キーとして使用できます。血紋で登録された本人以外には反応しないので、盗難や不正利用はほぼ不可能です。もちろん、冒険者以外の方のカードもありますよ」


職員は淡々と、しかし誇らしげに説明を続けた。


「お二人がどこにいても、このカード一枚で資産の引き出しや送金ができます」


「本当に便利ですね」


アイオンは感心しながら書類に名前を記入する。

続いて、昨日と同じように小さな針で指先を刺し、血を落とすと、書類の魔法刻印が淡く光った。


「これで口座開設は完了です。では、入金額をお伺いします」


アイオンは腰袋からゴールドを取り出す。


「400G、お願いします。カーラさんは?」


「えっと……150G預けるね。50Gは持っておく」


カーラは笑って差し出した。

職員は頷き、二人のカードを装置の上に置く。淡い光が瞬き、短い音が鳴った。


「はい、これで口座に反映されました。引き出す際は、魔力認証か血認証をお願いします」


「……毎回血は、ちょっと面倒だなぁ」


カーラは苦笑したが、すぐに笑顔を取り戻した。


「でも便利だな! なんか大人になった気分!」


アイオンはカードを見下ろし、小さく息を吐く。

指先に伝わる冷たさが、また一つ現実を感じさせた。


(仕掛けはよくわからないけど……おそらく、過去の転生者が作ったシステムだろうな。……俺とは違って、前世の記憶を失ってる転生者が)


――自分には到底無理だ。

そんなことを考えながら、銀行ギルドを後にした。



昼下がり、銀行ギルドから冒険者ギルドに戻った二人は、再びホールのざわめきに包まれていた。

掲示板には無数の紙片が貼られ、冒険者たちが群がっている。


「こんなにあるんだな!」


カーラが目を輝かせて、身を乗り出す。


「ほらアイオン、見ろよ! Cランク以上の依頼とかある! これとかいいじゃん!」


アイオンは肩をすくめた。


「決めるのは、カーラさんに任せますよ」

「ほんとか!? じゃあ、これ――」

「お二人とも」


背後から静かな声が落ちた。

振り向くと、メリッサが書類を抱え、涼やかな笑みを浮かべて立っていた。


「依頼を選ぶ前に、ひとつ確認を」


彼女は二人の前にすっと立ち、掲示板を軽く指差す。


「ランクが高いと選択肢は広がりますが、依頼選びはとても重要です。特に初心者なら、なおさら」


カーラは眉をひそめた。


「なんだよ、経験がないから無理だって?」

「そうは言っていません」


メリッサは笑みを崩さず、淡々と続けた。


「ただ、依頼の進め方、報告の仕方、危険の度合いを見極めるには――基礎を覚えるのが先決です」


「基礎なんて、やってりゃ覚えるだろ? アイオンはCランクだぞ? 初心者向けなんて、時間の無駄だろ!」


カーラは食い下がる。


「なぁ、アイオンもそう思うだろ?」


アイオンは頭をかき、苦笑した。


「……カーラさんに任せますよ。依頼は俺がやるんで」


「だろ!」


カーラは勝ち誇った笑みを浮かべる。

だが、その熱を冷やす声が落ちた。


「“任せますよ”――ですか」


メリッサの笑みは変わらないが、瞳の奥に光が宿る。


「アイオンさんの能力と依頼の難易度を正しく見極める目を、あなたは持っていませんよね? それで任せていいものなのかどうか……」


カーラの表情が一瞬こわばった。


「……っ」


「私のおすすめは、この三件です」


メリッサは軽やかに、掲示板から三枚の依頼書を抜き取った。


「薬草採取、荷物運搬、開拓地への配達。どれもEランクで簡単ですが――報告や査定の基本を学ぶには最適です」


「えぇぇ!? なんだそれ、つまんなすぎる!」


カーラは頬をふくらませ、紙を睨みつける。


「森の賊とか、魔物退治とか、もっと冒険っぽいのやりたいのに!」


「これは、あなたのためでもあるんですよ?」


メリッサは穏やかな笑みを浮かべながらも、声には冷たい芯があった。


「……経験のない方が、サポートという作業を覚えるためにも。そんなこと、言われなくても理解してほしいですが」


その一言に、カーラは口を閉ざす。

アイオンは苦笑しながら、二人を交互に見た。


「ありがとうございます、メリッサさん。これにします」


肩をすくめ、カーラに薬草採取の依頼書を渡す。


「薬草採取ならオルババ村でもやってたし、慣れてます。それに、カーラさんも仕事を覚えれば、この先のためになります」


「……じゃあ、これで!」


カーラは不満げに唇を尖らせながらも、依頼書を掴んだ。

メリッサはその様子を見て、微笑を崩さないまま――心の奥で冷たく呟く。


(いいわ。その不満が、やがて重荷になる)


(何もできない現実を思い知れば――あなたは、自分で去る)


彼女はカウンターへと歩き出す。


「では、正式に依頼を受理しますね」



軋む扉を押し開けると、乾いた薬草と革の匂いが鼻をくすぐった。

棚には麻袋や採取用の小瓶が並び、無骨な男の店主が無言でこちらを見ている。


「――で、これを全部買えばいいんだっけ?」


カーラが不満げに紙を突き出す。そこには“採取用の袋・小瓶・防虫薬”と書かれていた。


「こんなのさぁ、わざわざ買わなくても――」

「カーラさん」


低く、しかしはっきりとした声が遮った。

振り返ると、アイオンが真剣な目をしていた。


「村で使うための物じゃないんです。仕事なんですよ。誰かが依頼を出して、俺たちはそれを受けて対価を得るんです。……しっかりやらなきゃ駄目です」


「……っ」


カーラは唇を噛み、視線を逸らした。


「だって、せっかくCランクからなんだぞ? そんなのないってウルも言ってたじゃんか! なんで薬草取りなんか……」


「それでも、初心者は初心者です」


アイオンは袋を取り、カードを差し出しながら言った。


「地道にやっていきましょう。それも楽しいですよ、きっと」


カーラは黙り込む。

アイオンは軽く笑みを浮かべ、肩を叩いた。


「ね?」

「……わかったよ」


カーラは不承不承、返事をした。



陽が昇り始めたバルナバの街は、まだ眠たげにしていた。

石畳を踏みしめながら、アイオンはギルドの前で立ち止まる。


「じゃあ、行ってきますね」


腰のバッグを軽く叩き、振り返った。

カーラはギルドの扉の前で腕を組み、むくれている。


「私も行きたかったんだけどなぁ」


「ギルドでの報告や書類の書き方。それを習ってくれた方がありがたいですよ」


アイオンは真剣な目で言った。


「カーラさんに任せたのは、そういう仕事です」

「……わかったよ」


カーラはしぶしぶ頷き、ギルドの扉を押した。

アイオンは背を向け、東の街道へと歩き出す。


その背を、二階の窓からじっと見下ろす影があった。

カーテンの陰から、静かに二人を見送る。


(……あら、別行動なのね。一緒に行くと思ったけど)


机の上には、昨日カーラが不満を並べたメモが転がっている。


(あの苛立ち――すぐに爆発する。現実を知れば、自分から離れる)


メリッサは唇の端をゆるやかに吊り上げた。


(その時、彼を縛るものは何もなくなる。――最高の未来ね)


指先が一枚の紙を撫でた。


“ギルド専属冒険者推薦候補者リスト”


そこには、アイオンの名が記されている。


「――頑張って、アイオンさん」


朝靄の向こうへと、小さな背中が消えていく。

メリッサはその光景を見つめ、静かに微笑んだ。

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