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13章:私生活の侵入者

夜十時を過ぎたオフィス街は、どこか空気が軽くなる。

 真琴はネクタイを緩め、ため息を一つ落としてから、スマホを取り出した。

 今日の社内の空気――弓弦との距離感、それを感じ取った部長の一言――すべてが胸に引っかかっていた。


「……馬鹿か、俺」


 自分でもわかってる。

 あいつの言葉や仕草が全部“計算”の上でのものだって。

 けど、それでも揺れてしまったのは――


「……っ、冷たいな」


 夜風に当てられ、少しだけ酔いが回るような感覚。

 ふらつく足取りでマンションの前にたどり着いた瞬間、その声がした。


「おかえりなさい。主任」


 ――弓弦。

 暗がりの街灯の下で、スーツ姿のままポケットに手を入れ、まるで“出待ち”していたかのように立っていた。


「……なんで、ここに」


「おかしいですか? 偶然ですよ。偶然、主任の帰り道に立っていたんです」


「偶然で済むわけないだろ」


「じゃあ、正直に言いましょうか。……あなたの思考パターンは、大体わかってきたので」


 静かに微笑みながら、弓弦は数歩近づいた。

 真琴が一歩退くと、軽く眉を上げる。


「主任、逃げるんですか?」


「……別に、逃げてねぇよ」


「じゃあ、顔を見せてください。今日、僕に向けた“無視”の理由も含めて」


 ぞわり、と背筋が冷える。

 その声は、穏やかで、しかしどこか底が見えなかった。


「言いましたよね。あなたの選択肢は、僕が管理するって」


 目の前で立ち止まると、弓弦はポケットから鍵のような小さなカードを取り出した。

 それは、今日一緒に行った現場用のICカードだった。


「主任の分、うっかり持って帰ってしまって。……でも、返しに来ただけですよ。ね?」


 わざとらしい無邪気な笑み。

 だがその下に、何か深いものが潜んでいるのを、真琴は感じていた。


「……そんなもん、明日でいいだろ」


「いえ、主任は今日“僕から離れようとした”から、今夜のうちに回収したかったんです」


 その言葉に、心臓が強く跳ねた。


 ――見透かされてる。

 見られてる。全部、あの瞳に。


「主任、僕がどこまであなたに踏み込めるか、そろそろ知ってほしくて」


 弓弦の声は、夜の冷気よりも低く、熱を帯びていた。

 真琴は思わず、ドアに背を預けて動けなくなる。


「……ふざけんな、弓弦。俺は――」


「何も言わなくていいですよ。あなたの“拒絶しきれない沈黙”が、僕には一番都合がいい」


 そして、弓弦は最後にそっと囁いた。


「そろそろ、“逃げられない”って自覚してください。主任」

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