17章:支配と優しさの狭間で
車内は、静かだった。
ラジオの音すらなく、聞こえるのはタイヤがアスファルトを擦る音だけ。
「……さっきの、“誤解しない”ってどういう意味だよ」
口火を切ったのは、真琴だった。沈黙のままでは、自分の心臓の音が聞こえてしまいそうで怖かった。
「言葉通りです。俺は、主任を“正しく理解している”という意味です」
「そんなに俺のこと、知ったつもりかよ」
噛みつくような言葉に、弓弦はふと表情を緩めた。
それは、今まで見たどの笑顔とも違っていた。どこか――少しだけ、寂しげで。
「……いいえ。つもり、じゃない。まだ全部は分かりません」
「……は?」
「だから、知りたいんです。主任のこと。何を好きで、何に怒って、何を怖れているのか……全部」
言葉はやわらかいのに、ひどく冷静で、まっすぐだった。
真琴は思わず目をそらし、助手席の窓の外を見た。
(なんだよ、それ。恋人でも言わねえよ、そんなこと)
けれど、心のどこかでわかっていた。
彼は“好き”と言わない代わりに、“知ろうとする”ことで関係を繋ごうとしている。
「……やめろよ。お前みたいな奴に、踏み込まれるのは」
「どうしてですか?」
「俺は、あんたに……これ以上、崩されるわけにいかないんだよ」
その一言で、車内の空気がほんのわずか、揺れた。
交差点で信号が変わると同時に、弓弦はハンドルを切る。だがその目は、静かに真琴を見ていた。
「それでも、俺はやめませんよ。主任が“崩れる”姿も、きっと見たいものの一つですから」
そう言って、少しだけ微笑む。
その笑顔に、真琴はもう反論する気力を失いかけていた。
(あいつ、本当に……何がしたいんだ)
だが次の瞬間、弓弦がぽつりと漏らした言葉に、心が揺れる。
「……主任が他の誰かに見せる表情、俺は見たくないんです」
それは、確かに――ほんの少しだけ、感情だった。