54章:恋人未満の一日
地方都市のクライアント先、午前のプレゼンを終えたあとの空気は妙に静かだった。
「ここの商店街、昼時は混むらしいですよ」
弓弦がタブレットを畳みながら、自然な口調で言った。
「……視察ってことか?」
「もちろん。主任と二人きりでの調査、効率的ですから」
その言い方に、明確な悪意も色気もないのに、妙に胸に引っかかる。
駅前の小さなカフェ、隣り合う席。わざわざ向かいではなく隣を選んだのは、どちらからだったか。
食後、ふと歩道で別の営業チームに声をかけられる。
同世代の男が真琴に軽口を飛ばすように話しかけた――
「主任、また東京で飲みにでも行きましょうよ。今度こそ、ちゃんと一緒に」
「……ああ、考えとくよ」
軽く笑い返したその瞬間、横にいた弓弦の気配が変わった。
視線も声も乱さず、ただ一歩、真琴の前に出るように立った。
「予定は詰まっていますから。主任のスケジュール管理は、僕がしているので」
その男が去ったあと、真琴は弓弦の方を見ずに言った。
「……言いすぎだ」
「事実ですよ。僕は、あなたの時間とエネルギーを“浪費”されたくないだけです」
言葉は冷静。だが、そこに含まれていたのは、明らかな独占の気配だった。
*
ホテルに戻る帰り道、無言のまま並んで歩く二人。
隣にいるのに、距離が近すぎて逆に息苦しい。
けれど、振り払おうとするほど、彼の存在は重く、確かで、そして“離れる理由”を奪ってくる。
「主任。今日のあなた……少し、可愛かったですよ」
そう言われた瞬間、思考が一瞬で止まる。
冗談か、本気か、判断できない。
けれど、声の温度が心の奥に焼き付いた――。




