女神教
日が沈む前に、ホーンラビットを7匹狩って村に戻る。
その足で、いつもの肉屋に向かった。
「買い取りを」
「お、アイオン! 今日は……7匹か! よしよし、ちゃんと血抜きもしてあるな。いい腕だ!」
「どうも」
「この手際の良さは…自警団でもビアンカくらいだな。じゃあ、きっちり21G!」
「…1Gは“きっちり”じゃなくないですか?」
冗談交じりに返しつつ、代金のゴールドを受け取る。
ホーンラビットのような低級の魔物肉なら、1匹あたり3Gが相場だ。
村で1日を不自由なく過ごすには10Gあれば十分。
金をしまい、軽く会釈して店を出ようとすると――店主が声をかけてくる。
「なあ、お前さんも自警団に入ったらどうだ? ラクトを打ち負かせるくらいなら、次期団長も決まったようなもんだろ。重宝されるさ」
「…嫌ですよ。一人の方が楽です。狩りだって、畑を荒らされたくないからやってるだけです」
店の奥では、魔道具――冷蔵庫のようなものの中に肉が並べられていく。
中を冷やすのは属性魔石。物によっては安価で、小さな村でも普及している。
「それにしても、ほぼ毎日来てるじゃねえか。しかも狩った肉は全部ここに卸して! 自分の家に持っていきゃいいのに。いや、助かるけどよ」
「家に一度持って帰ったら『店に売って自分の金にしろ』って、ラクトさんとセアラさんに言われてるんです。武器や防具を買って、少しでも安全に狩れって」
あのとき、初めて2人に少し叱られた。
―自分を養う分の負担を、少しでも減らしたかっただけなのに。
「でもよ、お前の武器、ずっと同じじゃねぇか。そろそろ買い替え時だろ?」
「…次の行商が来たら、買いますよ。では」
会釈して店を出る。
歩き出した足取りは…いつも通り、少し重かった。
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「ったく…おーい、アバス! ここから忙しくなるぞ、手伝え!」
「…はーい」
聞き分けのいい自慢の息子だが、言わなきゃ来ないところが玉にキズ。
昔はアイオンと仲が良かったのに、今ではすっかり疎遠になっている。
「…お前、最近アイオンと遊んだりしねぇのか?」
「全然。話しかけても軽く会釈して、すぐどっか行っちゃうし」
「…ふうん」
まだ13歳の少年のはずだ。
もっと無邪気に、遊びたい盛りのはずなのに。
「変わっちゃったよ、あいつは。でも…子どもには優しいままみたい。こないだ、ラトとヘッダが喧嘩してたの止めてた」
「お前は見てただけか?」
「自警団の訓練前だったし…」
頭に軽くゲンコツを落とす。
「村の治安を守る自警団なら、子どもの喧嘩の仲裁くらいはしろ!」
「…はい、気をつけます」
涙目のアバスにため息をつきつつ、客が来たので接客に戻る。
いつしか、アイオンのことは頭の片隅へと追いやられていた。
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家の前で、深くため息をつき、気合いを入れる。
一人で帰ってくるときは、転生してからずっとこれが習慣だ。
いまだに、ここが“自分の家”だと思い切れないから。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、アイオン。怪我はなかった?」
セアラが、いつものように優しく迎えてくれる。
「はい。問題ありません」
「…そう。よかった」
抱きしめて無事を確かめようとするこのセアラの温もりが…嫌いだ。
「いえ、それでは少し外に出ます」
「レア様のところね? 気をつけてね。夜は森に行っちゃダメよ?」
軽く会釈をし、家を出る。
向かう先は――村に一つだけある教会。
あの“クソ女神”を祀る場所だ。
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教会の扉を開ける。
「あら、アイオン。体の調子はどう?」
「おお〜、アイオンさん〜。教会へ〜ようこそ〜」
レアとベティが、いつものように微笑んで迎えてくれる。
「問題ありません、レア様。こんばんは、ベティさん」
膝をついて、女神教式の礼をする。
“クソ女神”にではなく、レアとベティへの敬意として。
「カーラがまた愚痴を言いに来たわよ。…あんなに冷たくされてるのに、よく懲りないわね」
「カーラさんは〜繊細なんですよ〜? 優しくしてあげてって〜言ってるでしょ〜?」
「俺にゼアスさんの代わりはできませんよ」
ため息交じりに答える。
兄のゼアスは、16で兵士になった。
本来なら長男が畑を継ぐべきだが、ラクトの活躍や武勇伝に影響され、兵士を目指したという。
ラクトもその意思を尊重し、背中を押してやった。
『お前もやりたいことをやれ。食ってく分の畑仕事くらい、俺が年取ってもできるさ』
…ゼアスが旅立った後、ラクトが笑いながらそう言ってくれたのを、今でも覚えている。
「…誰も、誰かの代わりにはなれないわ、アイオン」
「あなたは〜あなた自身として〜人と向き合うべきですよ〜?」
皆、俺に小言を言う。
―そんなに“悪い生活”だろうか?
前世の俺からすれば、これでも人付き合いはしている方だ。
「…明日の勉強会の予定は?」
話題を変える。
子どもたちの勉強会――その内容への助言。
前のアイオンは実際に子どもたちに教えていたらしいが、今の俺には無理だ。
だから、女神から与えられた基礎知識を活かして、助言だけしている。
「はぁ〜…明日は先週の読み書きの続き。ナリアとジルドには少し退屈かもだけど、復習になるし他の子も見てくれるから問題ないと思うわ」
「ため息は〜幸せが〜逃げますよ〜」
レアに紙を渡され、目を通し、少し修正を加える。
子ども目線なら、これくらいの内容でちょうどいい。
「それにしても、幸せね。…アイオン、あなたは?」
「え?」
「幸せに、生きてる? 今のあなたは」
レアが真っすぐな目で問いかけてくる。
ベティも、穏やかな笑顔のまま見ていた。
この二人は――なにかを知っている気がした。
今では少数となっているらしい旧女神教。
あのクソ女神を崇めている人たち。
「どうでしょうね。…生きてはいますよ」
紙を返す。
それ以外、言葉が出てこなかった。
「アイオン。家族を大事にしなさい」
レアの声が、真剣になる。
「あなたが変わったこと、ラクトたちも気づいているわ。それでも―あなたが生きていてくれることを、心から喜んでいるのよ? 拒絶されても、あなたを――」
「失礼します。シスターレア、シスターベティ」
話を遮って礼をし、教会を後にする。
どうしても、聞きたくない事だった。
―その愛情は、本来向けられるべきアイオンに向けられていたものだ。
今いるのはその愛情を奪って生きている、ただの簒奪者なのだから。
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「…踏み込みすぎたのでは〜?」
ベティが、レアを少し非難するように見つめる。
「自覚できるまで見守ることだけが〜、今の彼にできることかと〜」
「…そうね。失敗したわ」
「レア様は〜あの子のこととなると〜冷静じゃいられませんね〜。…女神様は〜なにをお考えなのでしょうか〜?」
ベティが女神像を見上げる。
美しい白の女神像――今では珍しくなった偶像。
毎日磨かれ、清らかに保たれている。
「…なにも答えてはくださらない。それが、私たちの罪なのだから」
「…それでも〜祈ることは〜許されるのでしょうか〜?」
その答えは――誰にもわからなかった。




