50章:社内に戻って
戻った社内は、いつもと同じ。
キーボード音、打ち合わせの声、上司の指示――そのすべてが、真琴には妙に遠く感じられた。
(日常に戻った。ちゃんと、戻ったはずだ)
報告書を手にフロアを歩いていると、同僚が軽口を飛ばしてくる。
「おかえり、長谷川主任。弓弦くんと、随分仲良くしてたって聞いたけど?」
「……何の話だ」
「支社の子が言ってたよ。ふたり、いい感じだったって。なんか、空気が柔らかかったって」
瞬間、背筋が凍った。
そんなはずはない、と否定しかけたところに、背後から弓弦の声がかぶさる。
「俺、主任と一緒のほうがパフォーマンス出るんですよ。安心感って、でかいですよね?」
「……っ」
振り向けば、いつもの整った笑み。
だがその笑みの奥には、明確な“支配の意図”があった。
(やめろ。これ以上、気づかれたくない……)
それを悟ったのか、弓弦はさらに静かに近づいて、耳元でささやいた。
「バレたくないなら、もう少し“冷たい顔”でいてください。……それとも、見せつけます?」
真琴は息を呑んだ。
この男は、恋人としての距離を誤魔化すつもりがない。
――むしろ、ゆっくりと、全方位に知らしめようとしている。




