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43章:触れたいのは、誰のためか

 深夜、弓弦の車が真琴のマンション前に静かに停まった。


「……今日も、助かった」


 言いながらドアに手をかけた真琴の手が、一瞬だけ止まる。

 それを察してか、弓弦は問いかけず、ただ静かにハンドルを握ったまま視線を前に向けていた。


 (言えば、たぶん応じる。触れれば、きっと……)


 そう思うだけで、指先が妙に熱を持つ。

 でも、それは“恋”なのか。“依存”なのか――その境界線が曖昧で、怖かった。


 (俺から、触れていいんだろうか)


 気持ちは確かに揺れていた。

 でも、弓弦の「隙のない優しさ」があまりに静かで、そこに身を預けてしまいそうになる自分がいた。


「……弓弦」


 名前を呼んだ瞬間、弓弦がこちらを見た。

 その瞳には、相変わらず波ひとつない静けさがあった。


 けれど、その分だけ――見透かされているようで、逃げたくなった。


「……いや、なんでもない。おやすみ」


 そう言って車を降りた自分の声が、ほんの少しだけ掠れていたことに、気づいていたのか。

 ドアが閉まった後も、弓弦の車はしばらく動かず、真琴の背中を照らしていた。


 部屋に戻り、ソファに座ったまま真琴は息をついた。


 「触れたかった」

 その気持ちは、確かにあった。

 けれど、それを行動に移すには、あまりにも――自分の気持ちに自信がなさすぎた。


 (俺は、何がしたいんだ。恋か?それとも……ただ、誰かに甘えたいだけか?)


 浮かぶのは過去の記憶。

 期待して、裏切られて、それでも信じたくて傷ついた日々。


 もう繰り返したくない。

 でも、あの夜の弓弦の静けさに、あのまま預けてしまっていたら――そう思ってしまう自分が、確かにいる。


 携帯が震えた。

 通知には、弓弦の名前。


「触れたいときは、遠慮なく。僕は、受け止める準備がありますよ」


 文字だけなのに、胸が鳴った。

 まるで、さっきの迷いすら読まれていたかのように。


 指先が、じっと携帯を握ったまま動かない。


 (逃げるな。触れたいのは、俺だ)


 自分の意思で、そう選ぶ日が近づいている気がした。



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