36章:密やかな誘導と、曖昧な境界線
昼休み。
弓弦に誘われて訪れたのは、オフィス近くの落ち着いたカフェだった。
静かな店内。テーブルの上に置かれたメニューを視線で追いながらも、真琴の意識はその向かいに座る男に集中していた。
「ここ、落ち着くでしょう? こういう場所の方が、情報の整理も思考の展開もしやすい」
「……カフェの選び方まで戦略的か」
「主任の気が散らない環境を、最適解として選びました」
言いながら、弓弦はグラスの水に指を添えてゆっくり回す。その何気ない動作の中に、明確な“間”を作り出していた。
「それで。話ってのは、案件の進行についてか?」
「ええ、もちろん。ですが——」
弓弦は一拍置き、まっすぐに真琴を見る。
「……このまま、あなたが全部を背負う構造では、最終的に非効率です」
「何の話だ」
「案件じゃなく、チーム運用の話です。
主任が無意識に“自分ひとりでなんとかする”癖を出す場面が多いので」
その指摘は、誰よりも正確だった。
(こいつ……どこまで見てる)
真琴は無言で視線を外す。
弓弦は、追わない。ただ静かに、真琴の思考が動くのを待っている。
「……そんなに見て楽しいか? 俺の欠点」
「いいえ。あなたを“正しく機能させる”ためです。
そのためには、手を貸すことも、支配することも、同じことですから」
その言葉に、喉の奥がひりついた。
まるで自分という人間の構造そのものを、彼に読み解かれているような感覚。
そして、そのすべてが“優しさ”ではなく“囲い込み”であることに、もう真琴は気づいていた。