金の卵
「さぁ――いくぞッ!!」
オルドの木剣が唸りを上げた。
だが、その一撃は鉄塊のような重さを帯び、空気を裂く音と共に床を砕いた。
――ドガァァン!
木剣とは思えぬ轟音。
石畳がひび割れ、粉塵が舞い上がる。
(――速いっ!)
アイオンは反射的に身を沈め、間一髪で避けた。
次の瞬間、薙ぎ払いが迫る。
風圧が頬を裂くように痛む。
「どうした、小僧! 避けてばかりじゃ退屈だぞ!」
オルドの声が響く。
アイオンは双剣を交差させ、迎え撃った。
――ガギィィン!
木剣同士がぶつかるはずの音ではなかった。
骨まで痺れる衝撃が両腕を突き抜け、膝が沈む。
(重い! 受け続けたら、腕が折れる!)
アイオンは剣を滑らせ、大剣の軌道を外す。
わずかな隙を突き、距離を詰めた。
「ちっ!」
オルドの舌打ちと同時に、横薙ぎが走る。
空気が唸り、石畳の上で木片が跳ねた。
アイオンは後方へ跳び、体勢を立て直す。
目の前で床が粉砕される。
木剣の一撃で――だ。
その非現実さに、思わず笑みがこぼれる。
(木剣でこの破壊力! やっぱり桁が違う)
だが、退くつもりはない。
息を殺し、足に力を込める。
(重さでは勝てない。なら――速さで潰す!)
アイオンの身体が弾丸のように前へ出た。
双剣が閃き、縦に、横に、斜めに――流れるような連撃が走る。
オルドは大剣を盾のように構え、火花を散らして受け止める。
一撃ごとに木片が飛び散り、空気が裂けた。
「おおっ!いいぞ!」
オルドの口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。
踏み込みと共に、大剣が吼えた。
その一撃は、まるで壁――圧力の塊だった。
(これを――いなす!)
アイオンは双剣を交差させ、刃を滑らせる。
衝撃が両腕を焼くように走るが、勢いを殺さず回り込む。
視界が、オルドの胴をとらえた。
「――甘いッ!!」
獣の咆哮。
次の瞬間、双剣は弾かれ、衝撃が肩まで響く。
回避に転じなければ、頭が吹き飛んでいた。
破砕音が訓練場を震わせる。
石畳が割れ、粉塵がさらに立つ。
その隙に、アイオンは逆足で回り込み、斬撃を浴びせた。
右、左、右――流れる三連。
「おおっと!」
オルドは笑みを浮かべ、大剣を盾のように操って受け流す。
火花が弾け、木片が宙を舞った。
(っ、重いだけじゃない! 反応が速い!)
奥歯を噛み、さらに踏み込む。
膝を沈め、双剣を交差させ――一気に弾き上げた。
「いいなっ!その反応!」
オルドの口元が歪む。
すぐさま大剣がしなり、視界を覆う。
その一撃は、圧倒的な“壁”だった。
――ガギィィン!
木剣同士の衝突音が訓練場に響く。
双剣がきしみ、アイオンの腕が痺れる。
膝が石畳に沈むが――勢いを殺さず、横へ抜けた。
「ちょこまかとッ!」
オルドの怒声。
大剣が再び振り抜かれる――が、その刹那。
アイオンの影が、消えた。
「えっ!また消えた!?」
カーラの声。
次の瞬間、アイオンはオルドの背後に立っていた。
木剣が風を裂き、首筋に迫る――
「甘いっ!」
オルドが唸り、咄嗟に身を沈める。
そのまま足を払ってアイオンを崩し、追撃の一撃を叩き込む。
岩盤を叩くような衝撃が走り、石畳に大穴が開く。
粉塵の中からアイオンが飛び退き、距離を取った。
呼吸は荒い。だが、瞳の光は死んでいない。
「ククッ……面白ぇ! もっと来いよ、小僧!」
獣のような笑い声が響く。
その瞳は完全に“戦士”のものだった。
#
「やれーっ! 負けんな、アイオン!」
カーラの声援が訓練場に響く。
隣でイザークが腕を組み、にやりと笑った。
「……やるじゃねぇか。素の力が上がって、身体強化のキレが増してる」
その様子を、メリッサは無表情で見つめていた。
だが瞳の奥には、光が宿っていた。
(……こんな田舎に、こんな逸材が)
胸の内で呟き、唇がわずかに動く。
(オルド支部長は今もBランクの力はある――それに対して、これは……)
粉塵が晴れる。
再び二人の影がぶつかり合った。
木剣の激突音が連続し、石畳が震える。
息を荒げながらも、アイオンの目はまだ燃えていた。
「くくっ。本当に面白ぇ小僧だ」
オルドは木の大剣を肩に担ぎ、鋭い眼光を向ける。
「だが、これで終わりだ!」
踏み込み――地が鳴った。
オルドの姿が弾丸のように消える。
見えた時には、もう至近距離。
巨大な木剣が地を割る勢いで振り下ろされる。
(速い――!)
アイオンは全身の力を振り絞り、双剣を交差させて受ける。
衝撃音が訓練場を包み、足元の石が砕けた。
膝が沈み、視界が揺れる。
(無理だ!耐えられない! なら!)
刹那、アイオンは左手を離した。
解き放たれた魔力が空気を裂く。
「――風よッ!」
轟音。突風が渦を巻き、オルドの巨体を押し返す。
軌道が逸れ、大剣が石畳にめり込んだ。
風と粉塵が渦を巻き、訓練場が白く煙る。
「おいおいおい!」
オルドは大剣を引き抜きながら、目を見開き――そして笑った。
「ハハハハッ! イカれてやがる! この身体強化のレベルで体外魔法まで使うだと!?
――クソ、楽しすぎるじゃねぇか!!」
笑いながら木剣を担ぎ、獰猛な笑みを浮かべる。
「これ以上は命の取り合いになっちまう。文句無しだ!――メリッサ、終わりでいい!」
「了解です。試験終了!」
冷ややかに告げたメリッサが、板に結果を記す。
アイオンは剣を下ろし、肩で息をした。
汗に濡れた額に、達成感と安堵が交じる。
「合格だ、アイオン! Cランクで始めろ! 最高評価だ! 誇っていい!」
オルドの声が訓練場に響く。
「やったー!」
カーラが両手を挙げて跳ねる。
イザークも腕を組み、にやりと笑った。
「あっという間に追いつかれちまったよ」
アイオンは深呼吸し、オルドに頭を下げた。
「ありがとうございます。……やはり、元とはいえAランクは桁が違いますね」
「なんだ? 俺以外に知り合いがいるのか?」
興味深そうにオルドが尋ねる。
「はい。今はBランクですが、師事していました。ライアという方です」
その名に、オルドの目が見開かれた。
「ライア!? 双剣の!? お前……あいつの弟子か?」
「一応、そうですね」
短い沈黙――そして爆笑。
「ハッハッハッハッ! 嘘だろ!? あいつが弟子なんて取るのか!!
信じられねぇが……嘘をついてる目じゃねえ! すげぇな、興味が尽きねぇ! なぁ、メリッサ!」
「そうですね……彼女がこの地方にいたのは知っていましたが、弟子とは」
「……ライアさんって、やっぱ有名な人なのな?」
カーラがイザークに呟き、彼も苦笑いを浮かべる。
「いろんな意味でな」
「ハッハッ! よし、次はお前だ! ランクと名を!」
オルドが木剣を構える。
イザークは壁に立てかけてあった木剣を掴んだ。
「イザーク、Cランク!」
「期待の若手リーダー! 楽しませてくれよ!」
「――それなりにな!」
二人が激突する。
アイオンとカーラはその様子を見守っていた。
メリッサの視線は――アイオンだけをとらえている。
唇の端が、わずかに吊り上がった。
(――素晴らしい)
その瞳には、冷たい光と、欲望の色が宿っていた。
#
ギルドホールに戻ると、ひときわ大きく手を振る影があった。
「おーい! 無事だったか!」
ウルだ。隣にはオニク、そしてエリーが笑顔で立っている。
「お疲れさま!」
エリーが駆け寄り、アイオンとカーラを交互に見た。
「どうだった? って、顔を見ればわかるね」
カーラが満面の笑みで、両手を腰に当てる。
「聞いて驚け! アイオン、Cランクからスタートだって!」
「……は?」
ウルが瞬きを繰り返し、次に爆笑した。
「Cランクだぁ!? すげぇな! 新人評価の最高値じゃねぇか! どんなに凄くても普通はDからだぜ!」
「おめでとう」
オニクは控えめに笑い、アイオンをじっと見た。
「……でも、まだ君は伸びる。油断しない方がいいよ」
「もちろんです」
アイオンは短く答えたが、胸の奥は熱く高鳴っていた。
「イザークは?」
エリーが首をかしげた瞬間、背後から声が飛んだ。
「お待たせー!」
イザークが汗を拭いながら戻ってくる。
「いやぁ、俺もC維持だ! すげーおっさんだぜ、あれ」
「支部長だよね?」
エリーが笑い、イザークは肩をすくめた。
「ああ。前の支部長は実務型だったが、あいつは真逆だな」
オルドが背後から豪快な笑い声を響かせ、重い足取りでホールを横切る。
「たまにやると疲れるな! だが面白ぇ奴らだ。――おい、メリッサ。二人の登録を済ませてやれ! システムの説明も頼む!」
「承知しました」
涼やかな声で答えたメリッサが、手際よく書類を処理する。
奥から二枚の銀色のプレートを取り出し、差し出した。
「お待たせしました。これがギルドカードです」
掌ほどの金属板には、名前とランクが刻まれ、裏面の魔導刻印が淡く光を反射している。
「このカードは本人認証が必要です。アイオンさん、カーラさん――こちらに指を」
小さな銀の針が差し出される。
「痛みは一瞬です。指先を軽く刺し、血をカードに垂らしてください」
カーラが目を丸くする。
「ちょっと怖いなぁ」
「登録には絶対条件です。血の契約は、個体を識別するためのものです」
淡々と続けながら、メリッサは説明を重ねる。
「盗難や偽造を防ぐため、血が触れた瞬間に刻印が反応し、使用者として登録されます」
アイオンはためらわず針を取り、指先を刺した。
赤い雫がカードに落ちる。瞬間、淡い光が走った。
「――おお」
カーラも同じように血を垂らす。
そのカードにも光が浮かび上がる。
「これで完了です。以降、アイオンさんは魔力でカードを起動できます。依頼の受注や取引も可能です」
メリッサは視線をカーラに移した。
「ただし、カーラさんは魔力が扱えないようですので、使用のたびに血による認証が必要です。その点は少し手間ですが……。そして、カーラさんの血があれば他人でも使用可能なので、取り扱いには十分ご注意を」
「うわぁ……気をつけるよ」
「もう一点――カーラさんにはランクが付きません。あなたは“ギルド公認のサポート”という扱いになります。報酬はパーティ分配で受け取る形です」
「ふーん。別にいいけどね」
カーラは笑って肩をすくめた。
「既にご存じかもしれませんが、アイオンさんは冒険者ギルド提携店でランク割引が受けられます」
「それ、いいよなー! どのくらい安くなるんだろ?」
カーラが羨ましげに呟くと、メリッサは続けた。
「カーラさんにも一応、固定率の割引が適用されます。ただしサポート専用枠です。アイオンさんとの組み合わせで増えることはありません」
「おおっ、それでも十分じゃん! 助かる~」
カーラがカードを掲げ、にやりと笑う。
「さらに、このカードは銀行ギルドと連携しています。預金の引き出しや提携店での支払いも可能です。今日はもう遅いので、明日、銀行ギルドでの登録をおすすめします」
「それが一番便利! 使いすぎないようにしないとな!」
カーラがガッツポーズを取り、イザークが呆れ顔で笑う。
「これで、私たちは正式な冒険者だ! ……いや、私はサポーターか!」
「そうですね」
アイオンはカードを受け取り、深く息を吐いた。
金属の冷たさが、胸の奥を震わせる。
(これで、俺も――)
「期待してますよ、アイオンさん」
ふと顔を上げると、メリッサが微笑んでいた。
その穏やかな声の奥に、何か計り知れない光が宿っている。
(――金の卵。素晴らしい。けれど……)
カーラに一瞬、視線を流す。
その笑みの奥に、冷たい影が走った。
(素人のサポート。足枷になるだけ)
表情を崩さず、二人を見送る。
その呟きは、誰にも届かない。
――だが、すぐに熱気がそれを掻き消した。
「おい、野郎どもォ!!」
オルドの大声がホールを震わせる。
視線が一斉に集まった。
「新しい仲間の誕生だ! 今日からアイオンとカーラがギルドに加わる! ――盛大に迎えてやれ!!」
「おおおおーーッ!!」
ギルドホールに歓声が爆発する。
ジョッキを掲げる者、肩を叩く者、笑い声と活気が渦を巻いた。
カーラが目を丸くする。
「なにこれ……すげえ!」
アイオンは頬を緩め、深く息を吸い込んだ。
(――俺も、冒険者だ)




