47章:恋人になった、はずなのに
翌朝。
真琴は、コーヒーを口に運びながら、自分の指先に意識を集中していた。
別に震えているわけではない。けれど、無意識に触れてしまいそうになる――昨夜、弓弦に触れられた頬に。
「……集中しろ。仕事中だろ」
声に出して自分を戒める。けれど、昨夜のやりとりが脳裏にこびりついて離れない。
(好きだって言った。向き合うって決めた。……なのに、なんでこんなに落ち着かないんだ)
気づけば、弓弦はいつも通り、数席離れた場所で淡々と資料を捌いていた。
周囲の誰もが、彼と自分の間に“特別な関係”があることなど、微塵も感じていない顔だ。
(……あいつ、切り替えが早すぎる)
けれど、気のせいか、視線が合うたびにほんのわずか、弓弦の目元がやわらぐのが見える。
まるで“俺たちは、知っている”という合図のように。
そのくせ、仕事の話になると冷静で、いつものようにロジックをぶつけてくる。
「ここ、ロジカルには整ってますが、もし感情的な印象で訴求するなら——主任の言葉を借りたほうが効果的かもしれません」
あくまで職務上の提案。それ以上でも以下でもない、という顔をして。
なのに、耳元で囁かれたときと同じ声のトーンが蘇る。
「逃げないと決めたあなたを、これからは“手放す理由”がありませんね」
ドキリとして、思わずペンを落とした。
(……もうやめろ。あいつの言葉、いちいち脳に刺さる)
けれど、弓弦は拾おうとはしない。
ただ、わずかに口元を綻ばせて見ているだけ。
まるで「自分の中に俺がいること」に気づかせようとするように。
こうして、恋人になったはずなのに、真琴はまるで“常に試されているような”感覚から逃れられなくなっていった。




