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19章:境界を曖昧にする夜

「……どうして、お前がここに」


 夜の帰路。仕事帰り、人通りの少ない道を歩いていた真琴の前に、突然、弓弦が現れた。


 ネクタイを少し緩め、コートのポケットに手を入れて立つその姿は、昼間の職場とはまるで違って見えた。


「駅まで送ります。……今日は、疲れてたみたいですし」


「……監視でもしてたのか?」


「まさか。でも、先輩が疲れてる日は、だいたいこの道を選ぶって知ってますから」


 淡々と告げられる分析。まるで真琴の選択肢をすでに読み切っていたような口ぶり。


「気味が悪いな」


「気を使ったつもりなんですが……やっぱり、先輩は“俺の好意”には慣れてくれませんね」


 軽く笑ったその声は、どこか挑むようだった。


 沈黙が、2人の間に流れる。

 だがその静けさは、決して居心地が悪いものではなかった。


 やがて、ふとした拍子に――

 弓弦が真琴の腕に指先を添えた。触れた、というより、“測った”ような軽さで。


「怒らないんですね。……昔の先輩なら、振り払ってたはず」


「……余計なこと覚えてるな」


「覚えてますよ、全部。先輩が“誰かに触れられるのを嫌がる時の癖”も」


 ぐっと距離が近づく。


「けど最近、拒まなくなった。……つまり、これは“選ばせてくれてる”んですよね?」


 夜風が吹いた。

 だが、それ以上にぞくりとするのは、弓弦の声だった。


「……帰れ、柊木」


「言葉と態度が、ずれてますよ、先輩」


 そう囁いた後、彼は何も触れずに一歩だけ引いた。

 それはまるで――キス寸前で止められた距離。


 真琴の呼吸が、ほんの少し乱れる。


「……また、来ます。次はもう少し、“確信”が欲しいので」


 そう告げて、弓弦は夜の道を、ゆっくりと去っていった。


(……次? あいつは、どこまで先を見てる……)


 その背中を見送りながら、真琴は自分の胸が、ありえないほど高鳴っていることに気づいていた。



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