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49章:日常に戻るふり
翌朝、真琴はシャツの襟を正しながら、鏡の前で深く息を吐いた。
何事もなかった顔。いつもの主任としての顔を、鏡の中に貼り付ける。
(仕事だ。出張、案件、報告……昨夜のことは――切り離せ)
横でネクタイを締める弓弦の気配が視界に入るたび、思考が乱れる。
だが彼は、平然とした顔で言った。
「朝食、もう食べました?」
「まだだ。支社に寄る前に済ませよう」
「なら、今日は俺が選びます。……あなた、味よりもコーヒーの温度を優先しそうだから」
どこか甘やかな声音に、真琴は眉をひそめた。
「……そういうの、やめろ。仕事中だぞ」
「仕事中ですよ? 主任にとってはそれも含めて“仕事の距離感”ですか?」
朝のホテルロビー。スーツ姿で並ぶ二人の距離は、ただの上司と部下に見える。
――ただ、目が合えばすぐにわかる。
この男は、完全に“あの夜”を引きずっている。




