34章:理性の境界線
鍵を回し、静かに扉が閉まる音が部屋に響いた。
ワンルームの空間に、男がふたり。
室内には生活感が漂っているはずなのに、柊木弓弦の存在がすべてを異質にしていた。
「へぇ……意外と、綺麗にしてるんですね」
気安くそう言ってコートを脱ぐと、弓弦は真琴の許可も待たずにソファに腰を下ろす。
「くつろぐな」
「緊張されると、こちらも動きにくいので」
言葉の端々に刺があるのは、いつものこと。
だが今夜の彼は、どこか違う。柔らかく、静かで、妙に距離が近い。
「……何が目的だ?」
問うと、弓弦はすっと立ち上がり、真琴との間合いを詰めた。
指先が、ネクタイにかかる。
「主任の“理性”って、どこまでが限界なんですか?」
声はささやきに近く、息がかかるほどの距離。
ネクタイを軽く引かれ、真琴は背中を壁に預けた。
「冗談、だろ」
「僕、冗談は嫌いなんですよ。合理的じゃないから」
ゆっくりと伸びる指先が、シャツの襟元に触れる。
だが、そのまま脱がすでも、触れるでもなく——すっと止まり、彼は言った。
「ここまで来ても、主任が拒むなら……その選択も、尊重します」
その目は静かで、ただ一つの感情を含んでいた。
「でも……僕は、もうとっくに、引き返す気なんてないんですよ」
触れそうで触れない指先。
崩れそうな理性と、煽るような余白。
真琴の中で、過去の経験と、今目の前にいる弓弦とが、せめぎ合っていた。
——この男を拒む理由を、探している自分に気づきながら。




