試験開始
扉を開けた瞬間、熱気が押し寄せた。
木製の卓が並び、冒険者たちが酒を酌み交わし、笑い声と怒鳴り声が飛び交う。
油と獣脂が混ざった匂い――だが、不快ではない。生きた空気の匂いだ。
「お、来たな!」
ひときわ低い声に顔を上げると、二人の男が手を振っていた。
イザークのパーティ――ウルとオニクだった。
「ウル、オニク!」
エリーが駆け寄り、満面の笑みを浮かべる。
「久しぶり!」
「おう、元気そうじゃねぇか」
ウルが笑って頭を軽く叩く。
がっしりした体躯に革鎧、背には大盾。
以前より精悍さが増していた。
オニクは落ち着いた笑みを浮かべ、胸に手を当てた。
「久しぶりだね……アイオンも」
「お久しぶりです、オニクさん」
「魔力の使い方は……あまり変わってなさそうだね」
「そうですね、日々精進です」
さらりと笑って言うその目も、懐かしかった。
イザークが肩をすくめる。
「だいぶ待たせちまったな。良い人とは、残念だったな、ウル」
「あ? ……人の縁なんてそんなもんよ。また誰かと出会うだけさ。俺も彼女も――」
ウルが顎でアイオンを指す。
「……それより、登録だろ? 先に済ませろよ。話はその後、酒でも飲みながらだ」
「そうする」
イザークは頷き、カウンターに向かった。
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「次の方、どうぞ」
事務的な声に、アイオンとカーラはカウンターへ進む。
「新顔だな……冒険者登録を」
イザークが代わりに言う。
「先日赴任したばかりで――はい、こちらに名前と年齢、出身地を」
差し出された羊皮紙に、二人はペンを走らせた。
女性は記入を確認しながら顔を上げる。
「――お二人とも、戦闘職でよろしいですか?」
アイオンが即座に首を振った。
「いいえ。俺が戦闘職、彼女は完全にサポートです」
受付嬢の眉がぴくりと動く。
「サポート……素人では? ……まぁいいですが、それならパーティ登録は必須ですね」
「最初から組んでおけ。報酬の分配もスムーズだし、依頼も受けやすい」
横でイザークが助言する。
アイオンは頷いた。
「お願いします」
カーラはニッと笑い、肘で小突いてくる。
「そうそう。あんたが斬って、あたしが支える。それで決まりよ!」
「そのつもりですよ」
アイオンが返すと、後ろでウルが口を開いた。
「裏方ができる奴は貴重だぜ。こういう奴が一番パーティを生かす。エリーも頑張れよ?」
オニクも穏やかに付け加える。
「正直、僕がやるのも疲れるしね。現場判断は僕がするけど、元の交渉はエリーに任せるよ」
「うん! 任せてよ!」
エリーは笑って答えた。
二人も、エリーが冒険者職を引退することには納得しているようだった。
カーラが得意げに鼻を鳴らす。
「ほら、みんなわかってるじゃん! 素人だけど、ちゃんとやるよ!」
「……お支払いは一人20G、計40Gです」
受付嬢が淡々と告げる。
アイオンがお金を置き、女性は次の書類を差し出した。
「――では最後に、アイオンさん。試験を受けていただきます。方法は二つ。一つは指定素材の採取。もう一つは、ここで実力を証明すること。どちらでも構いませんが、失敗すれば当然、登録はされません。もちろん、カーラさんも」
カーラがアイオンを見る。
「どうする?」
アイオンは静かに息を吐いた。
「――実力で見せます」
アイオンの言葉に、受付嬢が眉をひそめる。
「なるほど……わかりました。少々お待ちを」
彼女はカウンターを離れ、奥の扉へ消える。
暫くして、重い足音が近づいてきた。
現れたのは、大柄な男だった。
灰色の髪を後ろで束ね、深い皺の刻まれた顔に鋭い眼光。
立っているだけで威圧感がある。
(……強い)
アイオンは息を詰めた。
「試験を受けるのは?」
低く響く声。アイオンは一歩前に出る。
「俺です」
男はじっとアイオンを見据え、顎をわずかに動かした。
「――裏の訓練場だ。ついてこい」
イザークが慌てて声を上げる。
「おい、あんたがやんのか?」
男は片目を細め、笑みともつかない表情を浮かべた。
「――最近、この地方は変わってきた。他所で落ちぶれた奴らや、諦めた奴らがここに流れ込んでくる」
低い声に、受付嬢も肩をすくめる。
「そういう連中は、肩書きだけ立派でも中身はスカよ」
男は続けた。
「仮にCランクでも実力はそれ以下――そんなのが多い。だから今は俺が適正ランクを決めてる。……当然、お前も後でやる。これは支部長権限で上にも納得させたことだ。異論反論は認めん」
イザークは少し笑う。
カーラが小声で「めっちゃ怖そう……」と呟き、ウルとオニクが笑った。
「でも、こういう場は貴重だよ」
オニクが穏やかに口を開く。
「全力を出して、証明しなよ。きみの力を」
「そういうことだな」
ウルが腕を組み、にやりと笑う。
「俺もオニクも平気だった。なら、お前たちも大丈夫さ」
イザークも肩をすくめる。
「まぁ、やるしかねぇな。……先はお前だぞ?」
アイオンは静かに深呼吸し、支部長を見据えた。
「――よろしくお願いします」
男の口元が、かすかに吊り上がる。
「いい目だ。じゃあ、ついて来い。メリッサ! お前も来い! ギルド側の確認はお前に任す」
「はい。オルド支部長」
そう言い、支部長と受付嬢は奥へ歩き出す。
その後を、アイオン、カーラ、イザークもついていく。
エリーたちはホールに残った。
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分厚い扉が軋みを上げて開く。
奥に広がるのは訓練場――石畳の床に木製の武器棚、魔力防壁。
戦うためだけに作られた空間だ。
(……ここで、証明する)
アイオンは拳を握りしめ、一歩を踏み出した。
中央に立つ男が、ゆっくりとこちらを振り向く。
何より目を引くのは、その鋭さ――ただ立っているだけで、空気が張り詰める。
「――オルド。冒険者ギルド、フィギル地方支部長だ」
低い声が訓練場に響く。
木の大剣を軽く振り、重さを確かめている。
アイオンには二振りの木剣を、メリッサが無造作に差し出した。
「元Aランク冒険者。お前の試験相手は、この俺だ」
(Aランク……! ライアさんと同じ)
胸の奥で緊張が跳ねる。
引退したとはいえ、格の違う相手だ。
オルドは大剣を片手で持ち上げ、肩に担いだ。
「全力で来いよ、小僧。木剣とはいえ――油断したら死ぬぞ」
その声音には、あからさまな余裕が滲んでいる。
「試験を開始します」
淡々と告げたのはメリッサだ。
腕に書類を抱え、冷ややかな視線を向けている。
「合図と同時に始めてください」
アイオンは静かに剣を抜き、深く息を吐いた。
(――油断しきってる)
ライアの声が脳裏で響く。
『驕りは、戦闘には一番不要な感情よ』
「では――始めッ!」
メリッサの声と同時に――アイオンの姿が掻き消えた。
イザークは笑う。
「初見で対応できるかな?」
(は? ……消えた?)
受付嬢のメリッサは目を見開く。
「――おいおい」
オルドが笑みを浮かべかけ――次の瞬間、その背後に殺気を感じた。
――ギィンッ。
振り返ったときには、アイオンの剣先が首筋寸前で止まっていた。
距離は紙一重。
オルドの目が、わずかに見開かれる。
「殺気の消し方はお粗末だな。いや、わざとか!」
低く、獰猛な笑みが浮かんだ。
「だが、とんでもねぇ身体強化だ。いいね! 田舎のガキだとナメてた!」
大剣が床を打ち、重い音が響く。
構えが変わった瞬間、空気が一変する。
舐めきった目が、狩人のそれに変わった。
「――いくぞ、小僧。ここからは本気だ!」
石畳を踏みしめる音が、獣の咆哮のように響く。
「――望むところですよ」
アイオンは笑った。
久しぶりに強者と向き合う高揚感が、胸の奥を熱くしていた。




