33章:静寂の密室
タクシーの車内。
運転席との間に仕切りがあり、車内は密やかな空気に包まれていた。
隣に座る柊木弓弦は、無言のままスマホを見ている。
だが、その指先の動きは遅く、集中しているようには見えなかった。
「……送るだけなら、助手席でもよかったんじゃないか?」
小さく言えば、弓弦は唇をかすかに吊り上げた。
「それじゃ、主任の横顔が見られないでしょう?」
冗談とも本音とも取れるその一言に、真琴の喉が少しだけ鳴った。
距離はたった数十センチ。けれど、この沈黙が、あまりに深く感じる。
「今の戦略案ですが、あれ、少し修正する予定です」
仕事の話に戻ったはずなのに、その声のトーンはやけに低くて柔らかい。
「データだけでは足りないって、先日教えてもらったので」
「……教えたつもりはないけどな」
「でも、理解はしました。主任の“選ぶ理由”は、いつも論理より少しだけ感情が勝る」
はっとして、真琴は弓弦を見た。
「……それ、いつから分析してた?」
「最初からですよ。あなたを落とすには、それが必要だったから」
言い切られた瞬間、車内の温度が変わった気がした。
静かに視線を交わしたまま、ふいに車が信号で止まる。
その一瞬のブレで、弓弦の肩が真琴の肩に触れた。
だが、彼は離れない。
まるで「この距離」を確認しているように。
「……今日は、このまま帰りますか? それとも」
声は低く、選択を委ねるふりをしながら、すでに逃げ道を封じていた。