8章:距離の詰め方、戦略的に
週明け、プロジェクトの中間報告会を終えた真琴は、疲労の滲む表情でデスクに戻った。
「お疲れさまでした、先輩」
そう声をかけてきたのは、もちろん弓弦だった。ネクタイをゆるめ、手には二つの缶コーヒー。
「糖分、必要でしょう。ブラックじゃなくて微糖にしておきました。……眠れなくなっても知りませんけど」
半ば挑発、半ば気遣い——その距離感は、まるでこちらの防御を試すように絶妙だ。
「……気が利くな」
「ええ。あなたの嗜好はだいたい把握してますから」
さらりと告げる口調に、背筋がわずかに冷たくなる。
どこまで読まれているのか。どこまで、入り込んできているのか。
その日の夜、真琴が残業を切り上げようとしたときだった。
「駅まで送ります。今夜は雨ですし」
断ろうとする間もなく、すでに弓弦は傘を差し出していた。
「……自分の分は?」
「一緒に入れば、濡れませんよ」
軽やかな口調に隠された、静かな執着。
並んで歩く道すがら、真琴は何度も横顔を盗み見た。視線は決してぶつからない。
だが、確かに感じる。「お前から逃げても、意味がない」と言われているような——
「君は……何がしたい?」
ぽつりと問えば、弓弦は歩みを止め、微笑んだ。
「あなたにとって、最も正しい選択肢になりたいだけです」
答えは、極めて論理的で、極めて甘かった。