38章:境界線の揺らぎ
「今日は……何の用だ?」
ロッカー室を出たはずの弓弦は、そのまま真琴と並んでビルを出た。まだ帰宅ラッシュには早い時刻。だが、空はもう夕暮れに染まり始めていた。
「主任の帰り道を、確認したかっただけです」
「……なあ、お前、最近ちょっと踏み込みすぎじゃないか」
苦笑混じりに返すつもりが、その声はどこか硬かった。
それに、弓弦はふと立ち止まり、真琴の横顔をまっすぐに見つめる。
「主任。俺は、あなたの隙が消えるのが怖いんです」
「は……?」
「あなたが誰かに心を許してしまったら、俺が入る余地がなくなる。
だから、気づかせたかったんですよ、自分の“隙”に」
その声音はやけに静かで、揺らぎがなかった。
理詰めのようでいて、それは感情の告白だった。
言葉に詰まる真琴に、弓弦はさらに距離を詰める。
歩道のすみに寄ったその瞬間、ふいに肩に手が伸びた。
「……ちょっと、近い」
「“近くにいたい”と思ってるだけです。何か問題でも?」
吐息がかかる距離。キス一歩手前。
でも、弓弦は決してそれ以上はしてこない。
「……お前さ、ほんと……ズルいんだよ、そういうとこ」
「合理的に動いてるだけです。俺の“欲しいもの”を取るために」
それが、恋愛か、支配か、執着か。
まだ真琴には答えが出せなかった。ただ、その目を直視できなかった。




