26章:理性の境界
夜、都内のバー。プロジェクトの進行打ち合わせという名目で、真琴と弓弦はふたりきりの席にいた。
ビジネスライクな会話は、いつの間にか、感情の隙間をなぞるような言葉に変わっていく。
「先輩、今夜は珍しくネクタイが緩んでますね」
弓弦がグラスを置き、真琴の胸元をじっと見る。
指先が、そのネクタイにそっと触れる。
「……お前、ふざけてんのか」
「いいえ。ただ、あなたの“緩み方”に興味があるだけです」
どこか艶のある声で言われ、真琴はわずかに視線をそらした。
不自然なくらい静かな空間に、氷の溶ける音だけが響く。
「柊木……もうやめろ。これは……」
「“これは”?」
問い返され、言葉が止まる。
立場も理性も、曖昧になる距離で、彼はじっとこちらを見ていた。
「先輩が拒めば、俺は引きますよ。でも――拒めるんですか?」
唇が、すぐそこにある。
触れてはいない。けれど、触れられたのと同じくらい息が詰まる。
――もう、ただの仕事相手じゃない。
けれど、踏み出した瞬間に、全てが変わってしまうのが怖かった。
「……帰る」
そう言って席を立とうとした瞬間、弓弦の指が、さりげなく腕をとらえた。
「送ります。……今夜、あなたが迷わないように」