48章:出張先、ホテルは一室だけ
出張先の地方都市。プレゼンを終え、資料の片付けをしていた真琴は、どっと疲労を感じていた。
外はもう暗く、冷たい夜風が窓の外で騒いでいる。
「ホテル、手配ミスで……ツインが埋まってたらしいです」
振り向くと、弓弦がスマートフォンを見せながら、わざとらしく眉を下げてみせた。
「……だからって、ダブル?」
「まぁ、ベッドは広いですし。――俺、端っこで寝ますから。何もしませんよ、主任が望まない限りは」
その言い方が一番信用ならない、と思った。
“何もしない”という言葉の奥にある、選択肢を提示されたような圧に、背中がざわつく。
「お前な……っ」
「じゃあ、ソファで寝ましょうか? あまり合理的ではないけれど、あなたの判断なら、従います」
上目遣いに見上げながら、あくまで“選ばせる”。
それが弓弦のやり方だった。理屈と誘導の間に、確実に“甘さ”を忍ばせてくる。
部屋に戻ったあと、真琴は無言でスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めた。
背中に、視線。
シャワーの順番をどうするか、そんな些細なことさえ、妙に意識してしまう空気が漂う。
「主任、髪……濡れてますよ」
いつの間にか、バスタオルを持った弓弦がすぐ背後に立っていた。
手を伸ばし、濡れた髪にそっと触れる。
タオル越しでも、指先が首筋に触れそうな距離。ぞくりとした。
「……自分でやる」
「ええ。でも、俺のほうが慣れてますから」
静かに、しかし確実に、身体だけでなく心の距離が縮まっていくのがわかる。
仕事中は絶対に見せない、ゆるやかな“男の顔”。
その温度に――真琴は、明確に動揺していた。
(……付き合ってるんだ。好きって言った。なのに、まだこんなにも、揺れる)
そして、タオルを引いた弓弦が、耳元に唇を寄せて囁いた。
「ねぇ、真琴さん。今日のあなた、少し甘えてるように見えました」
「……っ誰のせいだと思ってる」
「俺のせい、でいいですよ。そのほうが、もっと責任持って触れられる」
その一言に、喉の奥が熱くなった。
――この男は、少しずつ、確実に自分の世界を壊してくる。




